1999年、6月

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少し肌寒くなってきたと思ったら夕方で、文献を読みながらうたたねしていた僕は慌ててベッドに突っ伏している芽衣子を起こした。 「そろそろおばあちゃんが迎えに来るよ」 「……ん」 揺すった腕は細く、少し伸びた三つ編みがクリーム色のカーディガンの肩から一房滑り落ちた。 彼女の父親になってから、もう六年の月日が経ったのか。 いつまでも子供のままでいてくれてもいいのに。 大人びていく姿を目の当たりにする度に、僕の手には余るほどの生命力を感じている。 病室の引き戸が開いて母が顔を出し、頬に布団のシワの痕をつけて、芽衣子は眠そうに手を振った。 さてと。 夕飯を食べて消灯までは執筆の時間だ。 物書きが職業の僕は、雑誌に載せる連載小説を受け持っていて、あまり大きな出版社ではないが今では印税だけでもなんとかやっていける程度には稼げている。 若い頃はガソリンスタンドのバイトと掛け持ちをしていたのだけれど。 しかし、入院してからこのところ、寝つきが良くない。 具体的には考え事をしすぎて鬱に近いのではないかと思う。 (わかってるさ、怯えたところで身体が変わらないことくらい) どうしたって怖くない訳では無い。 けれど腐っても僕は物書きだ。 こんな状況を文字で例えるならば、『逆境(ぎゃっきょう)』といったところだ。 『四面楚歌(しめんそか)』や『八方塞(はっぽうふさ)がり』だとは言えない。 手助けしてくれて、待っててくれている人もいる。 それに、窓の外から見える煌々(こうこう)とした都会の夜景が案外と気に入っている。
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