#1 唐突な遭遇

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#1 唐突な遭遇

 俺の名は悟。何の変哲もない、平凡な文系の大学生だ。  さて、イキナリでなんだが、俺は今、とてつもなく奇妙な状況に遭遇している。……いるが故に、強く思うことがあるのだ。  それは、俺が目の前にしているのは、あまりにもあまりな『ありがち設定』なのだということだ。これまで散々に使い古された、実績のある設定と言うのだろうか? とにかく、とてつもなくありがち度MAXなものであることは違いない。それとは一体何か?  見知らぬ美少女が、俺の目の前で気を失って倒れているということだ。  見たところ、高校生かそれくらいの、ちょっと子供っぽいようなあどけなさというのか幼さを残した……まあ、間違いなく美少女だ。かなり可愛い。白い柔肌に艶やかな黒髪。有名なアイドルグループに所属していると言われたとしても、そうなのですかと疑うことなく頷いてしまうかのような、べっぴんさんだ。  そしてこの場には、彼女と俺以外誰もない。そういった類の、奇妙な状況に俺は今遭遇していたのだ。  古今東西、アニメーション、コミックス、ノベルス、そしてゲームと、どれをとってみても、必ずどこかしらで出会うようなありがち設定だこれは。ボーイミーツにおけるベタベタな王道設定なのだと、多くの人が思うことだろう。 「マジかよおい」  事情は定かではないが、倒れて気を失っている美少女というものは大抵が儚げで、どこか薄幸で守ってあげたくなるようなイメージを抱くものだ。  まあいい。そんなことよりも、とにかく今は現実に目を向けよう。美少女であれなんであれ、人が倒れているならばまずは声をかけてみるものだ。困ったときはお互い様。人助けの精神、これはとてつもなく大切なことなのだ。 「おい。大丈夫か?」  後になって俺は思う。二次元ならともかく、三次元レベルでこのような、今時の言葉で言うところの『萌え』を狙いまくりのシチュエーションに遭遇したときは、わかっていても気が動転するものなのだな、と。 「……」  声をかけてみたが、彼女からの返事はない。だから引き続きゆさゆさと彼女の身体を抱き起こして揺するが、慌ててやめる。もしかしてこの対応は間違いだっただろうか? そう思ったから。救命講習とか、特別に受けたことはないが、揺さぶるのは良いことではないのだと聞いた覚えがあったのだ。  ちなみにここは、俺が一人で住んでいる部屋の近くの路地裏だった。それも、車が入れないような細っこいような、ロクに人が来ないような狭いところだ。夕暮れ時を過ぎていて辺りは既に暗くて、尚更人の気配などありゃしない。この世界に取り残されてしまったような、そんな都会の空白地帯だった。  更に言うと俺は、両手に大手スーパー『ジオン』のビニール袋をぶら下げて帰る途中だった。食い物や飲み物、食材などをたんまりと買い込み、重い思いをしながら歩いていたわけだ。  それだけならば何の変哲も無い日常風景なのだが、普段と決定的に異なっていたことは、この路地裏にこのように、見知らぬ女の子が倒れていたということだ。たまたまちょっとばかり近道をしようとするかしないかで、このような現場に遭遇する『フラグ』が立ったのだろう。 (行き倒れか?)  その娘は見た感じ、年の頃が十五歳から十八歳くらいで、長くふんわりとしたボリュームたっぷりの黒髪を赤、青、緑という信号機のようなカラーリングの髪ゴムで三つに、ちょっと変な形にまとめていた。そして顔は、先程もアイドルに例えたが……。 (すげぇ可愛いな。ちょっと幼い感じもするけど。って、そんなこと言ってる場合じゃない)  再度声をかけてみて、彼女の安否を確かめる。もしも応答がなかったら……そうだな。すぐに病院に連絡を入れてやらないといけない。その前に、AEDはどこにある? だが、悲しいかな。こんな路地裏じゃどこにもなさそうだ。であるならば、延命措置として心臓マッサージでもしなければいけないのか? 「おい! 大丈夫か? 聞こえてるか? 返事をしろ!」 「……」  何度となく呼びかけてみても返事はない。彼女はとにかくぐったりとしている。 「おい! おいってば!」  