5.ガッツォの策

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5.ガッツォの策

 サイガの町で窮地に陥っているサイガ族長カマアケルを救うためには、まずはセトナイの海を渡って大陸側に上陸せねばならない。  しかも、首尾よく大陸に上陸したところで、サイガの町を囲むナニア陸軍は二万人にもおよぶ。それだけの大軍とまともに戦うためには、少なくとも五個軍団、一万五千人の兵力を送る必要があると誰もが考えていた。  だとすると、わが国でそれだけの大軍団を乗せた船を護衛できるだけの数の軍船が揃っているのは、首都ウドゥンの軍港しかない。ウドゥンの軍港からサイガの町までは、風に恵まれた航海だったとしても海路で五日間はかかる。  もちろん、我らがウドゥンが大陸に陸軍を上陸させようとしたら、ナニア海軍も黙ってはいない。強力なウドゥンの重装歩兵が大陸に渡ってしまう前に、全力でその船を沈めようと妨害してくるはずである。となると、陸兵を満載した船団を護衛しようとするウドゥン海軍と、その船団を沈めようとするソマ海軍の間で、大海戦になることは絶対に避けられない。  ほとんどの人々がそう信じて疑わない中で、世界で唯一、ガッツォだけがこの思い込みから自由であった。  ガッツォは市場に出入りする商人たちから得た情報を総合して、傭兵で成り立つナニア陸軍の内情を正確に理解していた。そして、サイガに送るべき軍勢は、最精鋭の第七軍団三千人で十分であるとの確信を得たのである。  三千人であれば首都ウドゥンの軍港を使わなくとも、地方港のアヴァからでも送り出すことができる。もっともアヴァにまともな軍船はほとんど無く、足が遅く攻撃に対して脆弱な商船を使うことにならざるを得ないのだが。  しかし、アヴァはウドゥン島の東端にあって、その岬からは天気が良ければ遠く対岸のサイガが見えるほどに近い。サイガまでの行程は軍船でたった半日、商船でも一日しか必要としない。ただその短い航海の間だけ、敵の軍船に遭遇しなければよいのだ。  一方でナニア海軍は、そんなガッツォのひそかな狙いに気付くこともなく、ウドゥンの軍港から重装歩兵を満載した軍船が出港したら、すぐにでも襲いかかるべく厳重に警戒を続けていた。そしてその分だけ、セトナイの海の中央から遠く離れた、東の辺境にあるアヴァの小さな港への注意を怠った。  ガッツォは極秘裏に、第七軍団と共に東オヘンロ街道(注1)を通りアヴァの町へ急行した。その一方で、海軍の総司令官を務めている弟のコンブリオ・キシメヌスは、三千のウドゥン海軍を率いて盛んに周辺海域を動き回った。  コンブリオの役割は、アヴァから秘かに出港する第七軍団から、ナニア海軍の目を逸らすことにあった。コンブリオは連日、さも今日まさにウドゥン重装歩兵を乗せた船が出港すると言わんばかりの派手な動きで、ナニア海軍の目の前をうろついた。それで精強なナニア海軍の軍船が現れると、すぐにウドゥン軍港に逃げ帰り、決してまともに戦うことはなかった。  一方、陸路アヴァの町にたどり着いたガッツォと第七軍団は、商船に分乗すると対岸のサイガに向かって出港した。  護衛の軍船は沿岸警備用の小船五隻しかなかったが、それには勇猛なホートー軍団長が自ら乗り込み、精兵ぞろいの第七軍団の中でも特に選りすぐられた猛者たちが乗船した。だが、誰もが船上での戦いは初めてであり、陸上では獅子のごとき勇猛さを見せる重装歩兵たちも、勝手の分からぬ海上ではシュレティカヌスの猫のようにおとなしい。(注2)  船は順調に海路を進み、一日かけて対岸のサイガ周辺の海域にたどり着いた。コンブリオの陽動が功を奏したのか、その間ナニア海軍の船と遭遇することは一度もなかった。  ちょうど時刻は夜半であった。ガッツォは敵の目を避けるため、日の出を待たずにこのままサイガから少し離れた漁村に船をつけ、軍団を上陸させてしまおうと考えた。船員たちは、真夜中の入港作業は危険であるし、周囲がよく見えない夜中にこれだけの数の船を狭い漁港に一斉に入港させようとしたら、大混乱になって逆に時間がかかるだろうと言って反対した。  ガッツォは海に慣れた船員たちの反対を押し切って、夜中のうちに漁港への上陸を強行した。だが、結果は果たして船員たちの危惧した通りになった。(注3)  暗闇の中を狭い漁港に殺到したウドゥンの商船たちは統率を失い、互いに衝突しあって、何人かの兵士が激突の衝撃で海に投げ出された。  周囲がよく見えないため、上手に港に着岸できず無駄に時間を要したばかりか、着岸して重装歩兵たちを上陸させ終わった船が次の船と交代しようにも、作業を焦る船たちが我先に港に殺到し、それらの船が港内にすき間なく詰まってしまったため、外に出ようにも進む場所がない。イナニア人と違って海に慣れないウドゥン人の弱点が、このような場ではっきりと露わになった。  軍勢の三分の一も上陸できていない状態で、日の出となった。  明るくなったことで上陸の作業は若干順調に進むようになったが、この頃には我々の動向はサイガを囲むナニア軍の知るところとなり、ナニア海軍の軍船十五隻が、遠くサイガの方向から全速力で向かってくるのが見えた。 「軍団は上陸を急げ。我々はここでナニアの船を食い止める」  たった五隻の小さな警備艇に乗ったホートー軍団長が、虎のような鬚を怒らせながら船員に指示を飛ばし、警備艇は港の前にひしめく商船たちの前に壁を作るようにして横一線に並んだ。 788eb17a-434f-4f45-84a6-de9c9c0715e3 訳注 (注1)「東オヘンロ街道」後のウドゥン帝国期になると、ウドゥン島を環状に巡る巨大街道網を形成するオヘンロ街道だが、この時代はまだウドゥン―ドウゴ間とウドゥン―アヴァ間しか開通しておらず、それぞれ西オヘンロ街道、東オヘンロ街道と呼ばれていた。 (注2)「シュレティカヌスの猫」哲学者シュレティカヌスが弟子たちを戒めるために使われた猫。  シュレティカヌスは自らの飼い猫を箱に詰め、弟子たちに「これは猫であるか?」と問うた。弟子たちは「猫である」と答えたが、シュレティカヌスは「猫の鳴き声が聞こえたのならまだしも、ただ箱の中で何かが動く音がしただけで猫と判断するのは、先入観に囚われて目の前にある事実をありのままに捉えられていない証拠である」と弟子たちを叱った。  転じて、慣れぬ場所に閉じ込められておとなしくしている人間のことを「シュレティカヌスの猫」と呼ぶようになった。 (注3)「結果は果たして船員たちの危惧した通りになった」イナニア戦記の特色として、作者であるガッツォ・キシメヌスが自らの失敗もありのままに叙述している点がある。ここでも、海に慣れた船員たちの助言を自分が無視して失敗したことを、ガッツォは素直に認めている。
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