The Plough

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 食事とシャワーが終われば後は自由時間である。   刀の手入れを終えて紫苑は一人医務室へと向かった。   ――あの人との約束すっぽかしたらロクな事が無いからなぁ。 電気ショックを与え続けられ間違いを恐れる鼠の様に半ば反射的に足が動く。   分厚い扉を叩けば、鍵を外す音がして中から金髪に淡海色(アクアマリン)の眼の女性が姿を現した。 「てっきり無視して寝るかと思ったけど、来たんだな。」 「だってメグ姉の場合そんなのしたら後で何されるか判んねぇし。  …そいで、この機材の山は何…?なんかの実験の被検体(モルモット)のされるのはもう日本で十分なんだけど。」  広い部屋の中には、レントゲンやら何かの成分分析装置やら得体の知れない機械群が所狭しと並んでいた。 「まさか、今日はこっちを使うつもりは無いし、これはただの宝の山だよ。…今日使うのは奥の部屋だ、まぁついて来てくれたまえ。」  彼女が通したのはこの部屋よりも少し小さめの診察室のような部屋。 「にしても、五年前は殆ど瀕死だった君が、まさかまた外地の合成獣(キマイラ)狩りなんて命が何個あっても足りなくなるような仕事するとか。馬鹿の魂百までってこの事を言うんだろうね。まぁ、ドクターストップを解いたのも私なんだから君に怒る訳にもいかないんだけど。」  血液検査の準備をしながら呟くように彼女は言う。 感慨の様なものがこもった声だった。 「メグ姉はやっぱり反対だった?」 「当たり前だろう?患者を死なせて喜ぶ様な医者はいない。それに一応後見人なんだからな。まぁ戦力としては、“黒髪(シュヴァルツァ)”ってだけで欲しいっていう奴も上層部には居るけどな。   何しろ、五年前の大侵攻で保護した黒髪(シュヴァルツァ)も含め異能者(モザイク)の大多数が死んで、ベルギー地方が陥落した。これで“協会”の評判はガタ落ち、今は何とかそれを上げる為に強い異能者(モザイク)はどんどんこういう外地の危険区域に追いやられているらしいから。」  大侵攻、その言葉を忘れた事は無かった。   何しろ、彼女に出会ったのがその事件の折なのだから。  ――君は、何かを失っても生き延びたいか…? 今でも、あの時の言葉は忘れない、忘れられない。     注射の針が、赤黒い静脈血を吸い取り、注射器の中を満たしていく。   同じ色なら、ベルギー(あそこ)で何度だって見た。   昨日まで仲良く話していた筈の同胞の肉塊を集めて、死体袋に詰め込んで。   その作業が終わる頃には手も顔も服もヌルヌルとしていて、その色がこびりついて取れなくって。   酷い鉄の臭いがした。 「紫苑、どうした?ボーとして。」 「いや、久しぶりに、自分の血を見たなって」 「まぁ、君の場合、内地に現れるはぐれ合成獣(キマイラ)ぐらいなら、掠り傷一つなく殺せるだろうからな。それにしても相変わらず血糖値低いな、異能撃つのに不便じゃないか?」 先にも述べたように異能を使うことで消費されるものは二つ。   人間の寿命ともいうべきテロメア(細胞分裂の回数券)と体を動かすエネルギーを作るATP合成の要、グルコースである。 特に後者は、消費量が前者に比べて大きく、摂取すれば割と何とかなる物なので、これは遠回しに、“ちゃんと食べろよ”というメッセージなのだが、胃が貧弱なのでしょうがないと紫苑は無視している。 ……紫苑としては、これでも一日三食、一汁三菜ちゃんと食べてるつもりだが、一食にスタミナ丼みたいなのを三杯も四杯も食べるレイとかアリシアとかで平均ならしい。  因みに食堂で一番の人気メニューは50gのバターを油で揚げたフライドバターというものでアメリカ発祥の高カロリー食品だ。   それも異能者(モザイク)が生まれる前から存在するという。 嘗て第二次世界大戦でアメリカに日本が負けたのも至極当然だろう。 異能者の自分でさえ食べる気にならない――食べ物とは思えない、こんな代物を食べる一般人にはたとえ自分が異能者(モザイク)であっても勝てる気がしない。 「不便って訳でもないよ、別に、消耗の大きい減速系の力はあまり使わないから。まぁ、一応グルコース溶液のアンプル六本ぐらい用意してくれると嬉しいんだけどね。良い?」 検査は思ってたよりも早々に終わり、詳しい結果は後で報告するからとマーガレットは紫苑に透明な液体の入ったカートリッジを渡す。 「さっき言ってた、グルコース溶液な。間違っても一気に体ん中入れるんじゃないぞ、ただでさえ貧弱な君の膵臓に過剰な負担かける訳にいかないから。あと一本“アレ”入れといたから。」 血糖値が一気に上がるというのは恒常性(ホメオスタシス)を保とうとする哺乳類にはかなりの負荷である。それを見越しての言だろう。 「それと、忘れ物だ馬鹿。」  彼女が差し出すのは、ガンケースと特殊弾薬の入った箱。 どうやらもう明日の任務とやらの話は聞かされているらしかった。 「これは私がずっと持ってて良い物じゃない。」 ケースの中に入っていたのは見覚えのある銃。 至る所に細かく傷の入ったブローニングハイパワーである。 一瞬紫苑は大きく目を見開いた。 「これ……紫暮の。」  たった一人の双子の弟。   彼の得物だったそれを、今更見間違える訳がなかった。   声が震えたのは、それは自分の罪の証だったから。 ――意識を取り戻して、アイツが居ない事を知って、自分はその銃で頭を撃ち抜こうとした。彼の存在を(けが)し、彼が繋いでくれたモノを無駄にしようとした。  だから、   ――――自分がそれを持つ資格は、  受け取るのを戸惑う紫苑に笑いかけ、マーガレットは彼に押し付けるようにしてそれを持たせる。 「そう、お前の弟の形見だよ。もうあの時(五年前)みたいに、それ使って自殺しようとかするなよ?それで、生きて帰ってこい、ここの周りはそれなりに危ないんだから。刀とアレだけじゃ心許無い、君はともかく私が心配だ。それに君が自分を許せなくても、私が許す。だから問題なんてないだろう?」 「…わかった貰っとく。じゃあまた明日。」 流石にここまで真剣な様で言われてしまえば受け入れるほかない。 そう言って紫苑は部屋を後にした。     もう今日も遅い。気付けば体は重く、かなり疲れているらしかった。 ここに辿り着いてからすぐ合成獣(キマイラ)の大群と、この支部の異能者(モザイク)双方と刃を交えたのだから仕方ないかもしれない。 久しぶりに義姉と話せて安堵したからだろうか、そのまま紫苑は自室へ辿り着き、ベッドに倒れこむようにして寝てしまった。 夢は見なかった。
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