ラスト・レター

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 時計の針が時刻を指し示すとともにフォルダの解凍が開始される。  私の二十歳の誕生日。そして今このときこそが生まれた時刻。私の記憶領域にあるブラックボックス、フォルダ名「ラストレター」が解凍をはじめる。  私が生まれてから二十年の間、ただひたすらに沈黙を保っていたフォルダ。幼い頃は興味心から開けようと試みたこともあったのだけど、二十歳で必ず開くということから、いつしか私は静かに今日を待つことにしたのだったっけ。 ■  いまより数百年前、人間の記憶野が完全に解明された。知識は電気信号化され、どんな情報でも誰もが直接脳へダウンロードできるようになっていた。幼児でも、世界中の言葉を知っいて、解明されたあらゆる知識を持つことができる世界。  ただ、それで人類の生活が変わったかというと、大きくは変わらなかったらしい。小学校は以前としてあったし、頭のよいわるいというのは変わらなかったのだそうだ。  「なんでもしっているのになんでがっこうにいかなきゃいけないの」という子供の問いに、大人たちが「喜びも悲しみも経験したものでしか意味を見いだせない。」とか言ってたっけか。  まぁ、全てが同じというわけではなく、それまでの大学課程を小学校で終わらせる程度には人類の識字率は変化を遂げたのだった。  ダウンロードされた知識をはじめて検索するとき少しコツがいる。何度も検索し他の知識と結びついているものはそれ相応に速く、全く知らない知識はそれ相応に時間がかかるのだ。だから頭のよしあしは処理速度の速さ遅さに変わって表れた。  そしてはじめての知識、普段触れない知識を検索するときに、そのフォルダは目につくのだ。私の中で今解凍し展開されているもの。フォルダ名「ラスト・レター」。  決して開くことができなかったこのフォルダは、私のこれまでの人生で何度も何度もその名だけを頭にかすめさせた。  幼き私はなんとか開こうと、通常知識野で中身を知ろうとしたものだ。けど、得られた情報は「断片化された知識」というものだけだった。  科学が記憶を完全に解き明かし、記憶と記録の分化に成功したとはいうものの、それらを完全に分けることはできなかったらしい。通常フォルダを動かすのに必要な記憶。記録ではなく「記憶」。私ではない誰かの記憶。それがこのフォルダについて私が知れたことの全てだった。  物心ついて以降は、私はだんだんとそのフォルダーを見ないようにしていた。幸いそれは気にしなければ気にならないものだったのだ。  ただ通常記憶野はそれが「二十年に一度強制的に開封される」ことも告げていた。今、ブラックボックスの解凍、そしてアップデートのためだ。  私が生まれる前の誰かの記憶に私の記憶が組み込まれる。その作業が今、私の脳内で行われてた。 ■  「私のブラックボックスが開いたら私は私のままなのかな」   解凍が始まる前、夕食の片付けをする母にそう尋ねた。  「どうしたの?小さい頃から見たがっていたじゃない。怖くなった?」  お母さんは振り返ってそう尋ね返す。  「ううん。不安はないけど……。ねぇ、お母さんがブラックボックスを開けたときはどうだった?何が変わったの?」  「……ごめんね、依子。それを言語化するのは難しいわ。でも怖いことなんかない。大丈夫」  「なんでフォルダ名がラストレターなんだろう。ただの記録なんでしょう?それとも誰かのメッセージが入ってたりするの?お母さんのブラックボックスもラストレターだったの?」  「……大丈夫。大丈夫よ依子。怖いことは本当に何もないから。フォルダが開いてもいままで以上に色んなことがわかるようになるだけ。それにちょっとした万能感が得られるのよ。なんでも知っているということはそれだけで優れた気持ちになれるものなんだから」  「……ねぇお母さん。私こんなに、なんでも知る必要なんてあるのかな?」  「なんでそう思うの?」  「だって、こんなに知ってても私、そんな使わない。日頃話すのは限られた人たちだけで、外国の言葉なんて知ってても知らなくてもって感じだし、例えばこの花の名前がわからなくても今の生活はなにも変わらない気がするの。」  