一時帰宅

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一時帰宅

「それはそうとさ、着替えたいんだけど」  俺の言葉に貫太郎は「ええ?」と露骨に嫌そうな顔をした。 「あのさ、それでいいじゃん。スーツって戦う男って感じだぜ。イケてるって……イケてるでいいんだよなこれの使い方。違う? えっと、イカスってのはもう随分昔だよな……」  ぶつぶつと貫太郎は頭を捻っている。 「モーレツっていうのは、こういう時使うんだっけ? てか、今平成?……だよな。いや、令和……だっけか。ほんと元号っていらなくないか? すぐ変わるし。まあいいや、それより何着たって同じだろ。ったくなんだってあんたら臨時職員ってのは着替えたがるのか……」 「いいから俺の家に寄ってくれ」  何でもいいから理由をつけて貫太郎をまきたかった。本当のところ、自分の家なんか無い。孝也の家に上がり込んで居候していたのだから。  大学を卒業しても就職できなくて、結局男相手のホストクラブにバイトに行ってたところを客として来ていた孝也に拾われた。  今、大きい会社は血縁で社長なんか選ばない所が多い。しかし結局大株主である創業者の一族が重役として会社にいることも多い。  孝也もその口で若いながらも社内にいる三人の専務の一人として勤めていた。おかげで俺も私設秘書扱いで会社に勤めることになった。  だが、専務室でやることと言ったら孝也とのセックスしかない。それでも良かった。孝也は俺を甘やかし、それに甘んじて毎日を怠惰に過ごしていた。任してくれたのは彼の分身だけだったとしてもそこには情があると思っていたから。 「櫂、もっと可愛く啼いて」  焦らされて懇願する俺の声が好きだと孝也は言う。毎回しつこいくらいの前戯に堪らなくなっていつもお強請りする俺を見るのが――。 「なあ、ここあんたの家? こじゃれてるよな」  いきなり声をかけられて死ぬかと思った。いや、半分死んでるらしいからこれは冗談ごとじゃない。  首が油の切れたロボットになったみたいにぎこちなく声のしたほうへ向く。確かにここで待ってろと玄関先で別れたはず。いそいで荷物をまとめて裏から出るつもりで鍵もしっかりかけたのに、何で貫太郎がここにいるんだ? 「早く着替えて来いよ。俺、ここで待ってるからさ」  リビングのマガジンラックから雑誌を取り上げながら、貫太郎は三人掛けのソファに寝そべって俺にひらひらと手を振った。 「どっから入ったんだよ、おまえ」 「そこ」  そこって、窓? だけど窓には鍵がかかってる。 「鍵外したのか」 「何で?」  何で? それこそ何で? だよ。鍵も開けないでどうやって入るんだと貫太郎を見る。すると煩そうに貫太郎は顔を上げた。 「何言ってんの、俺達がいちいち鍵開けてから人ん家に入るわけないだろ。おまえほんと、バカだよね」  かちんときた。それはきっと自分でもろくな人生送ってこなかったのを引け目に感じているからだ。体を売って、媚を売って生活してきたという自覚があるから。 「煩いっ。俺だって大学出てるんだよ。てめーはどうなんだ、死神。そんで人ん家入るときは靴脱げよな」 「俺? 大学どころか、小学校さえ出て無いけど。それに俺たちが他人の家入るときに靴脱ぐわけないだろ、何言っちゃってんの」  簡単に言われてそれを咀嚼するのに時間がかかった。小学校も出て無い? 死神ってやっぱり神様なの? 「あのさ、死神って……」  質問を遮って貫太郎が目の前で人差し指を振った。 「ちっ、ちっ、俺は死神じゃないから。冥府の職員、そこんとこよろしく。グダグダ言ってないで早く着替えろ」  何が「ちっ、ちっ」だよっ。くそっと舌打ちしながら二階に上がった。寝室からつづくウォーキングクローゼットの一角に俺の荷物がある。  