しかし、声をかけ続けた甲斐があったのか、彼女は静かに目覚めていた。 「……」  ぼうっとした儚げな表情。戸惑いを浮かべながら首を傾げ、上目遣いで俺を見つめている。普通だったらここで、一目惚れというお約束名フラグが立ったりするものだが……。 「……。ここは誰? 私はどこ?」 「いや。それ、違うから」  コメディ的にはお約束のようなボケをかましてくれるが、その次の行動に比べれば大したインパクトではなかった。  俺が彼女を助け起こそうとして、その体に手を伸ばした時のことだった。 「気付いたか。意識はあるんだな? 動けるなら、とにかく起きろよ。具合が悪いなら救急車でも呼んで病院に連れて行ってやるから……」  暗に、俺は怪しい者ではないよと、優しく笑いかけてそう言った。言ってやったのだが……。 「って……。痴漢ーーー! あにすんのよおおおーーー!」 「ぐはっ!」  バキッと一発殴られる俺がそこにいた。それも、カウンターパンチの如く良いタイミングで。……もし、彼女を抱き起こしていなければ、宙を舞っていたかもしれないくらいの威力。っとに、細い腕のくせして、ボクサーばりにいいパンチをしてやがるぜと、褒めたくなるような一撃だった。 「ってぇな! 何しやがる!」  俺は強打された鼻を手で押さえながら、怒鳴り返していた。 「あたしの身体に触ンなこのど馬鹿やろーーー! 辺りに誰もいないことをいいことに、路上にあたしを押し倒してあーーーんなこととかこーーーんなこととか、とにかくひたすら卑猥で猥雑でやらしいこととかしようとしてたんでしょ! ぺたぺた触ってぬぎぬぎさせてずぷずぷずっぷずぷって、その先までしよーとしていたんでしょ! うきーーーーーっ! 白状しなさいこの変質者! 変態! 強姦魔! ピッキング犯! 空巣! 車上荒らしの国際テロリスト!」  実に理不尽な言われようである。というか、何故に俺がピッキング犯その他なんだろう? それに、国際テロリストが車上荒らしみたいなケチくさいことをしたりするものだろうか? まるでワケがわかんねぇ。  ともかくもまあ『儚げでおしとやかな美少女』という可憐なイメージ像が一瞬にしてガラガラガラッと崩れ落ちていくような、そんな気がしたのは確かだった。 「んなわけあるかっ! 行き倒れかと思って親切にしてやりゃ、人を痴漢呼ばわりするんかどアホっ! 心配して損したぜ、このバカ女!」  そして俺は『とんでもねぇアホ女を相手にしちまった、やれやれ』と、思いながらため息をつき、彼女に背を向けてその場を立ち去ろうとしたのだ。が……。心底やれやれと思うのは、その後の方だった。 「う~~……ぅぅぅ。ご、ごはん……きゅぅ~……」  突如、威勢の良かった彼女は、ガソリンが切れた自動車のように勢いを無くし、民家のブロック塀にずるずるともたれかかるようにして、倒れ込んでいた……。 「ぎょにゅっ……!」 「……」  そしてまたまた意識を失ったのだった。倒れる時の悲鳴が、何というか、例えてみるならば、大きな蛙が一気に潰れたような変なものだったが、とりあえず気にしないようにした。したかった。  ……って、さすがにこの状況下で放置することはできないっ。それがたとえ、親切にしてくれた人に罵声を浴びさせかけるアホ女だったとしても、だ! 「お……おい!」  まじかよ、と思いながら振り返って再度彼女を抱き起こすと……。ぐきゅるるる……ぐるるるる……きゅううううっ……と音がした。腹の音までうるせぇ女だ! 「はぁ?」  これまた可憐な美少女のイメージからはほど遠いような、リアルすぎるお腹の音が断続的に聞こえてくるのだった。ああ、なるほど。とりあえず、深刻な急病とかではなさそうだ。これは単に腹減りなだけだ。数日レベルの断食だろうか? とにかく俺には彼女が、余程腹が減っているように見えた。心配して損した。 「おなか……すいた、の……よぉ……にゅふー……」  これは俺への返事か、あるいはうわごとなのか、果たしてどちらなのだろうか? 「やれやれ」  今度こそ反撃のカウンターパンチを出す余裕も無さそうだったので、俺は彼女を見捨てるわけにもいかず、背中におぶってアパートに連れて行くことを決意するのだった。  