蒼い瞳

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蒼い瞳

「その時、俺も流されて死んだ。それからずっと冥府で働いている。  誰にも何にも心を動かすことなんて無いと思っていた。淡々と仕事をこなしていつか、自分も転生する。それだけを……思っていた」  本を読んでるみたいに平坦な調子で話す貫太郎の過去は俺には重すぎる。喉が干上がってしまったように痛んで仕方ない。とても貫太郎にかける言葉なんて見つからない。 「二年前、自殺した魂の招魂に向かうと浴室にターゲットが倒れていて。それが葵だ。小さい頃から思い詰めていた高校の受験に失敗して手首を切ったんだ」  貫太郎はただ、淡々と語る。過去とどうやって折り合いをつけたのか、俺には想像すらできない。 「いつものようにあっさり仕事を片づけるつもりだったのにできなかった。その顔が姉ちゃんにあんまり似てて。  橋の橋脚に縛られて濁流の中にのまれていく姉ちゃんのようにびしょ濡れで浴室に倒れている葵の姿に堪らず、招魂を止めてしまった。それで俺は何年も懲罰の期間が追加されたけどね」  貫太郎は口の端を上げて笑っていた。 「葵は人生をまっとうするって約束してくれた。その代わりに、死ぬときは俺に看取って欲しいと言われたんだ」  ――その時、再び葵には貫太郎が見えるから。小夜の代わりに色んな事を経験して、それをお土産に話すからと。 「貫太郎、まだみんなを恨んでいる?」  差し出した俺の手を貫太郎はぎゅっと握る。 「いや……今は思わない。俺だって自分や姉ちゃんが助かるものならそうしていた。庄屋や神主だって家族がいて、それを守りたかったんだろう。人にはそれぞれ守りたいものがあって、それを糾弾しても仕方ない。だけど……神や言い伝えは人が作ったもので、俺達があのとき逃げだしていたとしても雨は降っていたと今は知ってしまったから。  だから……悲しさだけはずっと残っている。  沁み込んだ憎しみは濾過されて薄まったけど、積もっていく悲しみは際限が無いんだ」  痛いほど握られた手の力に貫太郎の思いの強さを感じた。人は生きる時代も環境も選べない。その中でそれぞれが死というゴールに向かって悪戦苦闘している。  そう思えるまで何年かかったんだろう。それに比べて俺なんて。 「俺なんて貫太郎に比べたら……」 「止めろ」  俺の手を握ったまま貫太郎は厳しく言った。 「死のうとした理由に大きいも小さいも無い。そんときあんたは本当に辛かったんだろ? それで充分じゃないか」  優しくもう片方の手で頭を撫でられて俺は許された気がして泣いてしまった。そう、俺は許されたかった。卑怯でも何でも……。 「貫太郎、俺はおまえの アオイちゃんみたいになれる?」 「葵はあんたとは違う」  ――俺とは違う……。  即座に返されたその言葉は俺をしたたかに打った。  どんなに頑張ってもあの女子高校生と同じ場所には立てない――そういうことか? 貫太郎はアオイという娘に姉や自分が果たせなかった全てを託している。  そんな立場にはとうていなれないと言うことなのか。 「櫂、あんたは誰とも似ていない」  もう言わないで欲しい。貫太郎の胸の中のすき間のどこにも俺の入る場所はないのだったら。腕を突っ張ってじりじりっと貫太郎から離れた。 「悪かったな……誰にも似て無くて」 「悪くないだろ? あんたはあんただからいいんだ」  え……どういうこと?  俺は浮かれていいのか、落ち込むべきか分らない。間抜けな顔で貫太郎を見るしかない。 「あれだけ、あんたの魂は綺麗だって言ってるのに」 「それって意味分からないんだけど」 「ええ? 何で?」  きょとんとした顔で貫太郎は俺を見る。だけど見られたって俺には分からない。そんなんじゃキュンとこないんだよ、ふつう。 「魂だ、なんだって嬉しくないんだけど」 「そ、そうなのか?」  慌てた感じの貫太郎がぎしりと俺との距離を詰めた。 「魂褒めちゃあダメなのか?」  まさか貫太郎、本当に分かってない? 「うん、あんまりぴんとこないよ、それ」 「綺麗なとこ、褒めたほうがいいんじゃないの?」 「だって、俺自分のなんか見た事無いし」 「あ……そうか」  突然得心がいったという顔で貫太郎は俺の肩を持って顔を近づけてくる。 「じゃあ、櫂の睫毛の色がいい」 「……へ?」 「前髪の長さもちょうどいいし」  まさかとは思うが貫太郎、俺のいいとこ並べてるのか? にしたってどれもこれも微妙なとこを攻められて俺はどう言ったらいいのか考えてしまった。 「貫太郎もういいからさ、態度で示して」  貫太郎が俺の耳朶の形がいいんだと言ってるのを遮ると、一瞬固まった貫太郎が手を伸ばして頭を包むみたいに手を当てて引き寄せてくれた。  長めの前髪の間から、深い蒼の目が俺を見つめている。その海の底に俺の顔が浮かんでいた。
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