5 絶対なんてない

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「咲間さん、お久し振りですね。」 「……そうですね。今日は定期検診ですか?」 「はい。本当は明後日だったんですけど急用が出来て、それで聡太郎に無理を言って今日にしてもらったんです。」 「そうだったんですね……」 にこやかな柔らかい笑顔を浮かべる彼とは違い、咲間さんが無理をして笑っているのがわかる。 こんなに余裕のない顔、初めて見た。 この人…… 「孝太郎、そろそろ行くぞ。誠一、また連絡するよ。」 やっぱりだ……この人があの「こうたろう」なのか。 「あぁ、うん……またね。」 「では、失礼します。」 すぐに背を向けて歩いて行く聡太郎さんとは違い、孝太郎さんは咲間さんに向かって丁寧に頭を下げてから、前を歩く聡太郎さんを追いかけて去って行った。 2人の背中を見送りながら、頭の中ではつい先程の孝太郎さんと咲間さんのやり取りを思い返していた。 彼の咲間さんに対する態度や、咲間さんが孝太郎さんに見せたぎこちない笑顔が引っかかる。そんな違和感を覚えつつ、隣に視線を移した。 2人の姿を……いや、1人の後ろ姿を、孝太郎さんだけをジッと見つめる咲間さんの切ない表情に胸の奥がキュッと締め付けられた。 俺は何も言えずに、孝太郎さんを見送る咲間さんの姿をただ見つめていた。 彼らの後ろ姿が見えなくなった所で、ようやく咲間さんは俺の方へ振り返り笑顔を向けた。けれどいつもとは違う、ついさっき違和感を覚えた笑顔と同じような、とてもぎこちない笑顔だった。 「ひなくん、家へ帰ろうか。」 「……はい。」 病院からの帰り道、心ここに在らずといったようにボーッと歩く咲間さんとの沈黙が怖くて、俺は一方的に喋り続けていた。 内容はどうでもいいものばかりだ。 大福に噛まれた腕の傷がズキズキと痛む。 腕だけじゃなくて、胸の奥も痛い。さっきとは比べものにならないくらいに。 本当は聞きたい。2人の間に感じた違和感や、咲間さんが彼を見つめた時の切ない表情の理由を。 けれど……聞いてはいけない気がして。 何も知らない俺なんかが踏み込んでもいいのかって。 6、お互いのプライベートは詮索しない。 彼と交わした契約。今更そんな事が頭の中に浮かんだ。 もう十分、踏み込んでいるのかもしれない。 何も知らずに、土足のままで。
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