求められる筐体

13/16
前へ
/146ページ
次へ
 一度は落ち着いたかのように見えた彼は、横たえたわたしに覆いかぶさり、再び鋭い熱を宿した瞳でわたしを覗き込んだ。そして、思い出したかのように、今更過ぎる伺いを立てたのだった。  「……キス、してもいい?」  このときわたしは、今度こそ、自分の役割を本当に理解したと思った。  そうだ、彼はまだ一度も、唇に触れてはくれていなかった。"フツウ"なら、事の初めに超自然的に起こるはずのこと。それがまだ起きていなかったことに、結局浮かれていたわたしは、少しも気付いていなかった。  当然だ。好意がないのだ。  彼には好意がないから、したいとも思わなかったのだ。  この感覚は身に覚えがあるのでよくわかった。わたしも、セックスの相手と唇が重なることを極力避けていた。これだけは、"すきなひと"としかしたくないと思っていた。嫌悪感すらあった。とはいえ、頑なに拒むほどのことでもなかったし、何より便宜上、流れ的に、避けて通れない部分が大きかったから、受け入れないわけでもなかった。ままごと的にも、あった方が盛り上がるイベントではあった。  だから、つまり、こういうことだ。  わたしは今、申し訳程度の、事を円滑に、より自然に執り行うためだけの口づけをされようとしている。  伺いを立てるというのは、自然発生しないというのはそういう意味だった。拒まれれば避けて通る、避けることの可能な。湧き上がる情熱から発生するものではない、通過儀礼的な。社交辞令みたいな。  そしてその伺いを立てられたわたしは、インスタントなキスで黙らされる、都合のいい女のポジションに位置付けられた、ということになるはずだった。  昇格なのか降格なのかはわからなかった。  ただ、あれだけ夢見たはずの、めくるめく夢のような話だったはずの陵介さんのキスに、全身の血の気が一気に引いていくのを感じた。
/146ページ

最初のコメントを投稿しよう!

4711人が本棚に入れています
本棚に追加