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5 絶対なんてない
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「どうして? 焦らさないでよー。」
「いや、焦らしている訳じゃ……あの、今日は自分でします!」
「ダメだよ。僕の楽しみを奪わないで。」
ニマニマと悪戯な笑みを浮かべながらにじり寄って来る美しい悪魔に、もとい可愛い人たらしに、もとい大好きな人に……
捕まるのは時間の問題で。
優しく腕を掴まれ呆気なく捕まった俺は、抵抗も敢え無くいつものように彼の股の間に転がった。
「何でそんなに嫌がるの? もう慣れたでしょ?」
「いや、だから今日は歯磨きだけ自分でさせて下さいって言っているんです!」
「どうして?」
「いや、それは……」
「そう言えば今日は何食べたの? まだ聞いていなかったよね?」
ニマニマがニヤニヤに変わっている。
なんて意地悪な人だ。口調こそ優しいけれど咲間さんはけっこうなサディストだと思う。
「えっと……朝はタマゴサンド食べて、昼は煮込みハンバーグ定食……それから……」
「それから?」
「……ト……ロ……ピザを……」
「え? 何て? 聞こえなかった。何のピザを食べたの?」
「…………チョコレートマシュマロピザを食いました。」
気まづそうに答える俺を見て、咲間さんはふふっと笑った後で「それはまた……」と零してから俺の口元をジッと見やった。
「磨きがいがありそうだ。 気にしなくてもいいのに。」
「だって、でも……すいません。」
「謝らなくていいよ。 でもチョコにマシュマロかぁ……笑えるくらいに歯にはよろしくないねぇ。甘くて美味しそうだけど。」
「はい……恐ろしく甘かったです。言い訳になっちゃいますけど、別に食べたい訳じゃなかったんです。だけど友達がどうしても付き合ってくれって言うので仕方なく……。」
「友達? 学校の?」
「はい。今日はバイトもなかったし。」
「そうなんだ。楽しそうでいいね。友達は女の子?」
「あぁ、はい。」
「ふーん。 モテるんだねぇひなくん……」
あれ? もしかして……いや、まさか……そんな事……
「2人で行ったの?」
「はい……他にも誘ったけどみんな予定があったとかで……」
「へぇ。そんな可愛い嘘を付いちゃう子なんだね。」
「いや、嘘を付いているのかはわからないんですけど……」
ん? んん?? これはやっぱり……
「ひなくんて純粋だよね。でも、純粋過ぎてその彼女、苦労するだろうな……」
咲間さんは優しい笑みを浮かべて、俺の唇を指でトントンとノックした。
「そろそろ始めようか。はい、あーん……」
やっぱり違うか……
そうだよな。咲間さんが俺にヤキモチを妬いてくれる筈がないよな……
言われるがままに口を開いて、いつものように歯磨きタイムが始まった。小刻みに震える振動にゆっくりと目を閉じる。
「僕も行きたいな……」
「へっ?……」
閉じかけていた目を開いてすぐに咲間さんに視線を移すと、真っ直ぐに俺を見つめる瞳にドキリとした。
「はまいほの(甘いもの)、ふきらんれすか?(好きなんですか?)」
「ううん。別にチョコレートマシュマロピザが食べたい訳じゃなくて、ひなくんと一緒に居ると楽しいからまたデートに行けたらいいなぁって。」
うっ……
うぅっ……
「うぐっ……っっ」
咲間さんのとろけるような甘い笑顔に目が貼り付いて、息をするのを忘れてしまっていた。
口の中に歯ブラシがある事も……
気付いた時には俺は盛大にむせていた。ゴホゴホと咳き込みながら身体を丸める俺を見て、咲間さんは「大丈夫?」と心配そうに背中を撫でてくれた。
いや、あなたのせいですから!……なんて言える訳もなく、俺は涙目でただ頷く事しか出来なくて。
一緒に居ると楽しい……とか。
またデートに行きたい……とか。
なんだよ。なんなんだよもう……
俺が勝手に意識し過ぎだってわかっているけど、思わせぶりな事を言わないで欲しい。
俺の事なんて何とも思っていないくせに……
そうわかっているのに、わかっている筈なのに……
心の何処かでまだ期待は消えていなくて、咲間さんの言葉にいちいちドキドキとしてしまう。
あんな事を言われたくせに、俺はどこまでめでたい思考の持ち主なんだろうと我ながら呆れてしまった。
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