#3 彼女の使命

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#3 彼女の使命

 白いイメージ。それは羽だけではなかった。  彼女が記憶を取り戻したであろうその瞬間。日本人的な艶のある黒髪は、白く輝く美しい色へと変わっていた。  七瀬さくら。……彼女は一体何者なのか!? 「あ……」  俺は驚いていた。あいた口が塞がらない。 「あ……あ……」  さくらの背中に見えている光り輝く羽は、着ている衣服をぶち破ることもなく、少しうっすらとしたような透明な感じに……実体を持つものではないように見える。つまるところ幽霊みたいな、幽体と言うのだろうか? 上手く説明できないが、とにかくそんな感じだ。  しかし、俺は騙されないぞ! 「あ……あ……新手のコスプレサービスかッ!? そうだなッ!? そうなんだなッ!? そうに違いないッ! そうでなければいけないッ! そうでないはずがないッ! 騙しやがったなこんにゃろうッ! 何が天使だ馬鹿野郎! 手の込んだことしやがってッ!」  俺が、やっとの思いで絞り出した言葉はそれだった。かなり現実的な結論に落ち着いたものだと思う。  それに対してさくらは、烈火のごとくぶちギレた。 「ちッがーーーーーうっ! 違うったら違う違う違う違う違うッ! ほんもののものほんの翼ったら翼じゃいボケッ! 信じろったら信じやがれこの科学至上主義者ーーーーーっ!」 「嘘つけ! なら触らせてみろ!」  こんなもん、本物の天使のはずがない! だから実際に触れてみて検証してくれよう! 「あ、コラッ! ちょっと何すんのよ! えっちいいいいっ! 放しなさいよこのド変態! セクハラセクハラセクハラ! 女の子の体に気安く触んなあああああっー!」 「ぐおっぐおっぐおっ!」  当初の予定では、こいつの羽をぎゅーっと握って、むしむしっとむしってやろうとしたが、逆にその羽でびしびしびしびしっと反撃をくらうのだった。幽体かと思ったけど、ちゃんと実体のある羽だということはわかった。まったく、よくできている仮装じゃねえか。誉めてやる。 「ま、負けるもんか! 張りぼて翼であると証明するまでは絶対に負けん! こんな羽なんぞ全部ひっぺがしてかき集めて、羽毛布団にしてくれるわっ!」  これから冬だし丁度いい! 羽毛布団は暖かい! 「んがーーーッ! 本物に決まってんでしょ本物に! ものほんの羽! あたしは本場物の天使ったら天使なのっ! えーーーかげん信じろったら信じろてんだよ! こンのばっきゃろおおおおーーーーッ!」 「できるかあああっ! んなもんにわかに信じられるかっ! 俺はごくふつーの一般的な人間なんだっ! そんな怪しげな超常現象なんぞぜってー種も仕掛けもあるに決まってんじゃい! てめーの羽みてーなハウスダストだのアレルギーの元は徹底的に完全に抜本的に断ち切ったる!」 「ちゃんと毎日洗ってるわいッ! 信じなさいったら信じなさいよこの妄信的現代科学信奉者! あたしはミナエルッ! 日本名・七瀬さくら! つまり、フルネームは七瀬・ミナエル・さくら! 正真正銘の天界在住の天使なのよっ! まだ下級天使だけど、ンな野暮なこたぁほっとけ! なかなか昇級できないけど、あたしはそんなことこれっぽっちも全然全く気にしてなんてないやい! うあぁーーーーーんっ!」  強がってはみたものの、何やら結構気にしているらしい。が、そんなこと俺にはどうでもいいことだ。知ったことか! 「七瀬ミナエルさくらだぁ!? なんだその名前は! ってか何が日本名だ! ふざけんじゃねぇよコラ!」 「うるさいうるさいうるさいうるせぇぇぇっ! バカにしないよっ!下級天使だからって下級天使だからって下級天使だからって、今度こそぜってーーーしょーーーしんしてやんだからあああああっ! あたしはぜってーーーーまけねーんだからああああああッ!」  