1  孤島

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1  孤島

 ゴミ箱に頭を突っ込んだような酷い生臭さを感じて礼一は目を覚ました。  隣を見れば親友の洋が普段と変わらない起きているのか寝ているのかわからない目をして黙って岩に背を預けている。  太陽は丁度中点に差し掛かる頃合いで、自分がすっかり眠りこけていたことを知り慌てて起き上がったところで、周囲の異常な光景に気づき言葉を失う。  自分と洋を取り巻く半径1メートルの円上で、見たこともない頭部が殻に覆われた魚の群れが盛大に死に散らかしていたのだ。  魚は既に不気味な緑色の液を出しながら腐りだしているようで、先程から感じている異臭の元はそれだとはっきりわかる。 「これは、一体何があったんだ」  呆然と呟き、洋を見るも、彼も何も知らないようで、首を横に二回ふったきりである。 「兎に角こんな気味悪い場所からはさっさと退散しよう」  そう言って、すぐに動こうとしたところで洋に肩を抑えられる。彼は人差し指を口に当てて静かにしろと示した後、じっと空を見上げている。  静かにしろと言われた手前声を上げる訳にもいかないので、取り合えず元の場所に座って待つこと数分、洋が肩から力を抜き、こちらを向いてうなづいた。 「何があったんだ?」  そう囁きかけると、彼は鞄からノートを取り出し、そこに魚の胴体に嘴と羽が付いたような奇妙な生物を書いて上空を指差した。  どういうことなのかよくはわからなかったものの動いてよいことはわかったので、礼一は洋を急かしてすぐにその場を離れることにした。  昨日から妙なことばかりだ。出来る限り早く、安心出来る所で一息つきたかった。 --------------------  遡ること一日前、礼一と洋は大学の講堂の出口で所在なさげに座っていた。  講堂の中ではつい一時間ほど前まで入学式が行われており、この春から新入生の二人も勿論それに出席するためにここに来た。 「いや、悪かったと思ってるよ。任せとけとか言って盛大にミスしたんだし」  実は礼一が当日の予定は俺が決めておくと張り切って洋に伝えたものの、そもそもの式の開始時間を間違えており、参加し損ねたのだ。 「折角来たんだしキャンパスでも回って帰ろう」  気まずさに耐えかね、洋を連れて校内を見学することにして、そそくさと歩き始める。春といってももう日差しは強く、ジャケットを着ていると肌が汗ばむ。 「ほら、あそこが有名な立志の池だ」   立志の池とは、礼一達の大学の創始者が学校を建てる際に、この池の前で世界に誇る人材を育てていくことを誓ったとかなんとかいう謂れのある池で、大学の中の名所の一つである。 「うわっ、汚いなぁ。こんなんじゃろくな志も湧いてこないや」  生憎と池には全体的に苔のようなものが張っていて、とてもじゃないが綺麗とは言い難い様相を呈している。 「この学校が建つ頃に生きていたら、俺もまともな志を持って大きなことをやっていたのかな」  そう言って洋の方を振り返ると、きっぱりと首を振られた。どうやらそんなことはないらしい。ちくせう。足元の石を池の中に蹴り入れる。見る間に波が立ち同心円状に広がっていく。  更に石を蹴ろうと池の淵に近づいたところで、足下にヌルッとした感触を感じ、水面が近づくのが見える。咄嗟に目を瞑ったが、現実は非常で、瞬く間に身体が水中に突っ込むのを感じた。  硬いものに身体が打ち付けられ、岸に上がる為にもがこうとした所で違和感を感じる。水中の動きにくさはまるでなく、重力も地上と同様である。恐る恐る目を開けると辺りは一面暗闇で、チャプチャプと水音が聞こえる。息を吸えば強い潮の香りが鼻を抜ける。状況がまるで飲み込めずに暫し暗闇を眺める。 「このままだと風邪を引く」  洋の声が背後から聞こえ、自分がずぶ濡れであることに気付く。 「寒っ、てか何処だよ」  パッと急に光がつき、礼一と洋の立つ岩場を映し出す。 「岩だらけの島。海がすぐそこにある」  洋がスマホ片手に呟く。  礼一もポケットから自分のスマホを取り出そうとするが、濡れた服がピットリと張り付いて中々上手くいかない。 「どこか平らなところに移動して、服を乾かそう」  そう言って、洋に案内してもらい比較的平坦な岩陰へと辿り着く。  四苦八苦しながら服を脱ぎ、よく水を絞って再度着用する。  少しはマシになったものの依然として寒い。  服を脱ぐ過程でやっとこさ取り出したスマホを見ると、電波は通じておらず、ここが何処かもわからない。  ポケットに手を突っ込んで色々と思案を巡らせるが、状況を改善する手立ては一向に浮かばない。  洋はというと、ガサゴソと背負いバックの中から普段着のパーカーを取り出し、頭からフードを引っかぶる。そうして体力温存とばかりにじっとしている。  結局の所何も出来ないなら、身体を冷やさないように休むしかない。礼一も風に当たらぬ様に岩陰に身を収めて、休憩する。  人二人分の呼吸がいやに大きく聞こえるのを感じながら、意識が瞼の陰に吸い込まれていく。 --------------------  移動を開始してすぐ、二人は置かれた状況に絶望を感じる。  島だと思っていたものは外周1km程の巨岩で植物が生えている様子もない。少し離れたところに陸地が見えるが、渡る手段もなく文字通りの孤島である。  真昼の太陽は容赦なく照り付け、昨夜から一滴の水も飲んでいない礼一達を追い詰める。ジャケットを頭からすっぽり被るも、焼け石に水である。  どうしようもない事態に打ちひしがれる。礼一は座り込んで現実逃避を始め、洋に話しかける。 「なぁ、大学戻ったらどこのサークルに入る?勧誘のビラ沢山貰ったんだし、見てみようぜ」  洋は礼一の問いには答えず陸地をじっと見つめている。と思ったら急に着ていたパーカーを振り回し、大声で叫び出した。普段無口で、喋るにしてもボソボソと呟くように話す洋の突然の大声に、礼一はギョッとする。 「そうか遂にお前もそっち側に行ってしまったか。腕振り回しながら声上げるとか陽キャ最強種族のパリピじゃないか。知ってるか?あいつらの頭の中って常にアホ汁ブッシャーなんだぜ」  等と茶化すが、洋は気にする様子もなく叫び続ける。こいつはやべぇマジで頭逝っちまってらと思い、今は亡き親友洋の面影に涙ながらに別れを告げ、両手で耳を塞ぐ。  暫くして洋は叫び終わり礼一の隣に座る。 「おお友よ、やっと正気に戻ったか」  礼一は大仰な身振りで話しかける。一方洋は何だか憐れむように礼一を一瞥し、また陸地の方を眺め始める。 「洋、お前もか」  先ほどからの無視に続き、冷たい目線が礼一のガラスのハートに粉々に砕く。  結果礼一は臍を曲げ、ジャケットを引っ被って洋に背を向けて不貞寝を始めた。
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