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第4章
報告書が上がり、居場所が分かってから数日が経ち、父の手術まで十日に迫った頃、僕は、新宿二丁目へと足を運んだ。地図を見ながら、店を探した。店は二丁目でも奥の方にあった。外観は、ちょっとした高級感のあるクラブといった感じだった。報告書に記載されていたのは、兄は、店では、折原奈々子と名乗っていた。
「あの、すみません」
「ごめんなさい。まだ、開店前なのよ」
僕は、ドアが開いていた店に向かって、声をかけた。店の奥から、四十代前半と思われる女性の声がした。
「すみません、僕、桂木光と言います。こちらで働いている。折原奈々子さんにお会いしたいんですが」
「奈々ちゃんの?奈々ちゃーん、お客様よ」
「ママ、誰?」
「桂木光さんって人。奈々ちゃんの知り合い?」
「え、あ、兄貴?ど、どういうこと?」
「光……」
五年ぶりに会った兄の姿を見て、驚いた、髪は長く、爪は淡いピンクに塗られ、ネイルアートが施されていた。兄は、僕の顔を見ると、固まった。
「奈々ちゃん、前に言ってた弟さん?だったら、中に入ってもらったら?」
「あ、はい。光、入って」
「あ、すいません」
僕は、店の中に入った。店には、女性たちがいた。僕は、奥の席に案内された。兄は僕の前に座った。どことなく気まずい空気が流れる。僕も兄も話を切り出すタイミングを見計らっているように思えた。
「ビックリした?」
「え、ああ」
五年前にあった兄の面影はおぼろげにあった。が、体つきは明らかに違っていた。胸は膨らみ、女性らしい体つきになっていた。服装も、黒いドレス姿で、どこからどう見ても、女性そのものだった。
「性同一性障害って知ってる?」
「うん、兄貴の部屋にある本、読んだ」
「読んだんだ、あれ」
「うん、ごめん」
「謝る必要ないわ。それに気づいたのが、十年前」
「じゃ、父さんとけんかして、五年前に家を出たのは」
「そう、それが原因。ずっとね、違和感を抱いてたの。女の子とも付き合ったけど、しっくりこなくて、別れちゃった」
店にいる女性が、僕と兄にグラスに入ったウーロン茶を渡してくれた。兄は、淡々と話し始めた。
「高校の時かな、薄々だけど違和感に気づいたの。何で、 自分は男に生まれてきてしまったんだろうって」
「小学校。中学校の時は?」
「その時から、感じてはいたけど、本格的に感じたのは、高校の時ね、自分はおかしいんじゃないか、で、大学入って、二年後かな。二十歳の時に男性でいる自分に苦痛を感じるようになったの。それからも二年間、悩んでいたわ」
兄は淡々と、自分の性別についての違和感を話し始めた。僕は、淡々と話している兄の中にどれほどの葛藤があったのか、僕には知る由もなかった。
「就職してからも男でいることが息苦しくなって、いやになって、どうしようもなくなったの」
兄は、ウーロン茶を飲み干した。どれだけ悩み続けていたんだろう。二十歳で違和感を抱きだしてから、四年間、ずっと悩んでいたのかと思うと、僕は胸が苦しくなった。自分が兄の立場なら、同じように悩んだのだろうか。
「それで、東京に性同一性障害を診てくれる病院があるって、ネットで調べたの。そこで、自分が性同一性障害だって分かったの」
僕は、氷が溶けて、薄くなってしまったウーロン茶を一口飲んだ。
「で、カウンセリングに通い出したの」
「会社ではどうしてたんだよ」
「もちろん、男を演じ続けたわよ。でも、苦しかった。25の誕生日を迎える、一日前、父さんと母さんにすべてを話したわ」
「性同一性障害のことも?」
「もちろん、父さんも母さんも、衝撃を受けていたわ。無理もないわよね。息子が娘になりたいだなんて、言うんだから」
僕は、五年前のあの光景を思い出していた。戸惑う父と母の顔。すべてを打ち明けた兄の表情。そして、そこに流れていた気まずい空気も。
「でもね、もうこれ以上、自分を偽って生きたくなかったの。男としてでなく、本来の私、女として生きたかったの」
「家を出てからは、何をしてたんだよ」
「会社を辞めて、家を出てから、バイトしてたわ。朝から夕方までコンビニで週5日働いて、バイト代は、生活費とホルモン治療代」
「女性として働いてたのか?」
「そう、でもね、2年働いたところでクビになっちゃった」
「何で?」
「お客さんがわたしを巡ってトラブル起こしちゃって。それで」
「それからは?」
「それからは。この店のママに拾われて。ここで働いて、ホルモン治療代、生活費、全部まかなえてるわ。手術も済ませちゃったしね」
「え?ってことは」
「完全に女になったってこと。光、なんでここがわかったの?」
「探偵社に頼んだ」
「そう、何かあったの?」
「実は、父さんが倒れたんだ」
「えっ、父さんが?!」
「心筋梗塞だって、26日から手術で、検査のために22日から入院する。事前説明は、25日。父さん、兄貴に会いたがってる。会って謝りたいって」
僕は、兄の話を聞き終えた後、父さんが倒れたことを話した。手術まで日がないことも、兄に会いたがっていることも。
「兄貴、父さんに会ってやってくれないか」
兄は無言だった。無理もない、けんかして、家を飛び出して、何の連絡もしていないのだから。が、意を決したように顔を上げると、僕を見た。
「光、どこの病院なの?」
「横浜の港南大学付属病院」
「手術の事前説明は、僕が行くことになってる」
「私も行くわ、手術の事前説明が終わってからになるかもしれないけど」
「兄貴」
「このままじゃいけない気がする。父さんにも謝りたい。ちゃんと向き合いたいの」
「分かった。明日、母さんに電話するよ」
僕は、スマホを取り出すと、履歴から母の番号を探し、電話をかけた。手術の事前説明が終わってからなるかもしれないけれど、父さんに会いに行くと。それだけを伝えて。電話を切った。
「光、もう少し、飲んできなさい。ショーで踊るから」
「兄貴」
「何?」
「この店って、もしかして」
「ニューハーフのお店」
「じゃあ、あのママさんも」
「そうよ、ここのお店の名前はね、英語で居場所って意味なの」
僕は、ウーロン茶から、ビールに変えてもらった。お店の女性と会話をしていたが、ショーの始まる少し前になったのか、キャストはだれもいなくなった。ショータイムは、全員が出て来て、スタートした。兄は、最近人気が出て来たあるアイドルグループのデビュー曲でダンスをしていた。センターで踊っている兄は、とても綺麗だった。店で二時間ほど過ごし、僕は帰った。
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