何だか、彼女が昇進とかいうのをとても気にしているらしいということだけは、はっきりとわかった。 「じゃああれか! お前は見習い天使で、中級天使とかいうもんに昇格するために実地試験と称して地上界に修行に来てたとでも言うってのか!?」  何だろう、その陳腐すぎるシチュエーションは。数十年前のアニメのような設定だな。 「そのとぉ~り! よぉーくわかってんじゃん! やっとこさ信じる気になったか!」  えっへんとかいってふんぞり返る天界在住の下級天使様、七瀬ミナエルさくら。どうやら、俺が適当に言った説明は、完全に正しかったようだ。 「というわけなのでー。あたしは幸せ運ぶ素敵な天使様だからー。へっへっへー」  何がというわけだ? 「頭が高いわ! そこにひざまずきなさい! この一般市民!」  急に高飛車になる天使様。 「ははぁ~~~っ!」  ……って。何で天使だからって、居候の無駄飯食い女に俺が跪かなければならないのだろう。俺はとても理不尽なものを感じ、更にむかつきを覚えた。なので。 「ふむ。貴様が天使様ということは、もはやこんな狭苦しいところにいて安くて冷たい飯を食ってる場合ではありませんな」 「え? 何それ!? どうしてそうなるのよっ!」 「わからんか! とっととさっさと可及的速やかに、貴様が来るまで平和だった我が家から出てけといってるんじゃボケーーーーっ! この疫病神! 大アホな災厄女! いつまでたっても昇進できない落第堕天使!」  母性本能に溢れておらず、慈悲の心をあんまり持って無さそうで、かなり凶暴で破壊的な天使に対し、最後通告を出してやるのだった。 「えーーーちょっとまってよーーーー! ここにいさせてよーーーーっ! ふッざけんなーーーー!」 「ふざけてんのはそっちだ! 大体だなっ! そんな張りぼてみてーな翼なんかにゃぜってぇ騙されんぞ! 何が天使だ! 何が昇進試験だ! 何が下級天使だ! 神だかなんだかしらねーが、地上界に壮絶などアホを降ろしておいて平和に暮らしている人様に大迷惑かけてんじゃねーーーーッ!」 「うるせーーーー! あたしだって降りたくてこンなむさ苦しい所にきてるわけじゃねーーーーー! 仕方なく来てるにきまってるだろがああああああっ!」  どうせあれだ。これらの事は全部悪い夢か、あるいは単なるこけおどしに決まってる。そうに違いない。そうでなければならない。今の俺はきっと、悪夢を見ていてうなされているのだ。 「天使なめんなよこのばっきゃろおおおおおおおおおっ!」 「ぐおっ!」  いきなり下半身に痛みを感じた。激高したさくらが攻撃を仕掛けてきたのだ! それも男の急所というか股間……ぶっちゃけいうと、キン○マに! 俺は頭に血が上っていくのを自覚した。そこを攻撃するとは何事だ! 「てめぇ! 男のキ○タマ蹴りさらしたな! 反撃してくれる! とあっ!」  窮鼠猫を噛む。俺は鈍い痛みにのたうち回りながらもどうにか立ち上がり、さくらに反撃を食らわす。目には目を、歯には歯を! 「ぐにゃふッ! あ、あ、あにしやがるこのすっとこどっこい! 女の子のおま○こけっ飛ばすんじゃねえええええええっ!」 「あぁぁっ!? てめえもやったからお互い様じゃいぼけえええええっ!」  断じて言おう。この様な行為は他の女の子には決して、絶対、死んでもやらないことだ。そう。俺はこんにゃろうの股間と言うのか、おま○こに強烈な蹴りの一撃を食らわしてやったのだ。 「やったぬぁああああああっ!」 「おお! 何度でもやったらぁ!」  こうして俺達は、互いに互いの股間をげしげしげしげし蹴り合い続けるのだったが……。次第に二人とも段々痛くなったので、争いは鎮まっていった。 「痛ぅぅぅ……。と、とにかく! 