5 絶対なんてない

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「ごめんひなくん。言い忘れていたんだけど今夜は約束があって、これから出掛けるんだ。」 家の前に着くと、咲間さんは申し訳なさそうにそう言った。 「そうですか。わかりました。」 「ごめんね。水曜日なのに……それに腕も……」 「いえ、俺も予定入れちゃってたの忘れてたので丁度良かったです。」 嘘を付いた。 最近少しだけ嘘が上手くなったように思う。 「そっか。それなら良かった。でも無理しちゃ駄目だよ。今日は出来るだけ安静にね。」 「はい。わかりました。」 そう言って少し困ったように微笑む咲間さんを心配させないように精一杯の笑顔を返した。 作り笑顔ももっと上手くできるようにならなきゃいけないな…… 咲間さんの背中を見送った後、エントランスの壁に身体を預けながら地面に向かって息を吐き出した。 孝太郎さんの事を聞きたいけれど聞いてはいけない気がして……そう思ったのは本心だ。だけど、そもそも聞く勇気が俺にあるのだろうか。 知りたいけれど知りたくない。 聞きたいけれど聞きたくない。 「どっちなんだよ……」 複雑な思いがぐるぐると回る。はっきりとした答えが出せない自分に嫌気がさしていた。預けている筈の身体がやけに重く感じて、そのままずるずるとその場にしゃがみ込んだ。 彼を好きになって毎日幸せだった。側に居られるだけでよかった。そう思っていたはずなのに…… いつからこんなに欲深くなったのだろう。 咲間さんを独り占めしたいだなんて。 自分だけを見ていて欲しいだなんて。 俺はやっぱり、バカだ…… 「あら、もしかして日向さん?」 聞き馴染みのある声にゆっくり顔をあげると、そこには優しい表情で俺を見つめる彼女が立っていた。 「里村さん……」 「どうしたの? こんな所でしゃがみ込んで……腕が痛むの?」 「いえ、大丈夫です……って……何で腕の事……」 「大丈夫なら良かったわ。先生から連絡があったのよ。心配だから様子を見に行って欲しいって。元々夕飯を作りに来る予定だったから向かっている途中だったの。」 「そうだったんですか……でも俺、予定があるって言ったんですけど……」 「予定あるの?」 「いや、それは……」 里村さんはふふっと嬉しそうに笑うと、俺に向かって手招きしてからマンションの中へ入って行った。
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