その頃の茨木~平安京にて~

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 いくら『鬼狩り将軍』の頼光だとて、人間(ヒト)である。武勇に優れていたとて、唯人(ただびと)に過ぎぬのだ。  安倍(あべの)晴明(せいめい)ほどではないにしても、術者の一人でも連れてゆけばいいものを。 (※頼光以下四天王が不在中、晴明は(みやこ)を守護せねばならぬので同行出来ない。)  けれど。朱天は頼光を気に掛け、警戒している。朱天と茨木には、破魔の矢や退魔の太刀でさえ、効力を発揮するかどうかは怪しいと言うのに。  破魔の矢や退魔の太刀がなくとも。頼光や四天王は、単純に武力に優れている。剣術や弓術などだけで言えば、大江山鬼族を上回るかも知れぬ。 -だが。鬼の強さと言うのに、剣術の腕や弓  術の腕は、全く関係ないのだ-  鬼の強さと言うのは、即ち『妖力(ちから)の強さ』。特に朱天の妖力は桁外れだ。  鬼本来の姿に戻らずとも、大江山鬼族全体を相手にとって、互角以上の闘いが出来るだけの妖力がある。  朱天がその気にさえなれば、平安京(たいらのみやこ)など、三日もあれば滅ぼせよう。ただ、それだけの妖力を持つ朱天自身に、全くそんな気がない………と言うだけ。  朱天が微塵もそのようなことを考えないのにも、朱天なりに幾つかの理由がある。
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