俺は天使なんて胡散臭いもん信じねーからなっ!」 「ったぁぁぁ……。んだってぇ!? まだ疑ってんの!? この強情が! いいわよ証拠見せてあげるからっ! あたしについて来なさい!」  互いに悶絶しながらも、言い争いは尚も続く。だが、この不毛な争いにピリオドを打ったのは、さくらの方からだった。 「のわっ!? な、何をする気だ!?」  グイッと彼女に手を引かれる。そしてさくらは窓をガラッと開けて、俺をベランダへと連れ出した。本気で怒っているのか、俺の腕を掴む手には力が入っている。 「いくわよ!」 「んぎゃーーーーっ! 待て待て待て待て待てっ! 早まるなあああああっ! お、俺はまだ死にたくなッ! ……あーーーーーッ!」  言い忘れていたが、ここは二階だ。下にはコンクリートで固められた小さな庭がある。落ちたら怪我、あるいは当たり所が悪ければ死ぬかもしれない。それでも彼女は、手すりの上に立っていた……。 「死ぬわけないっしょ! あたしを信じなさいっつーのっ! あたしを信じるものはむじょーけんで救われんのよ! そ~~~れっ!」  そして、バレーボールの応援のようなかけ声と共に、さくらは虚空へとぴょんっと飛び出した。その瞬間、世界が回転した……ように俺には思えた。 ◆ ◆ ◆ ◆ 「うわあっ! お、落ち……る……って! と、飛んでる!? ……うああああああっ!」 「おっほっほっほっほ~~~い! 驚いたか~~~! どんどんいくわよーーー! 最大出力ぅ~~~!」  彼女は白い翼を全開にして、どんどん急上昇していく……。当然のことながらすさまじく、体に負荷というのか、Gがかかる。さくらの方はまるで気にしていないのか、涼しい顔をしていた。 「と、と、ととととと! 飛んで……飛んで飛んで飛んで飛んでるううっ!」 「ふっふっふっ~♪ どーよどーよどーよっ! 流石にこれならあたしが本物の天使だって信じるでしょ~! 信じるっしょ~~? 信じるわよねぇ~~? そ~らを自由に飛びたいな~ってなときは、アクロバティックな七瀬さくらさんの出番なのよ! 高々度戦闘も大気圏離脱も再突入も、何でもござれってのよ! へっへーんだっ!」  確かに。これは、認めざるを得ない。この感覚は明らかに、嘘ではないと感じる。さくらは俺に、笑顔で事実を認めろと言ってくるが、俺はそれどころではない。飛行能力を持たない人間なのだから。落ちたら即、死が待っているとわかっているのだから。 「ま、ま、回って回って回ってまわるぅぅっ!」 「いやっほほほ~~い♪ 飛んで飛んで回って回るわよぉ~!」  彼女は完全にノリノリ。楽しそうに体を何度も回転させる。けれど、俺はというと。 「わあああああああっ! は、放さないでくれっ! うああああああっ! しっ……死ぬううううううううっ!」 「大丈夫だ~いじょ~ぶ~♪ ちゃーんと掴んでるから! 安心しんしゃい!」  上空はとても強い風が吹いていて、寒い。ふと、下を見てみると、街の光が見えた。ああ、見たくないものを見てしまった気分だ。 「ん~~~! それにしても夜の街って綺麗~。宝石箱みたいだねぇっ!」  さくらがそう言う通り、キラキラと街が光って見えたるが、俺はそれどころじゃない。ものすごい高度で風も猛烈に吹き付けて空気も薄くて、別に高所恐怖症ではないのだけど、怖い。本気で怖い。百万ドルだろうと一億ドルだろうと、夜景が綺麗だなんてロマンチックな事を考えてる場合じゃないのだった。 「ねえッ! ねえねえねえねえっ!」 「な、何だっ!」 「あたしが天使だって、信じる? 信じる信じるったら信じるぅ~? 信じてくれないなら、ちょっち紐無しバンジーしちゃうけど? 信じる?」 「わああああっ!」  嫌だ。それは嫌だ。さくらは、ペースを握ったからか、とっても余裕ありありだった。