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始まり
黎明の空は遠くにオレンジ色を滲ませ、深い青を明るく塗り変えていく。
緩やかに湾曲した岸に桟橋が幾つも並んでいる、ロートランドの港。陸風が沖に向かって吹くこの時に、港を離れて行く船舶が幾つも見えた。
畳帆したマストが並ぶ船と船の中程に、出港を控えた大型商船が泊まっていた。大洋を渡り、大国ニューシタルハへと向かう船。舷側の下には船乗りたちが集まり、彼らは水夫長が来るのを今か今かと待ち構えている。
十六歳になったばかりの青年ラルクも、そこで待つ船乗りの一人だ。
「お、来たぞ」
倉庫の並ぶ通りから姿を現した水夫長は、船乗りたちに顔を向けると、眉根を寄せて声を上げた。
「止めだ、止め。今日の出港はない」
「またかよ。一体いつになったら出るんだ」
船乗りの一人が責めるように尋ねると、水夫長が弁明するように言った。
「船主のボルジーノさんは、出発を半月ほど延ばすと言っている」
「おい、冗談だろ? 半月も仕事なしで、どうしろって言うんだ」
「運び込んだ食料が腐っちまうぞ」
船乗りたちが次々と不平を飛ばす。それらを押し留めるように、水夫長は両手を広げ「聞いてくれ」と言わんばかりに話しを継いだ。
「ニューシタルハ行きの船が、またメガイッカクにやられたんだ。それだけじゃない、海賊まで現れて、めぼしいものは根こそぎ奪われたらしい。それを聞けば誰だって慎重になるだろう」
「船を見ただけじゃ、ニューシタルハ行きかどうか分からんだろう? 隣国の旗を翻らせて行けば、やり過ごせるんじゃないのか」
「俺もそう言ったさ。とにかく、船長が必死に説得してるから、もう一日、待ってくれ」
男たちが水夫長に詰め寄る中、ラルクはさっさとその場を離れた。「今日の出港はない」その情報だけで十分だ。
長いこと船に乗っているラルクでも、メガイッカクの噂を聞くようになったのは、昨年からだ。
普通のイッカクは五メートルほどの大きさだが、そいつはなんと、三十メートルもあるらしい。先端に伸びる牙は鋼鉄より強く、木造船のみならず、鉄製の船まで船底に穴を開けるという。イッカクではなく、角を持ったシロナガスクジラだという説もある。
真実は海の中にしかないのなら、ラルクの思いは一つだ。
「メガイッカクが本当にいるのなら、ぜひ会ってみたいけどな」
思いに浸るラルクは、紺色の髪を風になびかせて、倉庫が並ぶ道を通り抜けて行く。
起きたばかりの街は、まだ静けさが残っている。開いている飲食店の周りに人の往来を見るだけ。香ばしい匂いが漂ってきて、急に空腹を思い出した。上着やズボンを探り、硬貨を探す。しかし一枚も見つからない。
肩を落としながら、はあ、とため息をつく。
「近くに家があるんだし、帰るか」
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