後から思うと、適当なところで降ろしてやって、そのまま警察にでも連絡してもよかったのだが、何故だかその時の俺は自宅に連れて行くという選択肢を選んでいたのだった。何故、そんな気持ちになったのかは、今もってわからない。  彼女の、女子にとってのデリケートゾーン。すなわち、胸とかお尻には極力触れたりしないように、手のポジションには注意しておんぶした。……ここまで気を使ってやっているんだ。変質者呼ばわりされる筋合いはまるでないぞ、このど畜生がと、恨み言の一つでも吐いてやりたかったが、どうせ聞こえてないだろうし、虚しいからやめておいた。  ……確かに、警察を呼んだりしたら色々面倒くさそうだな、とは思ったけれど、後になって考えてみたら更に面倒くさい事態になっていたのだった。  つまりは、これがこれから起こる騒がしい毎日の引き金になったとも言える出会いなのだった。最低最悪か、あるいは考えようによっては最良とも言えるものだろうか? 「くっ。さすがに重いな……」  いっぱいに詰まったレジ袋を両手にし、更に背中には華奢で軽めとはいえ、一人の女の子を丸々おぶっているわけだから、それなりに重くはなる。……俺はよろめきながらも、どうにかしてアパートまで帰っていくのだった。 「ぐぅぅ。も、もう少しだ。頑張れ、俺!」  とにかくも。俺はこのように、ありえないシチュエーションを体感したのだった。 ◆ ◆ ◆ ◆ 「うががうがうががーー!」 「……」  それは彼女が再び意識を取り戻した後の風景だった。  ああ、まさに、漫画みたいな食欲だ。今ならば、漫画に出てくるような骨付きのでかい肉だろうと、豚の丸焼きだろうと、何でも完食しちまうことだろう。 「んが、んが、んがががが! ん、ん、んんんんっ! んぐっ! んがーーーーっ!」  食う。食う。食う。ひたすら食う。食いまくる。恥も外見もありゃしねぇくらい食う。ついでに俺の分まで食っちまう。徹底的に食い尽くす。結果的に、今晩食うものが無くなった。食料が尽きた。尽きやがった!  ……もう週末だし、俺もバイトやら学業やらで疲労がマックスだったので、夕飯は適当に買ってきた食い物だけで間に合わせるつもりだったが、今から米でも炊くしかなくなってしまったじゃねーか! なんて迷惑なやつだ! 「んんんんんーーーー! これ……ずるずるずるっ。さいこーに……ちゅるちゅるちゅるっ。美味いわね……ごっくん! ずちゅるずちゅるずちゅるぶちゅるちゅるっ!」 「あぁ? 知らねーのかよ。こんなメジャー商品を。……ってか、食うか話すかどっちか片方にしろ」 「おっしゃ! なら食う! 集中して食う! 話はそれからだ! まっちぇちぇ! ずるずるずちゅるちゅる!」  世間一般では超有名なインスタント食品、数百億食突破の『日露食品コップヌードル』のBIG版。……そのシーフードと、カレー味と醤油味を立て続けに完食し、スープごと全て飲み干す美少女なんて初めて見た。それも豪快にずるずると音を立ててスープを飛び散らしながら。……あんまり音立てんな、とも思ったが、言わないようにした。親の顔が見たいぞ。躾がなってないぞ、とも思ったけど、人は、育つ環境を選ぶことはできないのだから。 「んがんがんがっ! んんん、ん、ん、ん……んーーーーっ! んがんぐ! んぐーーーーーーーっ!」 「うん? どうした?」  どうやら、急いで食い過ぎて喉に食い物を詰まらせたようだ。顔を赤くしている様は極めてアホである。しかも。 「んがぐんぐんぐぐぐぐ……げふごふぉごふごほっ! ぶぼっ!」 「ぎゃーーーー! きたねーなこら! やめんか!」  思いっきりむせかえっていた。口の中の食い物が辺りに飛び散る! 汚い! 本当に迷惑なやつである。俺はとりあえず、ティッシュをシュシュシュッと数枚ばかりとって、彼女に手渡していた。 「ほれ、さっさと拭け! そいでもって茶だ! 飲め」 「ん、んーーー。んぐんぐんぐ……ふー」  こいつは俺が手渡した1.5リットルサイズの大きなペットボトルのお茶を一気に飲み干していた。凄まじい勢いでごきゅごきゅと、一気に。……ああ、これもまた最後まで飲み干しやがった。信じられねぇ。  そして、それからしばらくして完食……。さすがに満腹になって満足したようだ。この細っこい身体のどこにそんな食い物が入るのだろう、と思った。 「ふぅ。助かったわ」 「そうかい。