3 必要とされること

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3 必要とされること

午後21時。バイト先から10分程の距離にある駅で咲間さんと待ち合わせをしていた。 初めて降り立つ駅の前で人が行き交う様子をチラチラと見ながら、スマホに視線を落とした。 昨日、「ひなくんのバイト先まで迎えに行くよ。」と言った咲間さんの好意は丁寧にお断りして、彼のマンションの最寄駅を待ち合わせ場所にしてもらっていた。 だって、どう考えても目立ち過ぎるから。咲間さんがそこに居るだけでも目立つというのに、そんな人が店の前で俺の事を待っているなんて事がバレてしまったら…… 間違いなく混乱が起きるに決まっている。 想像するだけでも恐ろしいくらいの。 そうでなくても、あれからやたらと咲間さんについて話を聞かれているというのに。適当にあしらってはいるけれど、こういう時の女子って何であんなに鋭い目付きをするんだろう。一見笑顔に見えるその瞳は、ギラギラとしていて、まるで獲物を狙うハンターのようだ。 実は俺が知らなかっただけで、咲間さんは以前からよく店を訪れていたらしいのだ。けれど早朝が多かったらしく、早朝シフトのメンバーの間では既に有名人だったらしい。 わかるよ。あの見た目だもの。そりゃぁきゃーきゃー言いたくなるでしょうよ。おまけに歯科医とかさ、もう完璧でしかないよね。俺だって出来ることなら紹介してあげたい。 だけど…… 言える訳がない。彼が歯フェチで、歯を好きに触らせるのを条件に俺が彼からお金をもらっているなんて。 考えれば考えるほど頭が混乱する。とんでもないことをしているような、していないような…… スマホの画面を見つめたまま、ぐるぐると回り続ける思考の渦に飲み込まれていた。 「ひーなくん。お待たせ。」 背後から声をかけられ振り向くと、光沢のあるグレーのスーツをこれでもかというくらいに完璧に着こなしている咲間さんが微笑んでいた。ワインレッドのネクタイがこの人以上に似合う人などいないと思う。 歯医者さんて、スーツで通勤するものだっけ? なんて、そもそも通勤用に着るようなスーツではないけれど。 「あ、どうも……こんばんは。」 「こんばんは。……夜は随分涼しくなってきたよね。」 そう言って優しい笑みを向けた後で、夜風を受けて心地良さそうに目を閉じる姿がそれはもうカッコよくて、絵になるって言葉はこの人の為にあるんじゃないかって思う程だ。 きちんと整えられた前髪がふわりと揺れる様を見て、思わず見惚れてしまった。 「じゃぁ、行こうか。」 ゆっくりと瞳を開けて、俺を見やる咲間さんから目が離せないまま、人ごみの中を彼の背中を見つめながら歩いた。
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