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見た目通りの、芯の通った、刺々しい声だった。
あぁ、彼女いないとか嘘なんじゃん。いや、あの後付き合い始めたのだろうか。
何それ。何それ……。
―― 何それ?
想定外に動揺する自分に動揺した。こんなことは覚悟の上だったはずだ。"こういう関係"になってしまった以上、逆にわたしは、その座をみすみす手放したのだから。今更何を思い煩うというのだ。傷付く権利さえ持たない身分で、わたしはただ、彼の身体にしがみついて溺れている。
「綾乃、興奮しすぎ。」
「あんたのせいでしょ、陵介!」
「俺のせいにするなよ。そういうとこだろ。感情的すぎるんだよ、おまえは。」
こんな時間からこんなに静まり返った場所でこんなにエネルギーをぶつけられている割には、陵介さんは落ち着いているように見えた。罵声を浴びることに慣れすぎているのかもしれないが、どことなく状況が違って見えて、わたしは更に憂鬱な気持ちになった。
うまく言えないが、別れ話というより、単なる痴話喧嘩に聞こえるのだ。陵介さんは全く相手にしていないようで、実はどっしりと構えて宥めているようにも見える。"仲の良さ"を窺わせる雰囲気が、この二人にはあった。
「あーあーそうでした。心のない人に何を言っても無駄なんでした。いいわよ、もう。絶対別れてなんかやらないんだから!」
彼女は捨て台詞のようにその言葉を投げ付けておいて、退席するでも、化粧室に立つでもなかった。平然とメニューを手に取り、「こうなったら食べてやるわ……」と呟きながらパラパラめくっている。それを見て取った陵介さんはわざとらしくため息を吐いたように見えたが、それだけだった。
ほら、仲良しなんじゃない。
わたしは何を期待したというのか。目の前で彼らが決着をつけたところでわたしの付け入る隙はないのだと、いつになったらこの心は理解してくれるのだろう。
陵介さんへの気持ちを認めた頃、わたしは初めての感覚に湧き立っていた。どこも触れ合わないのに、くすぐったかった。けれど、ひとたび身体を重ねてしまえば、その温かな何かは弾けて消えた。触れれば触れるほど、身体の芯が冷えきっていく。
触れれば触れるほど、彼が遠退いていく。
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