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 テンシ針、というものがある。天使ではなく『展翅』の針だ。  展翅は、昆虫標本の制作工程のひとつだ。そうはいっても芋虫や甲虫のたぐいには施さない作業だろう。  施す虫はたいてい蝶で、木製の台の上でひろげた対羽(ついば)が閉じないように何カ所か針を刺す。この際に用いる留め針を展翅針と呼び、乾燥して仕上げた標本に刺す昆虫針とは区別される。作業上の都合から前者はかならず有頭針だが、後者は有頭針であったり、無頭針であったりする。展翅針は役目を終えると抜かれるのが鉄則だからだ。  それはさておき乾かされているあいだの蝶は、とうぜん全身が針まみれの痛々しい姿になる。この姿というのがまるで――。  まるで磔刑(たっけい)にされた罪人みたい。  ふとしたはずみに、そんな露骨な感想をいだいてしまったことがある。以前なにかの本で見たキリストの絵が脳裏をよぎったのだ。詳細は忘れてしまったけれど、たしかローマ帝国への反逆罪で(はりつけ)にされたあの聖人を描いた宗教絵画だったと思う。杭を打たれた両手からは大量の血が流れていた。  ただ、打ちつけられたのが細い針だとしても、小さな蝶にしてみれば激痛をともなう拷問具と同じであるに違いない。  自分が望んだわけでもないのに罪人さながらに虐げられ、死んでからもガラスケースの中で屍をさらされ続ける哀れな存在。当初そういう負の認識を、わたしは持ち合わせていなかった。むしろ色鮮やかな羽の美しさに魅せられ、技術主を賞賛していたほどだった。くだんの標本の作り手を――ひとつ年下の従弟である(さとる)を。  だってあのとき、緑の深い土地で過ごした中学校最後の夏休み。わたしの前で自分の完璧な作品と向かい合っているはずの慧は、どういうわけか楽しそうにも満足そうにもしていなかったのだ。 「……実希(みき)ちゃん」  少しうつむいて慧は言った。健康的によく日焼けした肌にそぐわない、寂しげな口調だった。彼の視線のさきには蝶がいた。ちょうど展翅の最中で、対羽に何本もの留め針を打たれている残酷な姿のそれだった。磔刑にされた罪人のような姿。 「僕ね、実希ちゃんの肌が怖いんだ。あんまり白くて綺麗だからここに針で痕を残せたら、ってふっと思う瞬間があるんだよ。おかしいでしょう」 「そんなこと」  おかしいでしょう、異常でしょう――許されないでしょう。  言外の主張を感じ取り、わたしは否定を口にする。けれど型通りの気休めでは効果がないだろう、とあきらめながらの返答でもあった。風変わりな欲望を悪しきものと信じているのは、ほかならぬ慧自身なのだ。呪いの自給自足をしている彼に他人のわたしができるのは、そばで見守ってやることだけだ。  唇から、ふたたび呪いが紡がれる。 「僕、お父さんみたいになっちゃうのかな。みんなに心配されてたみたいに」 「…………」  どうすればいいんだろう。なんて言えばうまく励ましてやれるんだろう。  慧の視線は蝶へと注がれたままだ。展翅中で留め針だらけの磔刑の蝶。この不幸の連鎖を断ち切るには、注視をやめさせなくてはならない。とはいえ具体的な案も思い浮かばず、わたしは立ち尽くしているしかなかった。窓から夏の日が差し込む部屋で、展翅中の蝶も、完成したケース入りの蝶もいくつもならんでいる部屋で。  でも。 「…………」  ねえだけど、慧。  喉元まで言葉が()りあがってくる。わたしの肌を傷つけたい、と呟かれた際に思ったことだ。あんまり白くて綺麗だからここに針で痕を残せたら、そう告げられたときわたしは背筋をなにかが駆け抜ける感覚に襲われていた。ぞくりとした感覚だった。不快なようでいてどこか甘い、ひどく奇妙な感覚だ。  それは慧の恥部ともいうべき心地よさに、わたしが同調した証でもあった。だから口に出しこそしなかったものの、胸中で彼に問いかけてやった。涙ぐむ子供に接するように、ありったけの哀れみと愛おしさを込めて。  おかしいっていうのは、ほかのひとたちと違うっていうのは、そんなに罪なの……?
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