三花 七月八日

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 もう誰も何も言えなかった。女子の嗚咽と廊下から聞こえる獣の息遣いだけが教室を支配する。それがより恐怖を増幅させた。  そんな沈黙に耐えきれなかったのだろう。 「切山さんのお姉さんが囮になればいいじゃん」  零したのは図書委員で黒縁の眼鏡が特徴的、普段は大人しい印象の山瀬花乃だった。 「そんな! 何言ってるの⁉︎」 「だって! 切山さんのお姉さんなら死なないんでしょ⁉︎ それしかないじゃん!」 「絶対ダメっ! お姉ちゃんを囮になんてっ! ねえっ⁉︎」  みんな反対してくれる筈。そう思って他のクラスメイトを振り返ったけれど、誰とも目が合う事はなかった。みんな気まずげに目線を逸らすばかり。 「三花」  代わりに三花の名前を呼んだのは二葉だ。 「庇ってくれてありがとう」  これは三花に対して。 「確かに私は死ねないから、囮になることもできるわ」  そしてその後は教室中の生徒に向かって言葉を紡いだ。 「でも、今回は厳しい」 「何でっ!」 「距離が近すぎるの。扉を開いた瞬間に手でも入れられたら、簡単に入って来る。私が教室を出た瞬間にうまく扉を閉められたとしても、私はすぐに捕まっちゃう。ここからみんなが逃げ出せるような距離は稼げないと思う」  自分を囮にしようとしたことを責めるわけでもなく、ただただ優しく言い聞かせる二葉。言っていることももっともで、その姿はこの場では異質にすら見えた。
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