その頃の茨木~平安京にて~

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-首魁にあるまじき、無責任な事やも知れぬ  が、朱天は永き(とき)を生きようとは思わない-  元より、いつ死んでも惜しくはないのだ。だって、きっと〝変わらぬ〟から。人間(ヒト)も鬼も、その関係性も………何一つ変わらぬのだろう。  幾百、幾千の刻が過ぎても、時代を経ようとも………鬼と人の関係性は、きっと変わらぬ。    -いや、変わろうはずもないのだ-  鬼が人を理解出来ぬ限り、人が鬼を認めようとせぬ限り。変われるはずなど、ありはしない。    寧ろ、相手を理解していないのは人間(ヒト)の方やも知れぬが。酒呑は朱天に変わったこと、鬼が人を喰らうことはおろか、殺しも傷付けもしないこと。  無論、それは大江山鬼族に限ったことだが、も京の人々は知らぬのだろう。  知らぬことは悪でも咎でもない。だが、知ろうともせぬことは、悪であり咎であるのだ。
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