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「あれは呪いの言葉だよね。お陰でわたしたちは一生あの日のことを忘れられない」  ブーブーと鼻を鳴らす勢いで、美月は文句を言った。 「ほら、見えてきた」  美月が指さした方に、我が家の墓があった。見えはしたが、まだ上の方だ。 「なんだって、あんな上の方に墓を建てたんだ?」  俺は悪態をついた。全く罰当たりだ。  ただ、母はここに朔が眠っていると思っていない。  朔が亡くなってから、通夜葬儀と悲しむ間もなく、両親はバタバタと動いていた。  通夜でも葬儀でも、弔問客は皆心の底から母に同情し、今までの苦労をねぎらってくれた。母は親せきや友人に肩を抱かれながら、ハンカチを握りしめ、一緒に涙を流していた。しかし、取り乱した様子はなく、あくまでも、息子を亡くし哀しみに暮れる母親に納まっていた。きちんと最後の一人までを、頭を下げて見送っていた。  俺は夢の中にいるような気分でありながらも、母が朔の死を受けて、狂っていないことに安堵した。  葬儀が終わり、朔は荼毘に付され、小さな骨壺に入れられ、我が家に帰った。  俺たちはくたくたになり、精進落としの残り物をお腹に入れると、シャワーを浴びて、ベッドに倒れ込んだ。  朔との最後の会話から、今日この瞬間までの出来事が、まるで誰かの小説のように断片的にコマ送りとなり、頭の中を流れていた。  明日がどんな明日になるのか、全く分からないまま、眠りに落ちた。  翌朝、母の呼ぶ声で目が覚めた。ああ、今日から学校に行かなきゃいけないんだっけ。  頭を掻きながら階下(した)に下りると、五人分の朝食が用意してあった。  俺は固まった。同時に起こされたのか、父と美月もダイニングに顔を見せ、そのまま固まった。 「ママ、五人分あるよ」  勇気ある美月が母親に言った。  母は怪訝そうな顔で、美月を見た。 「そうよ、なに言ってんの。うちは五人家族じゃないの」  ああ、母は亡くなった朔の分も、用意せずにはいられなかったんだ。そう思った。 「朔だけじゃないの。ちゃんと起きてきたの。まぁ、今日が初登校だから、緊張しているんだろうけど」  母はサラリとそう言い、コップにお茶を注いだ。  父は絶望に顔の色が白くなり、俺は吐き気をもよおし、美月は恐怖に歪んだ顔で、母を凝視していた。 「さぁ、みんな早く食べて。わたしも出かけなきゃいけないから」 「……朔は死んだよ、母さん。昨日、葬式したろ?火葬場で骨になった朔を拾ったじゃねぇか!」  最後は叫んでいた。何に向けてなのか分からない怒りに襲われて、心の底からの声で叫んだ。  母は手を上げ、俺の頬を打った。  ペチッ  その音は全く響かず、間抜けな余韻を残した。 「ひどいこと言わないで、朔はそこにいるでしょう」  そう言って、まっすぐ食卓の席を指さした。入院する前、朔の指定席だった場所。入院している間は、誰もそこに座らなかった。  それでも入院中に、朔の食事を母が作ってしまうことはなかった。きっちり四人分しか作らなかった。この一年間、母は四人分しか作らなかったのだ。朔は家にいないと分かっていたから。  父はハッとし、仏壇のある部屋へ駆け込んだ。俺たちも後に続くと、父は仏壇に置いてあった骨壺を、押し入れの中に隠した。  振り返った顔は、涙に濡れていた。 「納骨には僕たちだけで行こう。母さんの中では……」  歯を食いしばり、歯の間から絞り出すように呻いた。 「朔は退院したんだ」  母が朔の死を受け入れたと思っていたのは、錯覚だった。  あの、葬儀の最中の母は誰だったのだろう。本当に母だったのだろうか。  昨夜一晩の間に、母の中で何があったのだろうか。  それからずっと、母は朔と共に生きている。母の中では、朔は高校ではテニス部に入ったらしい。大学受験に一度失敗したが、一浪して頑張って志望校に入ったそうだ。そして、東京で就職した。まだ独身だが、盆と正月には帰って来る。  朔を絶対死なせはしないと決意していた母と違って、十三年間かけて息子の死を覚悟していた父は、朔の死後、五年間母に寄り添ったが、ついに十八回目の朔の誕生日の翌日に、家を出た。父には父を支えてくれる(ひと)がいた。  親戚をはじめ、周りの人は父を責めたが、俺たち兄妹はちっとも父を恨まなかった。  母は、息子の死を受け入れた父を許さなかった。それでも母と一緒に立ち直りたいと、必死になる父を嘲るように、母は朔にのめり込んだ。 「もういいよ」  そう言ったのは俺と美月だ。 「母さんはあれで幸せなんだ。父さんも幸せになりなよ」  父は小さく頷き、子どものように涙を流した。
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