そいつぁよかったな」  さすがに食事をさせてくれる人を悪人だとは思わないようで、痴漢だの変質者扱いのカウンターパンチはしないでくれた。餌付けすりゃ野良猫だって少しはおとなしくなるものだからな。 「それにしても……ここって……」  彼女は俺の部屋をしげしげと見渡し、たて続けに『何だか汚い部屋ねぇ』だの『狭いわ。圧迫感を感じるわ』だの『なんか暗いわ。照度が不足しているわね。ホームスタジアムのライセンスが降りないわよ』だの、極めつけは部屋の片隅に積んでおいた同人誌を見て『何これ? あんたオタク?』だの、名誉毀損発言を繰り返すのだった。  確かに、俺が住んでいるアパートこと某東京都の某大多区にある『メゾン・ダイヤモンド5 201号室』は、極めて狭っこいワンルームの安アパートだ。それでいて、ここしばらく忙しさのあまり掃除をさぼっていたり、切れかけの電球をいちいち取り替えてなかったり、はたまた同人誌を無造作に積み上げていたりするものだからいろいろ言われても仕方のないところではあるけれど。それにしても、親でもない無関係な第三者にいちいち非難されるいわれはない。  てめぇ。……本気でボコるぞコラ、とでも言いたくなった。主人公としては、クソなヒロインの暴言に対して思いっきりムかついたわけだ。当然のことだ。親切な他人によって助けられておいて礼を言うこともなく、無礼な言動を繰り返したわけだから。だが、俺はそれで黙っていられるほどお人好しではない。 「うるせぇ! 食い終わったらとっとと帰れ馬鹿野郎!」 「あー。ごめんごめん。……ホントごちそうさまでした。おいしかったわ。お腹もたんまりふくれたし。餓死しなくてよかった。……んでね~。ついで~……といってはナンだけど、ちょっとお願い事があるんだけどぉ~♪」  その後で彼女は急に猫なで声になり、俺が絶句するような事をぬかしたのだった。要約すると、いや……要約などいらないくらいわかりやすい一言だった。  その一言とは要するに『あたし、行き場が無いのであんたの部屋に居候させてもらえないかナ?』と、いうような内容だった。当然、お断りだ! 決まってんだろが馬鹿野郎! 「ざけんなバカ! 出てけっ!」 「あぁ!? なによ! 自分の名前以外何もかも全部綺麗さっぱりすっぱりしっぽりたっぷりぽっくり忘れちゃった記憶喪失の、それもとびっきり可憐で薄幸なメインヒロイン級のSSレアな特上美少女を見捨てるっていうの!? ここ数日間、暗い夜道で彷徨って、あたしがどんだけ心細い思いをしてたかわかってんの!? そこをやさしーく海のよーにひろーい心で包み込んであげるってーのが、真のオトコってもんでしょが!」  ……しっぽりって何だ。しっぽりって。それにしてもこいつ、うぜぇ。どこまで思い上がっていやがるんだ! 「んなもん俺が知るか馬鹿野郎! てめぇでどうにかしやがれ!」  記憶喪失であるということは、今はじめて聞いたのだったが。それにしても、ふつー自分で自分のことを可憐で薄幸な美少女とか言うのか!? どういう感覚しているんだ! どれだけ自信過剰なんだこの馬鹿女は! 「てめぇいったい何様のつもりだ! どこが可憐だ! どこが薄幸だ! 発酵して古酒にでもなっちまえど馬鹿女!」 「あんですってぇ!? この七瀬さくらさんをなめないでよっ!」  はァ? と、俺は思った。それはまあ、ともかくとして。どうやらこの少女は、七瀬さくらさんとかいう名前らしい。 「あぁん? 七瀬さくらだぁ? それがてめぇの名前か?」 「そうよっ! その耳の穴かっぽじってよーく聞きなさいっ! あたしの名前は七瀬さくら! 七瀬のさくらちゃんよっ! ふっふ~ん! とっても個性的で可愛い名前でしょ♪」 「どこが! そんな無個性な名前を付けられた貴様を思う存分哀れんでくれよう」  フッと笑って正直に言い返してやる。  ああ、別に世の七瀬さんとかさくらさんをdisっているわけではないんだ。その辺は言葉のアヤというやつで、ご容赦頂きたいのだが。とにかくも、全国津々浦々の鈴木さんや斉藤さんや山田さんや山本さん達には悪いのだが、それくらい俺の中では当たり前な名前なのだった。ありふれまくっているネーム、ということだ。……あ、ちなみにどうでもいいことだが俺の名字は鈴木だった。ありふれていて悪かったなこん畜生! 