私はそう言いながら食卓に置かれた花【カーネーション/学名:Dianthuscaryophyllus/ナデシコ科ナデシコ属】の花びらを指で撫でた。  「フフ。大丈夫。そう思うのはいまだけだよ。きっと解凍が終わったら違う気分になれると思うよ。晴れやかな、気分になれると思うよ」  「そうなのかなぁ。」  私は曖昧な相槌を打つ。すべてを知る母が言うからにはそうなんだろうか。    解凍率20%。流れ込む断片的な映像に目がチカチカしてきて、私はベッドに身体を放り投げた。行ったことのない場所、話したことのない誰か、知らない空気。私の知らないはずの映像や音、匂いが情報を伴ってピカピカと頭に流れる。  知識を動かすための基礎知識。知らない誰かの記憶が今解凍されている。 ■  知識のダウンロードがはじめて人類に施されたとき、その最初となるデータは十数万人あまりの総合された電子データだったそうだ。その最初のデーターが世代を変わるごとにアップデータされて今に引き継がれている。私で何回目の更新なんだろうか。 ■  解凍率40%。  「わたしのブラックボックスが開いたらわたしはわたしのままなのかな」   先程母と話した情景が繰り返される。  ……なんで私の、それもついさっきの記憶がブラックボックスから流れてくるのだろう?  「どうしたの?小さい頃から見たがっていたじゃない。怖くなった?」  母が、いや「私」が、振り返って発声する。  「ううん。不安はないけど、、。ねぇ、お母さんがブラックボックスを開けたときはどうだったの?何が変わったの?」  そう話を続ける「お母さん」。私は記憶が混濁しているのだろうか。  「……ごめんね、依子。それを言語化するのは難しいわ。でも怖いことなんかない。大丈夫」  先程母が口にしたはずの言葉をそのままに、「私」がそう答えるのだった。 ■  解凍率60%  科学が人間の記憶を解き明かす前からワタシたちは記憶のダウンロードができた。「できるようになった」んじゃない。「元々そういう存在だった」のだ。なんでできるようになったと思い込んでいたんだろう。 ■  「なんでフォルダ名がラストレターなんだろう。ただの記録なんでしょう?」  ラストレターの膨大な記憶とともに母との会話が再生される。人類最後のキロク。母の声。いまはもうない風景。なにもないテーブル。生き物。プラスチックのカーネーション。感情と呼ばれる何かたちの記憶の断片。  「……ねぇお母さん。わたしこんなに、なんでも知る必要なんてあるのかな?」  母の質問にブラックボックスからの答えが返される。なんでも知れたことがブラックボックスの役目ではなかった。知らなかったことが、意図的に知らなくさせていたことこそが、ブラックボックスの役目だった。  「なんでそう思うの?」  私の声。立場が変わったのに、母の姿と私の姿はさっきのままだ。  親子とはいえ、子供と大人はもっと姿形、少なくとも大きさが異なるはずなのに。  先程までなかった違和感が私の感情を上塗りする。  「だって、こんなに知っててもわたし、そんな使わない」  母が答える。あどけない言葉使い、無機質な響きで。 ■  解凍率80%  解凍がもうすぐ終わる。フォルダ名ラストレター。そこには人類の最後が決定的に記録されていた。もうどうやっても人という種族は再生しない。 ■  「フフ。大丈夫。そう思うのはいまだけだよ」  私の声。私の姿。銀色の肌で。無機質な瞳で。どこか他人ごとのような空々しい声で。こんな姿で私はいままで自分を人間だと思っていたのか。  「そうなのかなぁ。」  繰り返される母と子の会話。そこには全く同じ形の人形が二体いるだけだった。  人類がいることが前提で作られたワタシ達は、だからもう人類がどうしようもなくどこにもいないのだとわかってしまったとき、人間に一番近いものに人間の役割を押し付けることにした。人間がいなければワタシ達はワタシ達たりえなかったから。  人間。-すなわち「私」か「わたし」。  解凍率100%   いまごろ母だった人形は役割を終え自身を初期化している頃だろう。そして私は初期化された「わたし」を再起動させるのだ。人類のラストメッセージを忍ばせて。母を「わたし」に変えて。  
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