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悔しい気持ち
「あれ? もう反抗しないんだ? じゃあ挿れるよ」
デニムを膝あたりまでずり降ろされたが、俺はもう一ミリも動けない。どうにでもなれと目を閉じる。最悪なことが起こるにせよ、それは死ぬことぐらいだろう。
だが、今俺にとって死ぬことは別に耐えがたいことじゃない。むしろ早くと願うぐらいで。しかし、一方でまだ死ねないとも思う。
孝也は助けたい。だから一切の抵抗を止めた。
強姦じみた行為を好むやつはへたに逆らうと余計煽ることが多い。そんな事をいつの間にか知っている自分に笑える。
興奮して息が荒いユンの様子に彼の被害者も同じような目に合っていたのだと分かってむかつくが耐える。こいつは相手が暴れれば暴れるほど興奮する。つまり、やつにとっては相手を自分の思い通りにしようと痛めつけるのも愛撫と同じ。セックスの前戯なのだ。
こうなったら、ユンが萎えるくらい大人しくマグロになっていてやると思った。
愛の無いセックスなんて腐るほどしてきたじゃないか。孝也だって……俺を愛していたわけじゃない。ホストクラブで愛想を振って来た犬として飼われていただけ。
愛なんて無かった。
それでも俺は孝也に縋った。そこに何かしらの情を求めて。勝手に思って、勝手に怒って、孝也に瀕死の怪我を負わせてしまった。
結局、俺の独り相撲だった。
孝也は結婚し、新しい生活を始めるのだ。社会に必要とされているし、やることもたくさんある。生きる理由は山ほどあって俺には何もない。
だから体くらいこの変態にくれてやるなんて屁でもない。そう思うのに今にも涙が出そうになって必死で閉じた目に力を入れた。
「なんだ? やけに大人しくなったじゃん。もっと楽しませてくれよ」
不満げなユンの声にざまあみろと心の中で舌を出す。最後の最後まで絶対反応してやるもんか。血みどろになったって命乞いなんてしないからな。
ガリガリガリ……。
うつ伏せにされて両肘で体を支え、腰を上げさせられたところに金属を引っ掻く耳障りな音がしつこく響く。あの音が好きなやつはまずいない。ユンも大きく舌打ちしてドアを見た。
「うっせえっ、ぶっ殺すぞ、誰だ」
俺を放しドアに向かう。大きく蹴り上げたユンの足がドアの裂け目から突きだした手に捕まり、ぎょっとするやつに向かって不機嫌な声が応えた。
「あんたも俺も、もう死んでるだろ。何頭の悪そうなこと言ってんだよ」
ドアが斜めに大きく切り裂かれて、貫太郎が身をかがめながら部屋に入ってくる。当然ユンは足を取られた為、尻もちをついた。
「マルファス…」
「あ、悪い。頭悪そうじゃなくて、悪いの間違いだな。このところ新人の招魂士が何人か消えてるんだけど、あんた知らないか?」
上半身を起しただけのユンの股にがつんと足をのせて貫太郎が首を傾げた。深く青い目が刺すように自分の足の下にいる男に向いている。
そしてぐっと足に力を入れた。ゴリッという嫌な音がしてユンが悲鳴を上げる。
「や、やめてくれっ、いっ痛ぇっっ」
「なんだって? はっきり言えよ。他の招魂士を襲ったのか、どうかを聞いてるんだぜ」
貫太郎は手に持っていたナイフをユンの顔ぎりぎりに何回も突き立てた。頬に刃がかすって赤い線が引かれたと思うとそこから血が流れ出す。
「止めてくれ、血が止まんないよ、助けて」
首から胸まで血に染まったユンが泣き声を上げた。
「あんたさ、冥府の職員だろ? 血も汗も涙も全て「見せかけ」だって知ってるだろ? 俺達の体は実体のようで実体じゃない。まあ、受ける痛みは本物だけどな」
にやりと笑う貫太郎は俺の知ってる貫太郎じゃなかった。くるくると手の中で巧みにナイフを回しながら、ユンの髪を一房さくりと切り取ってばらりと床に撒いた。
「なあ、このナイフ良く切れるだろ? 空間まで切れるんだぜ。次は自慢の顔のどこを切って欲しい? こういうの、おまえ好きなんだよな。選ばせてやるよ」
さっきまで猟奇的に見えていたユンが青い顔で啜り泣き、子どものように嫌々と首を振った。
「お、俺がやった……ラグとガイ……許してくれ。やめてくれ、痛いのはヤダ」
「は? 痛いのは嫌だ? おいおいそりゃないだろう。笑わすなよ」
ダンと貫太郎がユンの顔を蹴り飛ばし、奴の頭が床に叩きつけられる。
「よし、言質を取った。今の聞いてたか?」
よいしょと貫太郎がナイフをしまうと、後ろから黒っぽい影がいくつも現れて倒れているユンを取り囲む。
「内規違反で拘束する」
床にのびたユンはまたたく間に小さい玉になると影のようなものに連れて行かれた。
――今のは何で、一体ユンはどうなったのか?
茫然としてドアから目を離せなかった。
「あんた、いつまでそんな格好してんの? ケツ丸出しなんだけど」
いつもの調子で片眉を上げて、貫太郎が手を差し出してくる。なんだよ、どっちが本当の貫太郎なんだ? 手を振り払おうと思っていたのに、先に手を掴まれて体を引き上げられた。
「大丈夫か」
「あいつはどうなる?」
「さあ……十年くらいはあの玉の中に幽閉されるんじゃないかな? 自分の犯したことを逆の立場で繰り返し追体験させられるはずだけど」
さらっと貫太郎はそう言ってドアを見た。
「くそっ、焦ってマスターキーもらうのを忘れてたんだ。あれ、壊したの文句言われるかもな」
焦った? 俺のこと心配してくれたんだろうか。
「なあ、心配したのか?」
「へ? ああ、ユンのやつが予想よりあんたにアプローチが早かったからな」
「予想?」
貫太郎の言葉に浮上しかかっていた気分がべしゃんと潰れた。もしかして、俺は――。
「オトリだったのか、俺……」
言ってしまうと尚更悔しさが押し寄せてくる。続けて文句を言おうと思っていたのに唇が麻痺したみたいに動かない。
だから危険だと分かっているのに声しかかけなかったということ?
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