「何よ!」 「ふん。ぬるオタな俺の知る限りでも、七瀬と名の付く人物は架空現実問わずざっと十人はくだらない。そして、さくらという名の人物も、列挙していけば二十人はいることだろうさ」  俺はこのたわけ女にビシッと人差し指を突き立てて宣言してやった。 「あんですってぇっ!? じゃあ、あんた今から七瀬さんを十人、さくらちゃんを二十人名前をあげてみなさいよっ! 男なんだから、自分で言ったことには責任をもちなさいよねっ!」  と、このたわけ女は腕を組みながら俺を睨むのだった。っとに、どこまでも偉そうなやつだ。ここは一つ、ぎゃふんと言わせてやろうじゃないか。 「いいだろう。では耳の穴かっぽじってよく聞けアホ。相河七瀬、七瀬憂、七瀬瑠美、七瀬実雪、仁志野七瀬、七瀬帆之香、七瀬昌、七瀬悠……」  そして俺は、思い出しながらも七瀬さんを十人。さくらちゃんを二十人挙げていったのだった。 「……樹之元桜に、伸宮司さくらに、吉野川さくらに、沙倉マナに、門桐桜っと。これできっかり二十人だ! 文句あっか!?」 「ふ、ふんっ! ……だ、だからなんなのよっ! そんなにたくさん使われてて、その名前が人気で可愛いっていう証拠じゃないのっ!」  彼女は相変わらず強気で言い返すものの、眉間がぴくぴく震えている。実は結構悔しかったようだ。 「負け惜しみ言うな。粗製濫造という言葉を知らないんだろうな。七瀬さんちの負け犬さくらちゃんは」 「うきーーーー! うッさいわよこのオタっ! あたしはこれっぽっちも悔しくなんてないんだから! 七瀬さくらちゃんは可愛い名前なんだからッ!」 「うるせぇ! オタ言うな馬鹿野郎! 七瀬さんもさくらちゃんも、二次元三次元問わず可愛い子ばかりだ! てめぇみてぇなガッカリなスカな女と違ってな! 見ろ!」  俺はそう言って、証拠のソースというべきか、大本の画像などをノートPCの画面に表示して見せてやった。七瀬さんフォルダと、さくらちゃんフォルダから。そのサムネイル画面を見て、こいつはまた悔しそうにワナワナと震えている。 「み、みんな可愛い子ばかりじゃないの変態! っていうか、何こんなにいっぱい女の子の画像集めてんのよこのド変態!」 「んだと! ブス画像収拾している方がよっぽど変態だろうが!」 「何よ馬鹿!」 「やんのかコラ!」  さて、口論は続いているし俺の怒りもいい加減頂点に達してきたのだが、あえて冷静になって、そろそろマジに言うことにしよう。 「……ってかな。マジで警察に連絡するぞ。記憶喪失の娘をほったらかしにするわけにはいかないからな。それもやたら喚いている、何か凶悪犯罪でもやらかしそうな、凶暴な女をな」 「……え?」  そして俺は、スマホから充電ケーブルをひっぺがし、百十番を押そうとした……。全てはこいつのためだ。通報して引き渡して全てが終わったら、これまでの無礼も全て綺麗さっぱり忘れてくれよう。まったく、寛大なことだ。 「だ、だ、ダメ! 絶対ダメ! だめだめだめだめだめ! だめったらだめーーーー! 通報ダメ! サツはマジでダメ! やめてーーーーっ!」 「ああこら! ええい、離せ! 何をするかバカ女! てめぇみてぇなむかつく女なんぞ警察に突きだしてやらぁ! んでもって檻の中で一生拘留でもされていやがれ! 存在自体が公務執行妨害のキ印女ッ!」 「ダメったらダメ~~~! やめて~~! いけずぅ~~~! そんなコトしたらそんなコトしたらそんなコトしたらぁ~……ぅぅぅ!」  警察に突き出そうとするという行為は真面目な話。至極真っ当な対処法だと思う。……だが、彼女はちょっと涙目になって、はあはあと荒い息を吐きながら、俺に向かってこう言い切りやがったのだった。 「も、もしあたしを警察に突き出そうとするなら! そん時ゃあたし、お巡りさんの前であること無いこと言っちゃうわよ!?」  と、中学生くらいのお子様的なノリで、脅しをかけきやがったのだった。 「なにぃ?」 「そ、想像してみなさいよねっ!」  彼女はふふんっと言わんばかりに腕組みをして、引きつりながらも余裕をみせているつもりの表情になる。なにドヤ顔かましてんだこいつは。 「なにがだ!」 