Sweet memories

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「『あっちゃん』っていう女の子なんだけど」  配膳を終え、二人向かい合わせにダイニングテーブルに着く。それから、いただきますの後、茄子の味噌汁に手を付けたカズアキを見ながら、私は古い記憶をひっぱり出した。  東京のはずれに立つ大型団地。彼女は、沢山いる同世代の子供たちの中でも、ひと際可愛い子だった。色白で、細くて、黒目が大きい瞳はキラキラして。髪はサラサラで長いし、いつもフリルの付いた洋服を着て、私にとってアイドルのような存在だった。  でも、彼女は大人しく引っ込み思案な性格の子だった。幼稚園にも保育園にも通っていなく、だから友達も少なくて、お蔭で私は彼女を独り占めすることができた。 「ヒカルって、男の子みたいだよね」  私の話を聞いていたカズアキは、嫌いなものを出された腹いせだろうか、肉からピーマンを懸命にはがしながら失礼なことを言う。今思うと確かにそうなのだが、幼い子供なんて、皆可愛いものが好きなものだ。そこに性別は関係ない。  私は失礼な恋人の言葉には反応せず、意識をあの頃……あっちゃんとの楽しい毎日に集中する。  東京の割に緑の多かったあの団地。春にはタンポポ、夏はセミ、秋はドングリ、冬は雪。幼い私たちが遊ぶに事欠かないあの場所での毎日は、飽きることも終わることもない素晴らしい日々だった。 「けれど、急に親が家を買ってさ」  浅漬けのきゅうりを咀嚼してから、私は声色を落とす。変わりなくやってきた夏に心躍らせ、彼女と共にセミの声を追いかけていた私に、父は冷たくあっちゃんとの別れを切り出した。  勿論、精一杯駄々を捏ねに捏ねた。けれど大人の都合とは無常で、子供は従う以外の選択肢を持たない。 「引越しの日は、夏休み最終日でね」  別れの日の朝は、真っ青な空だった。昨晩泣き腫らした幼い私の目に、太陽の光が容赦なく刺し込む。それでも、往生際悪く引越しを拒否する私に、流石に親は困り果てていた。それは別れを告げられた側であるあっちゃんも同じで、その可愛らしい眉をハの字にすぼめていた。 「別れ際、あっちゃんは私に約束してくれたの」  いよいよ引越しのトラックが出発する間際、激しい拒絶を繰り返す私に、可愛い彼女はある約束を提案してくれた。 「『二十年後の今日、夕焼け小焼けが鳴る頃にここで会おう』って」  困り顔のあっちゃんに、私は観念して約束をした。指切りげんまんもした。大人しく父の運転する車に乗って、彼女が見えなくなるまで手を振った。  目前の恋人は、私の熱量に圧されてか、少し呆れ顔で聞いている。確かに、カズアキに話を振られるまで、すっかり忘れていた。けれど、思い出した今はまるで昨日のことのように胸が痛くなる。  可愛くて、大好きだったあっちゃん。きっと今は絶世の美少女になっているのだろう。 「……で、それはヒカルが何歳の時だったの?」  私が美しい過去に浸っていると、ふりかけをかけた玄米ご飯を平らげたカズアキが、適当な合いの手を入れるかのように聞いてきた。私は両手の指を折り曲げながら、年を数える。 「あれは確か小学校に入る前だから……!」  年齢を数え始めた私は、急に回線がつながったかのように、目の中にばちっと火花を感じた。あれは確か五歳の時。二十年後は二十五歳で、私は今、ジャスト二十五歳だ。 「今日って何日!」  殆ど終わっていた食事を中座し、急いで窓際のカレンダーに駆け寄る。今日は八月二十九日の金曜日。約束の日は明後日、八月三十一日の日曜日だ。  私はいても立ってもいられなくなった。忘れていたと言え、あっちゃんは私の大好きな幼馴染だ。会いたい。どうしても会いたい。 「もしかして、明後日なの?」  きっちりごちそうさまをしたカズアキが、カレンダーの前で呆然とする私の元にやってくる。間の抜けた顔で数回頷くと、面白いおもちゃを見つけたような表情で、恋人殿はにやりと笑った。 「それは良いね。俺も一緒に行くよ」  テレビが感動的な再会をリポートしている声が、遠くで聞こえた。
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