持っていたスーツは全てホスト仕様で孝也に全部捨てられて、オーダーメードで作って貰った。私服もほとんど買ってもらったものばかり。嬉しいというより買って貰えば貰うほど自分の価値が目減りするような気がしていた。それを必死で見ないように考えないようにしてヘラヘラ生きて来た。  だってそれしか俺にはできないから――。  掛けてあるスーツの横の引き出しがらレースがはみ出していた。思わず手に取って速攻後悔した。それはピンク色のベビードールだったからだ。 「櫂に似合うと思って買ってきたよ」  よく櫂はそう言って色んな変態っぽい衣装を買って来て、無理やり家の中で着せられていたっけ。  見れば見るほど俺は孝也の「おんな」だった。いや、人間ですら無かったのかもしれない。お気に入りのペット。人間扱いされていたのなら結婚してもずっと一緒にこの家にいようとは言わないよな。  どんな言い訳を嫁にしようと思っていたのか。 「早くしろよ、何着るのか悩んでるのか? だったらお勧めは俺みたいな格好だな」  またもや俺は背中から声をかけられた。 「か、貫太郎っ、おまえ下で待ってたんじゃないのかよ」 「だって、女みてえに支度が遅いからさあ」 「女で悪かったなっ」  さっきまでそんな事を思ってたところに言われて、思わず大声を上げる。そして貫太郎は俺の手の中にあるものに注意を向けて目を丸くした。 「あ、あんたさ……」 「なんだよっ」 「女だったの? なんか、ごめん。てっきり男だと……」  こいつっ、喧嘩売ってんのかと俺は思った。 「俺が女に見えるか?」 「だって自分が言ったんじゃんか。あんたどー見ても男なのにさ。びっくりしたのは俺だっての。分かりにくいリアクションとか止めてくれる?」  貫太郎は自分が正論とばかりに胸を張って俺を見る。手に女物の下着を持っているのを見られていることもあってもう言い返す気力も無くなり、さっさとスーツを脱いだ。Tシャツにチェックのシャツを重ね着し、カーゴパンツを履いてスニーカーを箱から取り出す。 「それでいいのか?」 「ああ、何か変?」  貫太郎が聞いてくるのでどこかおかしいのかと鏡で全身を映してみるが、自分では分からない。ファッションに関してはまるでセンスが無いのは自分でも分かってる。  ホスト時代にも、休日デートしたお客さんからよく「センス無いいなぁ。買ってやるよ」とか言われていたよな。  家具やテーブルの上なら――、  料理に合わせて器を変えたり、クロスとコーディネイトしたりするのが好きで食事のしたくも楽しくできたのに。  テリーヌや、前菜を黒い漆の四角い盆にのせて出したときは、孝也が褒めてくれたんだっけ……。  まただ。  ここに居ては駄目だと改めて思った。何を見ても孝也のことに結び付いてしまう。  ――俺が殺したのに。俺が……。  早くここを出たい。 「よっしゃ、任せとけ」 「えっ?」  いつの間に胸の思いを口に出していたのだろうか。 「待ってました。じゃ俺に掴まって」  掴まって? 「目を閉じといた方がいいと思うけど」  目を閉じる? なんで?  ベランダに手を引っ張られて出ると貫太郎の肩に手を置かされる。何か嫌な予感がする。 「ちょ、俺やっぱ、急がなくても……ぎゃああああっ」  細い貫太郎の首にしがみついていた。  お、俺今空飛んでる?  何か言おうとするが、恐ろしいほどの風の勢いに口が開かない。うっかり開けると二度と閉じられないだろう。目にも遠慮なく風は突き刺さってきて涙が止まらない。  映画とかってみんな笑いながら空飛んでなかったか? ドラゴンなんて、ましてや、不安定な箒になんてこの先、絶対乗らないと俺は心に決めた。
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