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元老院の総意に異論を唱えたガッツォに対して、満場の元老院議員たちは一斉に立ち上がり、怒号と共に小指を立て、彼に対して最大限の侮辱を放った。
だが、ガッツォは全くひるむことなく、逆に両手を広げ全ての元老院議員を見渡すと、雷霆のごとき大声で問いかけた。
「ならば問う、愚かなる元老院議員どもよ。
ウドゥンの永遠の友、カマアケルを救うのは信義である。
その一方で、銀貨で買い集めた傭兵に過ぎぬナニアの海軍を恐れ、相手が一万に対して三千では足りぬ、せめて五千は欲しいなどとぬかすのは打算である!
信義と打算をオオクニヌスの天秤にかけ(注1)、やれ打算の方が重いから、こちらを選べば安全であろうなどと考えるその浅慮たるや、まさに国を滅びに駆り立てる愚行と呼ばずして何であろうか! 答えたまえ元老院諸君!」
ガッツォのこの言葉に、ある者はその怒りの灯明皿にオリーブを絞り(注2)、また若干聡明である別のある者は、何かに気づいたかのようにその場に立ちつくした。ガッツォは怒りに拳を振り上げながら演説を続けた。
「考えてもみよ諸君。海軍を三千から五千に増やすのに、一体どれほどの年月を要するというのか。食糧も兵も乏しいサイガが、それまで持ちこたえられるという保証はどこにあるのだ。
もし、今ここで我々が直ちに同朋カマアケルを救わず、彼が耐え切れずにナニアの軍門に降ったとしたら、イナニアに割拠する諸部族は、今後我々ウドゥンのことをどのように見るであろうか?
イナニアの諸部族たちは、常日頃よりウドゥンとソマの間で旗幟を明らかにせず、その時その時で強い方に付こうとしている。そんな彼らが『長年の信義で結ばれたあのカマアケルですら、ウドゥンは見殺しにする。いわんや我々なぞ、いざとなれば簡単に切り捨てられるに違いない』と考えて我々ウドゥンを離れ、より頼りになるソマの方にすり寄っていくのは明白であろう。
諸君。イナニアの諸部族が、我らウドゥンを見限って、一斉にあの六本指どもに尻尾を振り始めた後で後悔をしても遅いのだぞ。
我らウドゥンが誇るものは何だ? 優れた文明か? コンピラーノの丘の壮麗な石造りの神殿か? 倉に蓄えられた潤沢な銀貨か? 強力な軍船と重装歩兵か?
否。我らウドゥンが誇るべきは、信義である!」
ガッツォのこの演説に、元老院の議場はセトナイの海の夕暮れのように(注3)一転して静まり返った。唯一、執政官ゴトーのみがガッツォに対して反論した。
「しかしガッツォ・キシメヌス。汝の言わんとすることは我々も重々承知している。だが、海の向こうのサイガに我が軍勢を送るためには、まずセトナイの海を支配する強大なナニア族の海軍を倒し、航海の安全を確保せねばならぬ。
それが不可能であるからこそ、我々は海軍を増強する事を優先しようとしておるのではないか。汝の説は耳には快いが、現実においてはエチュウスの海上庭園(注4)のごときものに過ぎぬ」
執政官ゴトーの問いに、ガッツォは高らかに笑いながら答えた。
「確かに、軍勢がセトナイの海を渡りサイガにたどり着けぬことには、信義も何もあったものではない。しかし安心めされよ。執政官ゴトーはナニア海軍の一万人という数字だけを見て、あれやこれやと机上で忙しく算術盤を動かされているようだが、戦いは総合の数ではない。
この衆人環視の場で詳しく軍機を申し上げることはできないが、このガッツォ・キシメヌスの脳には、すでにセトナイの海を渡りカマアケルを救い出すための策が出来上がっている。
願わくは賢明なる元老院諸君、このガッツォに一軍を授け、カマアケルの救援をこの私に託しては頂けないか。必ずや、勝利の栄光をコンピラーノの丘の軍神ウィシャモヌスの神殿(注5)に捧げることを誓おう」
訳注
(注1)「信義と打算をオオクニヌスの天秤にかけ……」オオクニヌスは別名ダイコクヌスとも呼ばれ、コンピラーノ12神の一人で商売と蓄財の神。オオクニヌスが持つとされる天秤は商人のシンボルとされ、物事を目先の損得だけで考えることを「オオクニヌスの天秤にかける」と呼んだ。
(注2)「ある者は怒りの灯明皿にオリーブを絞り……」燃え上がるような怒りに、さらに燃料となるオリーブの油を足して勢いを強めることを指す慣用句。
(注3)「セトナイの海の夕暮れのように……」セトナイ海は内海で常に波は穏やかであり、しばしば静かであることを表す慣用句として用いられた。
(注4)「エチュウスの海上庭園」大陸にかつて存在したエチュウスの国でしばしば目撃されたという伝承が残る、海上に浮かぶ庭園のこと。現代でいう蜃気楼のことだと考えられている。実際に沖に出るとそこには何もないため、幻のような現実味のない提案の例えとして使われるようになった。
(注5)「軍神ウィシャモヌス」コンピラーノ12神の一人で軍隊と勝利の神。別名タモヌス。
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