1999年、6月

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1999年、6月

僕の人生がマイナスベクトルで一転したのは、世紀末の六月のことだった。 けれど、今年の七の月にどうやら人類は滅亡するらしい。 だったらいいか。 「では、来月から放射線治療に入りましょう」 ノストラダムスなんかより余程信憑性のある恐怖を突き付けて、担当医師は穏やかに言った。 まな板の上の鯉とはこんな気分なのだろう。 僕の手を握り、理解出来ないながらも一緒に説明を聞いていた芽衣子の手が冷たいのに汗ばんでいて、変な緊張感が伝わってきた。 個室の病室で二人きりになると、芽衣子は繋いでいた手を離してベッドの縁に座った。 「大丈夫だよ、どうせ七月には滅亡してる」 「パパだけだよそんなこと言ってるの」 子供とはいえ六歳にもなると、ませているというより本格的に人間として会話が成り立ってくるのだな、と変に感心してしまう。 「やっぱり芽衣がママに電話しとこうか?」 「いや、いいよ」 昨年離婚した妻は、新しい旦那と上手くやっているらしいので出来るだけ何の報告もしないでおきたかった。 これは僕の精一杯の見栄だ。 元妻の藍子とは、彼女が勤めていた花屋で知り合った。 とてもハキハキとした女性で、いい加減にデートに誘ったのは、毎日花を買いすぎて部屋が花瓶だらけになる頃だった。 離婚したのはどちらがどうと言う訳ではなく、生活サイクルが合わなくなって、歪みが生じたからだ。 互いに大きな不満が溜まる前に別れて正解だった。 娘の芽衣子は僕と居ることを望んでくれたのだけれど、その直後にこんな病が発覚してしまった。 「……ママのとこ行きたい?」 「ううん」 首を横に振る。 こんな小さな頭に選択を迫ってしまった。それでも一所懸命に考えて答えを出してくれる。 それに比べて僕は──僕には、人類が滅ぶまでのタイムリミットでさえ楽しむ余地すらないのか。 「さっきね、お医者さんがぬりえくれたんだよ」 「塗り絵?」 芽衣子は一枚の紙を広げて見せた。 ロビーでしばらく待たせていた間に貰ったらしい。 キリンやゾウ、ワニやオオハシ、フラミンゴやライオン。 紙一面に多種多様な動物が縁取られている、手描きのものだった。 「凄い絵だね。さっきの先生?」 「知らない先生」 「美人だった?」 「男の人だったよ」 ボールペンの滑らかな曲線が美しい、とても繊細な絵画のようだったので無意識に女性だと思い込んだ。 「それとね、」と、芽衣子は少し照れた様子で背伸びをして内緒話を要求した。 「カッコよかった」 「ふーん」 何歳であっても中身は女だ。 彼女は面食いに育つかもしれない。
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