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自覚
開の家は坂の上にあった。
坂に沿った長い階段を上ると閑静な住宅地になっていて、その中でも一番奥の、一際大きい赤煉瓦の家がそうだった。
「ただいま」
玄関で帰りの挨拶をすることを義務付けられてはいるが、リビングには開の小さな声は届かない。
いつもならリビングに顔を出すのだが、今日はまっすぐ自室に向かった。
荷物を置いて私服に着替える。下着姿になると、不意に吉田の部屋での光景が頭に浮かんだ。
いやらしいDVD映像。
吉田のいつもの顔。
自分の、変化した局部と吉田の手の動き。
息苦しさが襲う。
下腹に血流が移動するのを感じ、慌てて着替えのジーンズを手に取った。
「開ちゃん、帰ったの?」
自室のドアがノックされ、母親の声がした。
「あ、うん。ごめんなさい、ちょっと体がだるくて部屋に先に来ちゃった」
ドアは閉めたままで会話をする。
旧家で、代々土地の代表者を務めてきた家系の分家である開の家では、個々のプライバシーが守られていた。
日常の挨拶や礼儀を忘れなければ、基本的には自律に任せる家風を今更ながらありがたく感じる。
「大丈夫なの? バイオリンのレッスンはどうする?」
母が心配しているのがドア越しに伝わる。
開はすっかり着替え終わってからドアを開け、気だるそうな少しの演技を加えた。
「今日はお休みできるかな? 先生に伝えてくれる? 早くお風呂に入って眠りたいんだ」
母は開の額に手を当てたり二の腕をさすったりした。
「わかったわ。辛かったら言うのよ?」
「はい、母さん」
母は勿論本当に心配しているし、開やその上の兄や姉への愛情は十二分にあった。だが、奥底で夫……開の父に対する恐怖心があるのは、十四歳になったばかりの開にもわかっていた。
開の父はこの地域に根ざした開発会社の三代目取り締まりだ。家庭を省みることはないが、子供の素行・成績には煩く、意に沿わないと母親を厳しく責め立てる。
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