でも、その笑顔は何故だかとっても可愛いと、素直に思えた。 「やめろ! わ、わかった! 信じるっ! お前が本物の天使だって信じる! 信じるったら信じる信じる信じる! こんなことされて信じないわけないだろっ! だから頼むから地上に降ろしてくれっ! 怖いぃぃぃっ!」  情けないかも知れないけれど、本当に怖いことは世の中、確かにあるんだ。誰だって、同じ目に遭ったらきっとそう思うに違いない。ちびりそうな状況とはまさにこのことだ。 「よろしい♪」  その一言を聞いて、彼女はとっても満足そうに、嬉しそうに頷いた。 「よろしいよろしいよろしい♪ おっほっほっほっほ~~~♪」  何故かお嬢様笑い。だけど、俺には彼女がとても子供っぽく見えた。実際、中身はガキだし……。  そんなことを思っていた時。さくらの後ろに何かが近付いて来た! 「って、さくら! 後ろっ! 後ろ後ろ後ろっ!」 「ほ?」  いきなり、勢いよくさくらの脳天に何かが、ばごんッとぶつかった。 「おごにょっ!」 「……」  それは虚空にある建造物、航空機だったとさ。近くに空港があるから、低空飛行に入っていた模様。 「見たところ、777型のようだな」  トリプルセブンという、演技の良い名前の機体だこれは。そんなこと、さくらにはどうでもいいようだ。 「ったぁぁぁぁっ! ぐおおおおおおおおおおっ! こぶになっちゃうじゃないのよおおおおおおおっ! あにすんのよこのバカぁっ! どこに目ぇつけてすっ飛んでんのよぉっ!」  ……。逆ギレとは、こういうことを言うのだろうか。っていうか、航空機にぶつけられて『ったぁぁぁぁっ!』だけで済むとは、凄まじい防御力。もとい、石頭だ。 「あのな。おい」 「こらーーーー! ちゃんと前見て運転しろーーーーーっ! 乙女の繊細な後頭部にコブできちゃったじゃないっ!」  コブだけで済む防御力。涙目で抗議する様がとても子供じみている。  運転ではなく操縦だ。……って、既にそういう問題ではないが、この天使様は構わず航空機の窓をガンガンぶったたくわ蹴りまくるわ、とてもマナーが悪かった。 「くらぁーーーーー! あんたら聞いてんのおおおおーーーー!? いてーーーじゃないのよばかーーーー! 責任者でてこーーーーーーいっ! はっ倒すわよーーーーっ!」 「お前! やばいから! 騒動になるからさっさと放れろ!」  当然のことながら、パイロットの皆さんは揃って目を丸くしていて、操縦席は騒然とすることになってしまった。カメラか何かで撮られてなきゃいいけれど……。 ◆ ◆ ◆ ◆ 「で」  俺は、暴走し続ける天使様によって、散々秋の肌寒い夜空を飛びまわされたわけだが。 「うん?」 「お前。結局記憶は戻ったのか?」  記憶が戻ったのがとっても嬉しいのか、上機嫌な七瀬さくらさん。とりあえず羽はしまって見えなくしてあり、髪は元通りの黒髪へと戻していた。 「戻ったよ~。全部オールリカバリー。無問題無問題ノープロブレムー」 「じゃあ、どうして記憶を失ったか。全部話してもらおう」  事の顛末を全部聞きたいものだ。 「んーとねんーとね。えっとねぇ……」  とても長い話になりそうだ。俺は椅子の背もたれにもたれかかって聞く準備に入った。 「……というわけ~」 「なるほどぉ。そっかぁ」  所要時間、三秒。 「って、はぐらかしてねぇでちゃんと話せや! このぼけ天使!」 「ほっほっほ。じょーだんよじょーだん。……えっとねぇ。んーとねぇ。……悟がさっき言った通り、下級天使から中級天使になるためには、地上での実地試験っていう、死ぬほどだるくてかったるくて面倒くさいもんがあってね~。パスしないと昇進できないんよ、これが」  フローリングの床にあぐらを掻き、ばりぼりと海苔巻き煎餅を食らい、ずずずと熱い茶を飲みながら、面倒くさそうに話し始める天使様。 