「……あ、あんたが警察を呼んで、そんで、お巡りさん達がわらわらわらっとここに来たとしてよ! ……私がこの、今着てる服を適当にびりびりばりばりぶきぶきぶちぶちって破って引き裂いてボタンぶちぶちぶちって引きちぎって、そんで部屋の片隅で髪とかわしゃわしゃのぐちゃぐちゃにして、純潔を奪われて傷つけられた可哀想な乙女のよ~に、ぐっすんめそめそしくしくえぐえぐって泣いてたとしたら! お巡りさん達はさて、どう思うかしらねッ!?」  ……こいつ。なんだかとんでもねぇことを言いやがる。 「てめぇ……。人の飯を散々食いまくった上に脅迫かよ! 信じられねぇ! 最低だ!」 「き、聞きなさい! あくまで例えよ例え! こ、これでも感謝してるのよめちゃくちゃ! お腹いっぱいにさせてもらったし! な、なので、警察に突き出すなんて野暮なことはなしなし♪ ね♪ わかってよ~! 警察呼ばれるのはそんだけは嫌なのっ! それだけはやめて! お願いだからぁ~~~っ!」  このアマ……。何がなしなし、だ! 「お、お、お願いだからしばらくここにいさせてぇ~! 行くところがないのよぉ~! ううう~~~! お外寒いのよぉ~~~! 独りぼっちは寂しいのよぉ~~~!」  と、思ったら今度は泣き落としをかけてきた。それは恐らく本音なのだろう。本気で涙目になっていて、鬼気迫りすぎだ。 「だからこそだろうが! だったら警察に行ってきちんと保護してもらって対処してもらえよ! その方がいいだろ!? 何で嫌なんだよ! 俺みてぇな見ず知らずのどこの馬の骨とも知れねぇわけのわからん野郎の側にいる方が嫌だろ!? 何されるかわからねぇところよりいいだろうが!」 「やだ! 警察はもっとやだ! とにかくヤダったらヤダなのーーーっ! かいぼーされるぅぅーーー! ロボ刑事にされちゃうーーーー! あんたの方がまだ信用できそうだと思うのよ!」  何がこう、そこまで警察に保護されるのが嫌なのだろうか? 本当にもう、ガキみたいな、だだっ子のよーな馬鹿女だと本当に思った。それもただの馬鹿ではない。かなりの大馬鹿レベルである。 「うるせぇ! 司法解剖されて改造人間にでもされちまえ! それにてめぇ、さっき記憶喪失とかいってたよな!? あれは実は嘘で、どーせしょーもねぇくっだらねぇ理由で家族と喧嘩でもして家出でもしたんじゃねーのか!? とーちゃんかーちゃんが心配してんじゃねーのか!? あぁコラ!」 「ちっがーーーう! ホントにあたし記憶何もないのよおおおーーー! リッター二百円くらいのぼったくり価格でもいいから、どぼどぼ記憶を注ぎ込んで欲しいくらいよぅっ!」 「だったら少し態度ってもんを考えろバカ!」 「え? ってことは、じゃ~置いてくれるのぉ~?」  俺は、すーっと息を吸ってから。 「ぬかせ! てめぇみてーな天然記念物的な超絶大馬鹿女なんぞ、誰が置くかこの大馬鹿馬鹿馬鹿バカヤローーーーーー! とっとと出てけええええええええっ! 出ていかねーとソルトを水飴と練乳を混ぜてどろどろの真っ白にして思いっきりてめーの顔にぶっかけてくれるぞコラ!」  と、叫んだのだった。俺もかなり興奮しているのかもしれない。間違いないな。 「な、なによぉーーーっ! っていうか、っつーか、とゆーか、てめーあたしのこと馬鹿って言ってんじゃねーーーっ! バカって言った方が馬鹿なのよこのバカ馬鹿大バカぁああああーーーーっ! 女の子一人お部屋に置いとくくらいいいじゃないのよこのいけずの大たわけ馬鹿ぁーーーっ!」  ぽかぽかぽかぽかとガキのように叩いてくる様はとても鬱陶しいことこの上ない。つまりお前は、大馬鹿だということを自分で言っていて気付いていないバカなのだと突っ込んでやろうと思ったけど、面倒くさかったのでやめた。 「るせぇ! てめーのよーな凶暴で凶悪で粗暴でアホな女は願い下げじゃああああああっ!」  そのころになると互いにエキサイトしたのか、口だけでは飽きたらず手を出していた。がすがす、げしげしと互いに互いを罵り合い、どつき合うのだった。 「あのぉ~」  ンなことをしていると、俺の後ろの方から声が聞こえた。  どうやら俺は玄関のドアに鍵をかけていなかったようで、騒動に気付いた人々がいつからかは知らんが、興味深そうに見つめているのだった……。 「あぐぐぐ!」 「ふががが!」  俺と馬鹿女は丁度、お互いにほっぺたを引っ張り合ってる最中だった。 