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千夏が言うには、警察から今朝、電話があって、身元を確認して欲しいと言われたと言う。
「一度は断ったのよ、もう別れたんだし、ご家族にお願いして下さいってね、」
まあ、どおりだわな。
「でもさ、家族は連絡が付かないって言われたから、じゃあ、会社の人をって言うと」
「今は無職で、以前勤めていた会社にも断られて、親しい友人もいなくて、巡り巡って、私がアンカーだって」
おい、リレーみたいに言うな。
そうか、あっちも、家族と疎遠で、孤独だったんだ。
「今から行くんだけど、信じられなくて、最後に、ここに寄ってみたの、そしたら、あなたが居たから」
また、咽び泣いたあと、ちょっと落ち着きを取り戻したのか、あれ?と、ふと思い出したように、真顔で聞いてくる。
「今日は仕事じゃないの?」
人は冷静になると、色んなことに気が付くんだな。
「辞めた」
「辞められたの?」
千夏は嬉しそうに言った。
世の中変わっても、変わらず健在なのが、ブラック企業。疲弊して疲弊して、たまの休みも寝ていたくて、千夏とも会えなくなって、ケンカが増えて、ケンカも面倒臭くなって、別れた。
ガミガミとうるさい千夏と別れ、これで自分のペースで暮らせると思ったのも束の間、会社と家の往復で、話す相手もいなくて、残ったのは虚しさと疲れだけ。そのうち体が言う事を聞かなくなった。毎日這うように会社に行った。ついに限界近くなって、思い切って有給申請すると、案の定、大声で詰られた。
「そんな奴は辞めちまえ!」
上司に怒鳴られながら、次に言われる言葉を、頭の中でなぞった。
「どうせ、お前みたいな奴は、他に雇ってくれるところもないんだから」
千夏は、いつだって、怒っていた。俺を否定する上司に、それを受け入れてしまってる俺に。
「そんな事無い、そんな事ない!そんな会社と上司がおかしいんだって!!」
それが頭の中で、こだまする。
俺が呟いているのに気付いた上司が、机を叩きながら
「気持ち悪ぃな、小声でぶつぶつ、何言ってんだ、聞こえねえよ!」
怒鳴りまくる。
俺は大きく息を吸って
「じゃあ、辞めまあすっ!!」
と叫び返していた。
「はあ?お前何言ってんの?」
得意の煽り顔で俺に近づいて来る上司を、真直ぐに見据え
「辞めます」
今度は冷静に言った。
呆気に取られている上司の前から立ち去りかけ、思い出したように振り向いた。
「あと、今までの事、録音してるんで、パワハラで訴えます」
指さして言ってやった。
「何かあった時のために、録音しておいた方がいいって、絶対だよ」
これも千夏の助言だった。
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