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バス
不思議に思いながらも俺は歩いた。しかし、貫太郎は歩けというけれど結構病院までは距離がある。何気なく歩道を歩いていると市内循環のバス停があった。
「バスがあるじゃん」
バス停で待っていた中年の婦人に続いてバスに乗り込むことにする。昼前の半端な時間のせいか車内はすいていて一番後ろの席に座った。
叱責するみたいに『ちょっと白』がギャアギャアと大きな声で鳴くがわざと知らんふりをしてやった。歩いてだって、バス乗ったって目的地に着けばいいじゃないか。
車内からのんびりと街並みを眺める。たくさんの人が目的に向かって歩いているように見えた。俺は自分で道を開こうとしたことがあったろうか。
人のせいにして。社会のせいにして、初めからなんでも言い訳を用意してから諦めていたような気がする。
諦めがいい方が楽だったから。物分りいいのはそのせいだった。努力したって無駄だと言う前にそれほどの努力をしたことがそもそもあったろうか。
仕事が済めば俺は転生する。そうしたら今の記憶は無くなっている。やり直したいと思っているが、記憶を失くしたくはない。今までを背負ったままで自分の可能性を試してみたいと思い始めていた。
なんでもっと早くに、そう思わなかったのか。
孝也と普通に別れれば良かった。逆上したのは自分の価値がそんなものだと言われた気がしたから。何も持ってないくせに、持てきれないほどのプライドだけはあった。
生きて行くのにちんけなプライドなんていらないのだと今頃気付くなんて。物思から覚めた俺の目にある男が止まる。
二つ目のバス停で乗ってきた男。ニットの帽子を深く被り、眼鏡をかけて大きなマスクをしていた。黒っぽいフード付きのコートにジーパン。冬場なら別にそれほどおかしいとも思わない格好だが、なにかがおかしいと目を離せなかった。
目がきょときょとと揺れ動いていた。眼鏡とマスクの間から見える顔色がどす黒いほど悪い。
――こいつ、なんか企んでる?
バスの中央付近にすいているにも関わらず立っている男がしきりにコートの左内ポケットを気にしている。
バスジャック?
すいているとは言え、老人と中年の女性、そしてお腹の大きい若い女性が夫らしき人と乗っている。病院に定期健診にでも行くのではないかと思った。真ん中へんには今日は学校が休みなのか、十代の女の子の二人連れもにぎやかに喋りながら、手もとのスマホを高速で操作していた。
今なら防ぐことができるんじゃないか。そう思うとこのまま座っているなんてできない。
ポケットから刃物の類を出したら、すぐに行動できるように席に浅く腰をかけた状態で男の動きに集中する。
また……ポケットを探っていると思っていると男の胸元がきらりと光った。それが刃物だと分かった。
くそっ、やらすかよ。
飛び出そうとした俺のまん前がいつの間にか若い男の背中で塞がれていた。
「手ぇ出すな、櫂。歩けって言わなかったか」
前を向いたまま厳しい声を出したのは貫太郎だった。
「貫太郎なんで?」
ちっと貫太郎は大きく舌打ちをした。
「俺のターゲットはここにいるんだよっ。櫂、あんたは絶対じゃまするな」
ここに?
あの人の良さそうな老人だろうか? それともあの中年の女性? いやまさかあの若い夫婦だったら。
目の前で酷いことがおこるのを見ているだけなんて。
男はそのまま若い夫婦が座っている二人掛けの椅子へと向かう。立ち上がり易いように通路側に座っていた女性の首に男はナイフを突き付けた。
「きゃあっ」
「手を放せ、こらっ」
「うるせえっ、逆らうとこの女の首を刺すぞっ。いいか、このバスは俺が乗っ取ったんだよ」
男が叫び、悲鳴が上がる。
「貫太郎、いいのか?」
「見とけって。あんたその棒をしっかり握ってろ」
棒? 言われて目の前にある握り棒を握った途端に運転手が急ブレーキを踏んだ。タイヤが大きな悲鳴を上げ、車体が大きく傾げて乗客たちは前方へ凄まじい力で引っ張られる。
そして……立っていたのは俺と貫太郎と犯人の男。貫太郎は即座に吊革を両手で掴み、流される体を防いだが、犯人の男はそのままフロントガラスまで飛ばされて酷く当たって床に崩れ落ちた。
片手で握り棒を掴んでいたが、急に前方に体を持っていかれ両足が完全に浮き上がる。必死でもう片方の手で棒を掴もうとするが適わず、反対に掴んでいた手もあまりの痛みに離してしまった。犯人と同じところに体をぶつけた反動ですぐ側に倒れた。
「お、お客さんっ大丈夫ですか?」
運転手の言葉に前の背もたれに頭を思いっきりぶつけて呻いていた乗客たちもがくがくと頭を上下させる。
倒れた男の体の下がいつの間にか血だまりになっていた。側の俺の服にも犯人の血が沁み込んでくる。痛みをこらえながら起き上り、どこか折れてないかを確認するように肩や手を動かしてみる。仮とは言え、俺は死神なんだけど死神ってものが果たして骨折したり、怪我したりするものなのか?
とりあえず自分の体は無事だった。そして、今回の死人は乗客じゃないことに安堵した。貫太郎の招魂は犯人のものだったんだ。
そう思って近づこうとした俺の肩を乱暴に掴んで貫太郎が前に出る。
「動くな櫂」
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