「鈴木さんのお部屋、元気ですねぇ~」 「あ……」  浪人生で、お隣の部屋に住んでいる佐藤さん。  俺と同じく学生で、下の部屋の山崎さん。  そして、社会人で、お隣のお隣の村田さん……。  アパートの住人達が皆、苦笑というか微笑ましいものを見るような目で、俺たちを見ていたのだった。この人達とは個人的にも知り合いで親しくて付き合いもあって、みんな人が良くて愛想がいいから怒ったりはしなかった。いや、逆にそれだからこそ本当に……俺は心の底から申し訳ない気分でいっぱいになった。 「す、すんませんっ! お騒がせしてごめんなさいっ! ホントにホントにすんませんっす……」  いや、ホントに申し訳ないっす。心底そう思った。……せめてものお詫びに今度、良い酒でも買って持って行こうかな。 「あーいえいえ。ところで鈴木さん。そちらの方は?」 「あー。えーと。こいつは……。えーと。んーと……何というか、そのー……」  ああ、どうしよう。説明に困る奴が一名いる。困った。本当に困った。一体全体、何と説明したものか? などと悩もうとする時間も与えずに、こんにゃろうはどさくさ紛れに言い切りやがった。 「あたし? あたしは七瀬ー。七瀬さくらー。愛しの彼、さとるんと同棲してる同居人なのぉー。よろしくねぇ~!」 「ほぉー。そうなのですか。それはそれは」  いや、まて。頼むからそこで納得しないでくれ。佐藤さん! 「仲睦まじくてうらやましいですな~」  どこが仲睦まじく見えるんすか、山崎さん! 「七瀬さんですか。どうぞよろしく~」  よろしくしないでください。村田さん!  ほぉ~、というように、鈴木さんも奥手に見せて、案外隅に置けませんなぁ、こんな可愛い女性をゲットするなんて。……とかなんとか、感心して微笑みながら、うんうんと頷いて去っていくアパートの皆さん達だった。みんな壮絶に勘違いしているっ! 見た目だけ無駄にいいアホ女にコロッと騙されているぞ! 悲しい事に、その誤りを訂正する暇すら、俺には与えられていない! 「ちょ……! 待て! 誰が同居人だ! 誰が同棲だ! ってか、てめぇいつ俺の名前知った! 俺は名前名乗ってねーぞっ! いい加減にしねぇとキレっぞコラ!」 「うぐにゃぅ~~~~~~~~~~~~~~~んッ! おねはいだからほこにおいへよぅ~~~!」  再度さくらとかいうアホのほっぺたをうにょーーーーんとひっぱってやるのだった。  そして、この日から……俺のとてつもなく騒がしい日々が続くことになるのだった。 ◆ ◆ ◆ ◆  さくらとの出会いという騒動が過ぎ去って、かれこれ二、三日が過ぎた頃のこと。  結局さくらは俺の部屋に居着いてしまったのだが、ワンルームの狭い部屋故に、色々と問題も起こる。 「さてさて」 「何よ」 「俺は貴様に宣言する。俺はこれよりここでナニをするぞ」 「は?」  俺のとってもチャーミングで、日常にちょっとした微笑ましさを運んでくるボケに反応できない馬鹿がここにいる。 「いやなに。男なら大体毎日行っている行為をやろうかな、とな。そう思った次第であるわけだ」 「何それ?」 「アホな貴様にはまだわからんのか? ナニだよナニ。男ならば誰もが普通に行っている性欲発散行為。すなわち、0721だよ」 「はぁ!?」  この馬鹿にもようやく発言の意図が伝わったのか、一撃目が俺の顔面にヒットした。バキッとグーで殴られる。とても痛い。 「はぁぁぁぁっ!? あぁぁぁっ!? 何それ!? 何考えてるの!? 馬鹿なんじゃないのっ!?」 「馬鹿ではない。だから、ナニだって言ってんだ。知らないのか? 何なら見せてやろうか?」  二撃目。ぱぁんっとパーで叩かれる。かなり痛い。 「……。本気で言ってんのっ!?」 「もちのろんだ。健全な男たるもの、一日として欠かすことはできない行為だぞGは!」  三撃目。ぶすッとチョキで突かれる。かなり痛い。 「しッンじらんないっ! こんなに可憐で可愛い記憶喪失の女の子が目の前にいるってぇのに、よりによってそのまん前で自○行為で一人えっちのオ○ニーするなんて信じらんない! 何でオナ○ーなのよっ! 最低! 最悪! 大馬鹿! いたいけな女の子の目の前で○ナニーなんてすんなあああああああっ!」  そこまでいわれたらさすがに仏の心を持つ俺もキれる。