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知らなかった自分
パトカーと救急車のサイレンが聞こえてくる。何台ものパトカーがバスの周りに止まり、警官がドアを壊して中に入ってきた。
「もう大丈夫です。怪我人は?」
「運転手さんと、犯人が……」
ほっとした顔で中年の女性が喋り出した。緊張感から解き放たれてもう口が止まらないのか、降りる間中テレビのレポーターに車内の様子を喋り続けていた。
空にはバラバラと大きなプロペラの音をさせたヘリコプターが旋回している。車内に警官が何人も入ってくる間をすり抜け、俺と貫太郎は外に出た。
「カアカア」
いきなり頭を突かれて「痛てえ」と声を上げると『ちょっと白』が文句を言うように首を突き出して「ガア」と一声鳴いた。
「ごめんって。悪かったよ」
『ちょっと白』はふんと首を後ろに逸らすと貫太郎の肩に止まった。
「思いのほか、時間をくったな。飛んで行くから俺に掴れ」
肩に止まった『ちょっと白』の足をぽんと叩くと『ちょっと白』は肩から飛び上がり、貫太郎は俺に手を差し出した。
「次が最後だから、しっかり決めろよ」
俺に拒否権なんてない。うんと頷いて貫太郎にしがみついた。貫太郎にしがみつくのもあと何回なのか。細いくせにしっかりした体に両腕をしっかりと回すと貫太郎の片手が背中を抱いた。
見せかけの体だっていい。本当は化け物みたいなんだって言われたとしても、それでも……。
思いっきり貫太郎の匂いを嗅いで触れて覚えていたい。
転生しても何か一つでも持っていけるように。
病院に着いた俺と貫太郎は指定された病室に向かう。上に上に上がっていくエレベーターが目的の階で止まり、そこが特別室と呼ばれるバカ高い個室料金の病室ばかりがある階だと分かった。
人生の最期が病院なんて今ではそれが主流だろうが、ここがいわゆる双六で言えばアガリなんだろう。
招魂されるのはどんな金持ちなのかと病室に入るとそこには俺の知ってる顔があった。
「孝也……さ、最後の仕事って……え?」
振り返ると貫太郎が固い表情で部屋に入ってくる。
「そいつがあんたの最後の仕事だ。どうする? そいつを招魂したらおまえは目覚めてこのまま生をまっとうできる」
「そ、そんな……」
「櫂、やりたいことができたんじゃないのか?」
俺の思いを見透かすような貫太郎の言葉に俺は――。
何年も会ってなかったように感じるが、孝也を殺しそうになってから三日しか経っていない。酸素マスクを付けて目を閉じている孝也に罪悪感からか、目を逸らしそうになる。
顔色が悪いが端正な男らしい顔。女も男もこの顔と優雅な物腰に落ちてしまう。俺もそうだった。
だけど――、
俺のことペット扱いしていたじゃないか。
結婚するのに俺を一緒の家に置こうとしていたんだ。
俺ばっか悪いんじゃない。俺だって夢に向かって歩き出したっていいじゃないか。だって、やりたいことができたんだよ。
「孝也、俺生きたいんだよ」
呼びかけに応えるはずも無く、孝也は静かに目を閉じていた。孝也の頬に触れると温かかい。孝也はまだ生きている。
そのまま指を唇に持っていくとその唇は乾いていた。いつだってスキンケアを欠かしたことが無かったのに。
しっとりとした唇で首筋を吸われるのが好きだった。
「可愛い」と言われるのが恥ずかしかった。
「美味しい」と言って作ったご飯をたいらげる口元が色っぽかった。
そうだ……。
何も知らなかった俺を拾ってくれて、一流の物に触れさせてくれたのは孝也だ。食器の組み合わせや、家具のことや、色々覚えられたのも彼のおかげだ。
「ごめん……ごめんな、孝也」
俺は自分可愛さに孝也を必要以上に悪者にしていた。嫌だったら家を出ていけば良かったのだ。立場に不満があるくせに今の生活を失いたくない。そんな俺が孝也を非難できるわけがない。
「孝也を招魂することはできない。初めに決めた通り、俺を代わりに連れていってくれ。この仕事の時だけ名前を教えてくれなかったのはこれのせいだったんだな」
「いいのか、櫂。やりたかったんだろ、店」
やっぱり貫太郎には気付かれていた。それがなんだか嬉しかった。俺の好きなことを貫太郎に知ってもらえて。だめだめなとこばかりじゃなくて、がんばろうと思ったことがあったと最後に見せることができた。
「うん、すごくやりたかったよ。でも、それは孝也の命と引き換えにしてやることじゃない」
貫太郎は悲しそうに笑った。そして目を彼の両手で塞がれる。
「櫂、俺が三まで数えたらゆっくりベッドを見るんだ」
「どうして?」
いいからと貫太郎は静かに数を数えはじめた。
「一、二、三、いいよ、目を開けろ」
言われて目を開けた俺の前でベッドに寝かされていたのは孝也じゃ無かった。栗色の長めの髪が枕に散っている。
耳にはピアスの穴がたくさん開いていて、サラリーマンとしてはありえない。そうだ、孝也の私設秘書として会社に行っても働くような格好じゃなかった。見た目で判断する社会人には受け入れられない。そんなことも知らなかった。
そこで求められる姿というものがおのずとあるのだ。そんなことも考えずに何で仕事を任せてくれないのかと相手を恨んでばかりいた。
いろんな事を知らなかった自分。
そう、そこに寝ていたのは俺だった。
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