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「い……や……」
私は口を押さえながら後退った。石垣に背が当たり、そのままずるずると身体が沈んでいく。
「結子っ! おいっ、大丈夫か?」
川北くんが私の腕をつかむ。その慌てた顔が、小学生の頃の将ちゃんに重なった。
『結子っ! どうしたんだよ』
『落ち着けって、結子! 何があったのか、ちゃんと教えろ』
あの日、どうしようもない絶望感に襲われて唇を震わせていたら、将ちゃんが私のことをまっすぐに見てそう言ってくれた。だけど私は息が上手にできなくて、とにかく悲しくて、すがりつくように将ちゃんの服の裾を握ったんだ。
「しょ……ちゃん」
「萌香! 店長呼んできて」
「う……うん、わかった!」
ふたりの声が遠くなっていく。まるで深い水の中でおぼれているみたいだ。必死にもがいて水面を目指そうとしているのに、泡だけが浮かんでいく。
「将ちゃん……苦しい」
「結子、いいからゆっくり息を吐け」
将ちゃんが私の背中をさすってくれる。温かいその手に集中して息を吐くと、少しずつだけれど呼吸が楽になってきた。薄く目を開けると、幼い将ちゃんが、「結子」と必死に名前を呼んでいる。
「……将ちゃん、私はいないほうがよかったのかな」
そう言ったら将ちゃんは驚いた顔をした。だけど、すぐにあきれたように「そんなわけないだろ」と言ってくれる。
「結子は俺にとって必要な存在だよ。結子がいないと、今の俺はいないから」
私は、ずっとそのひとことを言ってほしかったのかもしれない。お父さんにも、お母さんにも。徐々にまどろんでいく意識の中で、王子様みたいな将ちゃんが私の手を握ってくれているような気がした。
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