4 その正体

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それから1年。俺は今も秘めた想いを抱きながら咲間さんの側にいる。 彼との関係は何も変わらないままだ。 「ひなくん、お疲れさま。終わったよ。」 甘く、優しい声に閉じていた目をゆっくりと開く。半分くらいしか開いていない瞳の中に、ぼんやりと満足気に笑う咲間さんの顔が映った。 「まだ眠かったら寝ててもいいよ。」 「いえ……そろそろ準備しないと……」 「あぁ、そっか。学校の時間だね。」 変わらない関係の中で変わった事もいくつかある。 ひとつは、特技と呼べる程でもなかったヘッドマッサージを特技と呼べるように専門学校へ通い出した事。 もうひとつは、コーヒーショップのアルバイトを辞めて、学校から近いカフェで働き始めた事。 そしてもうひとつ…… 「帰ってきたら一緒に夕飯食べようね。今日は里村さん特製の肉じゃがだよ。」 「はい。あ、咲間さん、明日の予定わかる範囲で構わないので夕飯の時に教えて下さいね。」 「うん。わかった。じゃぁ、いってらっしゃい。気をつけてね。」 「はい。行ってきます!」 半年程前から咲間さんと一緒に暮らし始めた事。 暮らし始めたというよりは、住まわせてもらっている。という方が正しいけれど。 やりたい事も夢もなかった俺に専門学校へ行く事を勧めてくれたのは咲間さんだった。 元々美容師を目指して上京し専門学校に通っていた俺は、卒業して最初に就職をした美容室を1年も経たずに辞めていた。 朝から晩までのハードワークに少ない休み、それは就職前からわかっていた事だったけれど、実際働いてみると夢と現実はこうも違うのかと打ちのめされてしまった。加えて人間関係も上手くいかずで…… 要するに挫折してしまったのだ。 だから咲間さんに最初に勧められた時には躊躇した。 誰かの役に立ちたい。人を癒すような仕事がしたい。 その思いは美容師を挫折した後も持ち続けていた事だけれど、もう一度夢に向き合う勇気は中々出なかった。 すぐに夢を諦めてしまった俺なんかに〝もう一度〟なんて出来るのかって。 そんな俺に、 「出来るよ。ひなくんなら大丈夫。僕が応援する。 少しでもやってみたいなって思うなら挑戦してみてもいいんじゃないかな。」 と咲間さんはそう言ってくれた。そしてすぐに沢山の資料を集めてきてくれたのだ。 「ヘッドスパセラピスト……」 「うん。美容室だけじゃなくて、病院や福祉施設でも需要が高まっているんだって。 ひなくんのヘッドマッサージ、本当に凄く気持ちがいいし、それにほら、ひなくんてほんわかとしていて一緒に居ると居心地がいいし、人を癒す仕事に向いていると思うんだ。笑顔もとても素敵だしね。」 「なんてったって歯列が……」のくだりは割愛しておこう。 咲間さんはとても熱心に話をしてくれた。 咲間さんがそう言ってくれるなら……と俺もようやく、もう一度夢に向かう決心が付いたのだ。 この1年、咲間さんの元でアルバイトをしてきたおかげで少しは貯蓄もあったから学費に関しては何とかなる。 けれど……
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