それに、するなといわれりゃしたくなるのが人情というものだ。 「んだと!? 健全な男子が性欲を毎日はらさず通常どおりの生活を行えると思ってんのかこの耳年増! ってか、可憐で可愛い女の子が目の前にいるってのにとかなんとかかんとかってぇことは、そりゃつまりてめぇと犯(や)って犯(や)って犯(や)りまくって、それでいてこのやり場のない性欲を発散しろと、してもいいとそーいうことを言ってんだな貴様は!? 禁欲された男ほど怖えもんはねぇんだぞこのボケ!」  さくらは顔を真っ赤にしてブチ切れしている。 「んなわけあるかあああああああああっ! 誰がンなこと許すっつったかああああああああああっ! いっぺんでもじゅっぺんでも死んでこいっ! あほっ! このどぐされボケがぁっ!」 「じゃあオ○ニーくらいしたっていいだろがこのボケ! 大アホ! だいたいだなっ! 何で俺がてめぇなんぞのバカ居候クソ女に合わせていちいち男の聖なる性生活の象徴たる、ち○ちんのルーチンワークを変更せにゃいかんのだ!」 「だからあたしの目の前でオ○ニーするなぁっ! 猿かてめぇはっ! するならせめて風呂場とかトイレでしなさいよ! っとにデリカシーってもんがねぇんだから! このどアホ!」 「黙れ! デリカシーなんざ知るかっ! 俺はこの部屋の主だ! どこでどんなことしようと○なにーしよーとなんだろーと俺の勝手だ! 目の前でオナ○ーされるんが嫌ならとっととさっさと可及的速やかかつ迅速に出ていきやがれ! 勝手に住み着いてる無駄飯食いの居候風情が偉そうに指図するんじゃねーーーーーーっ! 本気で犯すぞこの野郎!」 「うっがあああああああっ! まじでうるさいうっさいうるさいうるさいうるさいうるさいいいいいっ! 女の子の目の前で何度も何度も何度も○ナニーオナ○ーオ○ニー言ってンじゃないわよ! このお猿! デリカシーないキモオタっ!」 「あぁ!? てめぇ。今、言ってはならんことを言いやがったな!」  俺はオタクであるという自覚はあるが、キモオタであるというその発言はない。それはない。有り得ない。ナンセンスだ。  何故ならば、俺はちゃんと毎日風呂きちんと入ってるし、ヒゲだって念入りに剃ってるし、風呂上がりは両脇にデオドラントをたっぷりと塗ったり、にんにく入りの料理を食べた日には歯磨きを念入りにした上、ブレケアを飲んだりと体臭の対策もばっちりしているし、体重だってそんなに重くはないし横幅もほどほどだ。ファッションだってそれなりに気を使っているし、人前で『萌え~!』などとアホみたいに、今時のマスコミが報じるステレオタイプのオタ野郎のようなことは言わない。  それを……それを……それをッ! こんにゃろうは単なる想像というのか偏見だけで言いきりやがった! 絶対に許さん! 万死に値する! 「あんたなんかオ○ニーのしすぎでおち○○んもキ○タ○も枯れ果てて干からびて皮剥けて死んじゃえっ!」 「おおう! やったろーじゃねぇかてめぇの前でっ! 見てやがれこんにゃろう! ぶっかけるぞコラ!」  俺はかちゃかちゃとベルトに手をかけて緩めようとして、さくらのパンツ丸見えなハイキックを食らわされるのだった。……男の股間に。 「ぐおっ!」 「すなーーーーーーーーっ! はっ倒すぞ! ばっきゃろおおおおおっ!」  その一撃は、きーーーーんときたのだった。この野郎。よりによって、金的をかますとは! 「ってぇ! やりゃあがったなこんにゃろ! でえええええええいっ!」  目には目を! 俺もやられたことと同じようにしてやった! 「ふごぉっ! いっでえええええええええっ! うがああああーーーーーー! あ、あ、あにしやがるんじゃああああああっ! 女の子の○んこに蹴り入れるんじゃねえええええええええええっ!」  がすがす、げしげしと、そんな調子。互いに互いを口汚く罵り合い、どつき合う。もはや俺も、こいつを女の子扱いしちゃいねぇのだった。  はてさて、こんな騒がしい毎日が、一体いつまで続くのだろうか?  ボーイミーツガールという状況はお約束だけども。リアルで起こるととても大変なものなんだなあと、俺は心の底から理解したのだった。
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