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人生の入れ替わりができる入れ替わり堂
月明かりの夜、必要とする人の前に……その店は現れる。普通の人は知ることはない秘密のお店。
「人生を入れ替わってみませんか? 他人の人生と交換可能。入れ替わり堂」
そう書かれた貼り紙が、月明かりに照らし出された。
人生の荒波に揉まれた俺はとっても疲れていた。
過労で死んでしまうかもしれない、それくらい心身ともに疲れて、足元がおぼつかない状態だった。俺は不器用で仕事をテキパキこなせない人材だ。だから、会社では浮いた存在だ。仕方がない、仕事ができないのだから。
冷ややかな上司や同僚。人間関係にも疲れていた。
「ここで、人生交換したいのですが」
そう言って、ドアを横に引き、なんとなく入ってみた。古くさい建物にある怪しいお店。怪しい団体かもしれないが、俺にはもうこれしかない。藁をもつかむ思いだった。
「いらっしゃいませ」
美人ですらっとした身長の女性が真面目な顔をして迎えてくれた。
「ここに座ってください、私はコーディネーターです」
「あの、金額は?」
おそるおそる、ぼったくりの可能性も考えて、念のために聞いておいた。
「無料です。依頼主が支払っていますから」
「依頼主?」
「入れ替わりを希望しているお客様がお金を払っています。あとは、マッチングに成功すれば入れ替わり完了です」
「入れ替わったらずっとそのままですか?」
「片方が亡くなった時に、元の体に精神が戻ります」
「一度死んだとしても、自分の体が生きていれば元に戻りますか?」
「はい、戻ります」
「今、入れ替わりを希望しているお客様が1名います」
「どういった方ですか?」
「90歳男性で今は大企業の名誉会長をしていますが、一代で会社を立ち上げて会社を大きくした方です。今は隠居生活ですが、刺激のない生活に飽きてしまい、入れ替わりを希望しています」
「でも、僕はしがないサラリーマンでお金持ちでも何でもないですが」
「若い体になり、普通の生活をしてみたいそうです」
「じゃあ、俺は隠居生活? お金には困らないだけの財産がある人になれるのですか?」
「お金には困りませんよ。大金持ちですから。依頼主は刺激を求めています。逆境から這い上がりたいそうです」
とんでもなくサディスティックな人間がいたものだ。好き好んで逆境を這い上がりたいとは。俺とは正反対だな。楽な生活がただで手に入るなんてうれしいことがあったものだ。
「では、依頼主にあなたとの入れ替わりを伝えます。ここに、仕事先や住所と名前や家族構成、伝えたいことを書いてください」
「では、今晩0時に入れ替わります」
「お願いします」
俺はそのまま帰宅していつもどおり眠ることにした。
目が覚めると、そこは知らない場所だった。そこに広がるのは大きな豪邸の一室で、高級なインテリアだった。枕元に依頼主の丁寧な文字で、ここでの生活や家族のこと、やるべきことなどがわかりやすく書いてあった。
この人、日本人ならば誰もが知っている大企業の創設者だったのか。そして、鏡で自分の姿を確認し、手の甲のしわを確認してみる。本当に入れ替わった事実に驚きを隠せなかった。90歳の老人の体を体感する。たしかに、20代とは違う動きや痛みはある。手元の細かい文字は見えないし、小さな音は聞こえにくいけれど、静かで豪華な空間がここにはある。静かな隠居生活を楽しもうと思ったのだが、メモ用紙には重要なことが書いてあった。余命1か月らしい。でも、意外と体は動くのだが、病のために長生きはできないそうだ。
でも、依頼主が死んだら元通りだ。俺は元の体に戻る。この体の主次第で会社がクビになっているかもしれないし、彼女ができているかもしれない。下手したら犯罪者になっているかもしれない。
そんな危険と背中合わせだけれども、自分の人生から逃げたかった俺には最善策だったと思う。老人だから、パソコンには疎いだろう。俺は、二回「死」を経験できる人間らしい。光栄なことなのだろうか?
俺は元の俺のことを忘れて病魔と闘うことになった。正確に言うと、頭がはっきりしなくなっていた。介護施設や病院環境も金持ちの偉い人だけあって、恵まれていた。どんなに偉い人でも、金持ちでも、天才でも死は訪れる。早いか遅いかだけの違いだ。環境は違えど、死は平等だ。神が与えた平等なことなのかもしれない。
動かなくなっていく体を抱え、意識が朦朧とする。意識が薄れていくことを肌で感じながら、俺は、死を感じ取った。
さようなら、お世話になった人たちへ、ありがとうと思った。静かに目を閉じる。不思議な感覚に包まれながら、最後になぜか左手を天井に掲げている自分がいた。何かが見えたような気がした。それは、体の主の母親なのかもしれないし妻なのかもしれない。お迎えが来たというのはこれなのだろうか。
依頼主の体は死んだのだ。
そして、そのあと、どれくらい時間がたったのかはわからない。俺は元の自分の体に戻っていることを自室のベッドの中で感じた。それは、とても違和感のある感覚だ。体になじむまで少し時間がかかる、そんな感じだ。手の甲のしわはなくなり、20代の肌になっていた。鏡を確認したのだが、やっぱり元の姿だった。1か月くらいだと何も変わらない。枕元に手紙が書いてあった。やはり、きれいな文字だった。
「私は死が怖かった。だから誰でもいいから死ぬ瞬間を変わってほしかった。お金で恐怖から逃れた弱い男だ。ありがとう。君には感謝しているよ。この一か月不慣れなパソコンの仕事をこなし、営業成績は一位になった。そして、グループリーダーに昇りつめた。仕事で重要なのはスキル以上にコミュニケーション力と空気を読む力。そうやって、私は会社を築き上げた。あなたには、これから未来がある。私の恩人であるあなたを応援しています」
そう書いてあった。俺、死を変わったことを感謝されたのか。
会社に戻ると、やはり仕事のできる人が残した痕跡が多々あった。まわりの反応は以前とは180度違う明るい世界になっていた。仕事のできる人は気配りができ、素早い処理能力を持っているということを、資料やデータを見ただけでよくわかる内容だった。
そんなすごい人でも死ぬ瞬間が怖いのか。俺は、あの人に恥ずかしくない仕事をしていかなければいけない。あの人はどの人にも好かれていた。自分も好かれる人間になれればいい。いつか二度目の死を体感するまで、この世界でやるべきことが見えてきた。
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