「地上に降りて、天使なんだから何でもいいから善行積んで、誰かしら幸せにでもしてきやがれ。と。ざっくり言うとそーいう課題なのよー」  ……なるほど。一種のボランティアみたいなものか。そんで、条件を満たしたら単位がもらえると。 「で、何で記憶失ったんだ?」 「あははははは。あのねぇ。恥ずかしいけど……。そのね。天界から地上に降り立つときにねー。着陸寸前にちょっと気を抜いたら、風にあおられちゃってさ。ほら、突発的に起きるあれよ。えっと、ウインドシアってやつ? そんなんで姿勢制御できなくなっちって、電柱にゴンっとね……」  数日前のこと。……大気圏内に降下中のさくら。 『そろそろ地上ねー。うーし。着地もーど。高度よし~。逆噴射準備かんりょーーー。パラシュート用意ー』  色々とこう、メカニカルなチェックを行いながら低空飛行モードに入ろうとしたその時。 『タッチダウン……んにょ? ……わ、わ、わわわわわっ! わっわっわっわっわーーーー! 横風ーっ!? ご、ごーあらうんどって、間に合わなっ! 制御不能ーーーー! ふぎゃーーーーーんッ!』  突然ぶわっと突風が吹きつけ、さくらの小柄な身体は流れに流されて……。 『がぐぎょにょんっ!』  ばきょっ! ばきばきばき、という音を立てて電柱におでこを激突させていた。そして、そのままの勢いで落ちていった……。  余談だが、その電柱は完全に折れてしまったのは言うまでもない。そして電柱をぶちやぶった勢いそのままに、近くにあった民家の屋根へと、ずがしゃっと、隕石のように激突していたのだった。 『はひゅぅぅぅ~~~……ぎょぎゅんッ!』  屋根から床すらぶちやぶり、目を完全に回しながら、べしゃっと潰れるように地上に落ちたさくら。それはまるで『墜落天使』という単語がぴったり来る様だった。それでも生きてる頑丈さに、悟は呆れた。 『あ……たたたたたた。いってぇぇぇぇえぇえぇぇえぇ! っとに、なんであたしがこんな目に。……あれ? あれ? あれ? あれれ? あたし……誰だっけ? 何してたんだっけ?』  数秒の失神。気がついたら、何も覚えていない。つまるところ、自分に対する名前以外のありとあらゆる記憶が失われていた。そして、物音を聞きつけたのか人が集まり始め、ざわざわしてきた。 『あー。なんか知らないけど……。今のあたしの状況って、やばい?』  墜落→記憶喪失→ちょっとやばいことになってる? という思考パターンが形成されていた。 『……。こーゆーときは、ズらかるに限るっ!』  更にトンズラというルートが追加発動。さくらは脱兎の如く逃げ出した。 「とまぁ、あの民家に人がいなかったのが幸運だったわ~。うん。もしぶち当たってたら間違いなく死んでたわ。あっはっは~」  アホだ。アホすぎる。かなりのアホだ。いや、相当なアホだ。いやいや、大アホだ。何で航空機に背後から激突されて『痛い』の一言で済んでいて、電柱に当たったくらいで記憶失うのか、その基準がさっぱりわからんが。とにかくこいつが満塁ホームラン級の大アホなことは完全に確定した。 「で、その後あてもなく何日か街をさまよってたら おなかがすいちゃってね~」 「それで、あんなところで力尽きて倒れていたのか」  あんなところ、とはこいつと出会った路地裏のことだ。倒れてトンズラした後で当てもなく街をさまよう→ぶっ倒れる→俺に発見される、というルートも組まれることになったのだろう。 「そうゆうこと。んで、天使の力も使えなくなっちゃってたみたいー。はっはっはー」  今更ながら、迷惑極まる天使である。 「じゃあ、七瀬さくらという名前も偽名でしかないのか? ミナエルってのが本名なのか?」 「ん? まぁ、そういうことになるけど。どっちでもいーや。どっちもお気に入りだしぃ~」  んな適当な……。 