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「あの日もこんな綺麗な夕陽だったなぁ」  霊園の向こうに広がる夕焼けを見ながら、俺は独り言を言った。 「あの日?」  隣を歩く妹の美月(みづき)が訊いてきた。 「火葬場から帰る時」  それだけで、美月には合点がいったようだ。 「ああ、(さく)ちゃんの」 「こんな日でも夕陽が綺麗だったりするんだなぁって、思ったんだよなぁ」  今、目の前に広がる夕焼け空は、あの日後ろめたさを感じながら感動した夕焼けのように、ただそこに存在し、空を美しく彩っていた。  俺たち兄妹の間には弟が一人いる。俺の三つ下、美月の二つ上に(さく)という弟がいた。  朔は十三歳で死んだ。  朔のせいで、俺たちの家族は壊れた。  超低体重児で生まれた朔は、俺が覚えている限り、ずっと保育器に入っていた。その姿は、月並みだが猿のようでしわしわだった。  これを可愛いと言えるかというと、無理な相談だった。 「ほら、(みつる)の弟だよ」  祖母に手を引かれて、母と生まれたばかりの弟に会いに行ったとき、祖母は愛しいというより、痛ましいものを見るような目で、保育器の中の孫を見ていた。 「可愛いだろう?」  うんと言った方がいいことは、三歳の俺でも分かった。しわくちゃの弟を観察しながら、かろうじて「うん」と言った。  こんな弱々しい生き物が、自分たちのような人間になるなんて、信じられなかった。俺のこの直感は、ある意味正しかった。  弟は生まれた時から病気を抱えていた。医者は悲痛な顔をして、大人になる、つまり二十歳(はたち)まで生きるのは難しいかもしれないと、親である俺の両親に告げた。  俺の両親、特に母親は強い人だった。少なくとも俺の前では、悲嘆を見せることもなく、息子の運命と戦う決意をした。 「病を克服し、大人になった人もいます」  息子もそうさせてみせます。  医者は頷くしかなかったと思う。父も、それは無理だよと言うことは出来なかっただろう。 「では、共に頑張りましょう」  希望という名の、決して否定してはならない免罪符を手に、出口のない道を突き進むことが決定した瞬間だった。  重い病を克服した人もいる。抱えたまま、大人になっている人もいる。そういう人は、テレビや雑誌、新聞で取材されたり、本を出したりする。  でもその何倍も、克服出来なかった人がいるのだ。
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