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迎えた秋一番の、冷える朝だった。
日も昇らないうちに煎餅布団から這い出た吾郎は全身の毛穴が縮まる思いをしながら水で顔を洗い、外へ出た。
朝もやのかかる薄暗い庭で遠い海を眺め、つぶやく。
「今日は、出られんな」
それでも普段どおり浜に下りると、漁師の松五郎が静かな波打ち際に佇んでいた。吾郎はがっちりとした背に向かって、
「時化ちゃないが、こんなもやじゃ漁に出られ」
「ホトケさんだ」
「何?」
松五郎が無造作に指さした先に見えたのは、静かな海に浮かぶ何かしらの塊だ。
「海豚じゃないのか」
「このあたりに海豚はおらん」
着物の裾を上げ、松五郎と海の中を歩いていく。
大柄な吾郎の膝上あたりの深さになったところで、ところどころ青黒い傷がついた蝋のように白い足が見えた。
澄んだ海に長い黒髪を漂わせ、うつ伏せで浮かぶ主は白と淡い赤の花模様が散る紺染の着物を身につけていた。吾郎の目には漁師、百姓の女が日頃着るものではないように見えた。
「どこの女子だろう」
「海にさらわれたか、身投げかの」とつぶやいた松五郎は、
「女子、いいか。今後おれらに魚獲らせてくれなきゃ、供養してやんねえぞ」
しばらくの沈黙が生まれ、打ち寄せる波間に漂う女の体が、ちゃぷ、と音を立てた。
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