「七瀬さくらって名前の由来はねぇ。天界で地上の紹介をしていた本にでてたのよー。人気の有る名前だってー。『萌える地上読本』とかいうのにー」 「なんやそれ! 読む本が間違ってるだろ!」  天界とやらの基準がよくわからんのだが、そうなのだろうか……。とか言いつつさくらはテレビをつけるため、リモコンのスイッチを押した。 「おい。またなんか観んのかよ」  こいつは何というのか、地上に来た目的を果たそうという気はあるんだろうか。 「ドラマドラマー。面白いから一緒に観ようよ。あー。そういうわけなんでー。結果的に、あたしはあんたを幸せにしに来たんだからねー。あんたがあたしの面倒を見るのは義務っ! まぁ、払いたくねー税金でも払うよーなもんと思ってでもいいから、ちゃんと面倒みてよね~っ」 「わけわからんこと言うなっ!」  親切の押し売り……。いや、親切ならばまだいい! こいつの場合は無意識による悪意の押し売りだ! 全くタチが悪い。 「がたがた言わないっ! あたしだって天使だけど年頃の女の子なのよ! 大切にしなさい! っていういか、可愛い女の子が側にいるだけで幸せでしょがっ! その幸せを堪能しなさいっ!」 「可愛いって、自分で言うんじゃねぇよ! ってか、結果的に大切にしてやってんじゃねーかボケ! 俺はお前がやってきたおかげで確実に不幸になっているぞ! 人様を不幸にしていいのかコラ!」  こいつが来てから激増した我が家のエンゲル係数、光熱費の高額化。喧嘩などの煽りでぶっ壊された家具や周辺地域の被害。その他騒音被害、生活面積の低下。すさまじいいびきによる寝不足などなど。数え上げたらきりがない。 「ま~たまたそんなこと言っちゃって~。こーんな可愛い女の子があんたみたいなさえないオタ男子と一つ屋根の下、ワンルームのボロアパートで同棲生活なんてウハウハなんだから贅沢いわないの~♪ 照れ屋さんなんだからぁ~♪」 「照れてなんているかボケ! 何が同棲生活だ! 何がウハウハだ! オタでボロアパートで悪かったなこんにゃろう! このどアホのアホアホ天使! とっとと出てけーーーーーーーーーーーっ! 簀巻きにして坂道から転がしてドブ川に流すぞコラ!」 「あーーーーうるせぃのよぅッ! 何言ってんだか聞こえないでしょが! 今すんごく良いシーンなのっ! 邪魔すなーーーーーーっ!」 「逆ギレかよっ! てめぇ誤魔化すんじゃ……ぬおっ!?」  そんなとき突然。近くに、暴走族……今は珍走団とか呼ばれているようなはた迷惑な連中が、とても騒がしくてやかましい音を立てながら通りかかった。テレビドラマは丁度いいところの、見せ場的なラブシーン……。  そんな騒音がかれこれ一、二分余りも続いた。まるで、何も聞こえない。 「……」 「あー。うるさかった……」 「……」 「さくら?」 「何言ってんだか全然聞こえなかった……」 「この辺。通りの近くだからさ。ああいうのたまに来るんだよ。うるせぇよなぁ」  仕方がないことだが、とは思うが勘弁して欲しいものだ。 「予告編観て、とっても楽しみにしてたシーンだったのに……」  さくらはスッと立ち上がって。ごごごごと怒りのオーラを放っていた。 「許さない! 絶対許さないんだからぁっ!」 「お、おい!?」  そして、隠していた翼を部屋いっぱいに全開にして……。怒りモード全開。さくらの背後には、燃えさかる紅蓮の業火が見える! 「ぶち殺す! 張ったおす! てめぇら全員地獄に落としてやるんだからああっ! あたしのドラマちっくな乙女時間返せやボケなすがああああッ!」 「お、おいっ!! 天使が殺すだの地獄に落とすだの、物騒なこと言うんじゃありません! って……何する気だ!」  さくらは窓に向かってダダッと駆けていき、先程俺を空中散歩に連れ出した時と同じように、勢いよく空へ飛び出した。 