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「ところで茉帆ちゃん、ねぇ、なんでフったの?」
しばらく押し黙った後、突然軽快な声が耳をくすぐった。今ひらめいたかのように繰り出された、誘導尋問だった。
「なんでって、知ってるじゃないですか。」
「俺知ってたっけ? ねぇ、なんで?」
先程の冷めたトーンから一転、甘えたような声音で誘ってくる。これを言わせたがるときは、いつだってそうだ。お決まりのやり取り。知ってるも何も、もう何度目になるだろう。
何度だって言うけど。『共犯だぞ』って言われてるみたいで、たまらないから。
「陵介さんのことが好きだからです。」
「あぁ、やっぱ知ってたわ。」
間髪入れずに、乾いた笑い声が耳元を突き抜けた。
彼はけしてこの告白に返答はしない。返答はしないくせに、時々無性に言わせたがりである。手応えのない愛の告白は虚しいはずなのに、求められると応じずにはいられない自分にまた虚しくなる。そして、酔っている。
あぁ、やっぱりロクデナシ。陵介さんが、と言いたいところだが、それは責任転嫁だ。自分でも薄々以上に思い知り始めていた。わたしさえ拒絶すれば、この関係はあっさりと終わるものなのだ。しがみついているのも、堪能しているのも、結局はわたし。
ただ笑われるのを受け入れているわたしを不審に思ったのか、不器用なりにフォローでもしてみようと思ったのか、笑うのを止めた彼が少しトーンを抑えて言った。
「傷ついた?」
「今更ですか? いつものことじゃないですか。」
「それ、いつも傷ついてるってこと? 婉曲したクレーム?」
「違いますよ。慣れているので今更傷ついたりしませんという意味です。」
「さすが、達観してますね。」
「言いたいだけなので、わたしが。」
ふざけてはいるが、声にいくらか翳りを感じた。申し訳ないとかより、不安とか、焦りとか、そういうもののような気がした。せっかく懐いてきたペットが家出をしてしまうようでは、さすがに寂しいのかもしれない。
安心させてあげたかった。というのは建前で、わたしは他の女とは違います、というアピールでしかないのかもしれない。いずれにせよ、陵介さんとの関係を持ち続ける上で、わたしには一つ、心に決めていることがあった。
「別に、陵介さんの彼女にしてほしいとかめんどくさいこと言わないですよ。そんなに警戒しなくて大丈夫です。」
彼は一瞬言葉を飲んだような気がした。でもすぐに、いつもの甘くて艶かしい声で、囁くように言った。
「さすが茉帆ちゃん。」
「こんなに俺の本性をわかってくれてるのは茉帆ちゃんだけだよ」という、呪文。呪い。マインドコントロール。心の奥に沈み込んで、わたしを縛り付けている魔法。わたしはわたしが思っていたより、幾分もちょろい女であるらしかった。
恍惚として、一人膝を抱えた。この刺々しい魔法をかけられたくて、わたしの言葉もいつだって誘導尋問になる。だからわたしたちの戯れの会話は、たいていの場合、中身なんてこれっぽっちもなかった。
でも、内容なんてどうでもよかった。少しでも長く彼の声を聞いていたかった。少しでも長く彼の時間を拘束していたかった。少しでも長く、彼のどこかと繋がっていたかった。
次があるかも、わからないのだから。
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