「決まってるっしょ! ご近所めーわくと、あたしのドラマ観賞の邪魔する奴らはーーー!」  急上昇しながらじゃきんっと、羽かどこかに隠してマウントしていた巨大なバズーカを二丁取り出して、両肩にジャキッと構えていた。 「ああっ!? 最終戦仕様!」 「こうやってぇ、懲らしめてやるんだからああああっ! てーーーっ!」  バスバスバスバスッと、同時にぶっぱなした。それから数秒して、高架を走行中の珍走団連中にずずーーーんっと弾頭が着弾したようなのだった。  ぎゃーーーとか、あ゛ーーーとか、あーーーれーーーとか叫ぶ声が遠くの方で聞こえた。さすがに、むごい……。 「成敗ッ!」 「……さくら。いくら迷惑な連中でも、殺っちゃあダメだぞ?」 「死ぬわけないっしょ! ちゃんと加減くらいしてやったわよ! 火薬の量は減らしてあっから、せいぜい黒こげになって数ヶ月間入院する程度よ!」  本当に天使かよ。こいつは……。 「いや、手加減してねぇからそれ。……っていうかお前さぁ」  さくらは俺の真上でぷかぷか浮きながら話していて、まるで気付いていない無防備さを晒していた。 「何よ?」 「パンツ見えてっぞ」  天使も一丁前にパンツをはくようで。スカートの下のそれは、言うまでもなく白だった。まあその、天使らしいイメージカラーだな。 「んなぁっ!? 見るなああああーーーーーーーーー! このどスケベええええええええええっ!!!!! 天誅ーーーーーーーーっ!!!!」 「んッぎゃーーーーーーーーッ!!!!」  そして、バズーカでズガガッと俺もろとも、アパートの一部をすっ飛ばしたのだった。……さくらの謎能力で、すぐに元通りにはなったけれども、とっても痛かった。こいつ。天使よりぜってー悪魔の方が似合ってるぞと、俺は思った。  ちなみに、後でわかったことだが。さくらは下級天使ではあるけれど、戦闘能力に関してのみ、上級天使を凌ぐ程の実力ががあるそうな。何だその、偏りまくったパラメータは……。  まあ、だからと言ってだ。 「七瀬ミナエルさくら様」 「ほいほい~。ナニカネ、さとるん」  俺は。 「お伝えしたいことがございます」 「ほっほっほ。よきにはからいなさいまし」 「耳ン穴綿棒で念入りにかっぽじってからよぉ聞きやがってくださいまし。……今日はてめぇが風呂掃除だボケ天使ッ!」  そのようなことでへこへこするような、甘い人種ではないのだ。 「何言ってんのよっ! あたしはあんたを幸せにしに来たんだから丁重に扱うの! 天使に降臨されるなんて光栄に思いなさい! ありがたみを感じなさい! 風呂掃除なんて雑用させんなあああっ!」  この世間知らず天使め。 「黙れバカ天使! てめぇが来てから俺は充分不幸になってるっつーってんだよこの貧乏神! 疫病神! 鬼! 悪魔! 俺を幸せにしたけりゃとっとと即刻この部屋から出ていけっつーとるんじゃーーーーっ!」 「誰が貧乏神ですってぇ!? 誰が疫病神ですってぇ!? 鬼って誰よ!? それにあたしは悪魔じゃなくて天使だっちゅーーのっ! あんたみたいなのの側にいるだけで幸せを吸い寄せるゴキブリホイホイみたいな役立つ存在だってのがまだわからんかーーーっ!」  こいつ。とんでもない例えをしていると気付いているのだろうか。 「疫病神はおめーだおめー! 貧乏神は育てりゃ福の神だが、おめーはそれ以下だアホ! こんにゃろこんにゃろこんにゃろ!」 「ぐあっぐあっぐあっ! 蹴るなあああああああああっ! きーーーーー! むっかつくぅぅぅーーーーーーーっ! 」  さくらの、あっさりと復活した記憶により……。騒がしき日々はまだまだ続くというか、本格始動するのだった。
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