プールの中

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プールの中

「な、なあ首苦しいって」 「へえええ?」  掠れた声で返事らしきものを返した俺は、いつの間にかどこかの学校の屋上に着いていた。恐ろしいほどの風にあおられて体の水分が吹き飛んだ気分だ。 「俺、死んでるのに、もっかい死ぬかと思ったよ。すっごい力で首を絞めんの、勘弁してよ。じゃあ今からさ、俺達の仕事をやってみるから。ここで見といてくれる?」  いいとも悪いとも聞かないまま、貫太郎は校庭の一角を指さした。 「あのプールを見とけよ、櫂」 「うん」  夏を過ぎたプールにはそのまま濁った水が張ってあった。 防災用に何年か前からか、水を抜かないところもあると、どこかで聞いたことがある。 お客さんの一人だったか?  真夏のプールは痛いくらいの日差しと、生徒たちの大声や立てる水しぶきで陽の姿を見せているのに、今は怖いくらい静かで陰の空気に包まれていた。  その淀んだ水の中に――顔が浮かんでいる。 「貫太郎、あれっ、中に人が落ちてる。助けなきゃっ」  ゆらゆらと広がっているのは黒髪だ。そこにいるのはたぶん女の子だ。これから彼女が溺死するのを俺は見なけりゃならないのか?  仕事ってこれ? そう思って貫太郎を見るが、彼は動かずにそのまま見ている。 「おい、早くしないとっ。溺死もだけど凍死しちゃうんじゃないか?」  それでも尚動こうとしない貫太郎に焦れて、肩を掴むとばんと跳ね退けられる。 「煩いぞっ。言っとくが俺達の声は普通の人間には聞こえない。けど、霊感あるやつには見えるし、聞こえるんだ。仕事中はなるべく黙ってろ」 「だって……」  まさか、俺達の仕事ってこうやって死にそうになってる人間が死ぬのを見届けて、死んだら天国とかに連れて行くっていうものなのか?  そんな……今すぐ助けたら、彼女は助かるかもしれないのに。  ただ、息が止まるのを待ってるなんてっ。  そう思ったら勝手に体が動いていた。どうしたらと思う間も無く屋上から飛いんでいたのだ。しかし右腕にがくんと痛みが走って体は止まる。 「何やってんだよ、見とけって言ってんだろ。手え出すんじゃないっ」  手すりから乗り出して俺の腕を掴んだ貫太郎が睨みつけてきたが、俺も悔しくて睨み返した。 「なんだよ、なんで助かるのに助けないんだよっ。この死神っ、化け物っ、悪魔」 「煩いって言わなかったか、ターゲットが来たから、あんたもう喋るなよ」  酷い事をぶつけているのに貫太郎は涼しい顔で俺を引き上げる。そこでもう一度「大人しくしとけよ」と念押しし、手すりに足をかけたかと思うと鴉に姿を変えてすうっとプールに一直線に飛んでいく。 「鴉だったのか? 貫太郎……」  鴉に姿を変えた貫太郎がプールに向かうのを唖然と見送った。  ――カラスの貫太郎って……。いや待て、ターゲットが今来たってことは? プールの中のあの女の子は違うってこと? 何が何だかわからないまま目立たないように物陰に隠れた。隠れる必要は無い気もするが見えるやつもいるって貫太郎が言ってたし。 「ねえ、大事な話って何?」  生まれつき栗色なんだと甘い母親に申告させている少女が可愛く首を傾げた。勿論どう見えているか計算済みの角度で。 「何? 由里ちゃんが話あるんじゃないの? 大事な話があるから絶対来てって連絡くれたんじゃないか」  黒縁の眼鏡をかけた背の高い男子が眉を寄せる。 「ここ来るの、嫌だったんだ。気味悪いしさ」  とぷっと水が動いた気がして横目でプールをちらっと見た少年は直ぐに目を逸らした。 「何よ、怖がってるの? まだ真昼間じゃない。おばけなんて出ないわよ、大山君ってビビリなのね」  少女はうふふと笑って見せる。 「うっせえ」  大山と呼ばれた少年は恥ずかしさを隠すようにわざと怒った顔を見せた。 「だって、ここ理沙が……」  急に怖くなって先を言えなくなる。ここは嫌だと体が拒否している。だって今、ぽちゃんっと魚が跳ねたような音がしなかったか? 「なあ、ここ出よ。違うところで話そうぜ」 「なあに? 理沙のこと怖いの? 勝手に死んじゃっただけじゃない」  ばしゃんっ。二人は顔を見合わせた。確かに今――、 「今の……何?」 「何でも無いわよ。きっと金魚でもいるんだわ」  ざざざっ。 「お、俺ごめんっ、もうだめ」  真っ青な顔で少年は脱兎のごとく出て行った。 「意気地なしね、案外根性無しの理沙と良いカップルだったのかしら。ちょっかい出さなきゃ良かったかな」  少女はふんと鼻を鳴らした。  ざばり……ざばり……。 「煩いわねえ……一体何がいるのよ……」  プールをのぞき込んだ少女の喉からひゅっと声が漏れた。足に何かが絡んでくる。冷たくてぬるぬるしていて、糸みたいなもの――。  はっ、はっ、はっ、はっと煩い息遣いを自分がしていることに気づいて少女は恐慌状態に陥って、口を手で塞ぐ。  息を殺して目だけ下に向けると、いつの間にか膝の辺までびっしりと黒い糸がからみついている。それはプールから続いていた。 「きゃあああっ」  今まで抑えておけたのが嘘のように声が止まらない。叫んでいればこの状況から逃れられるかのように少女は叫び続けた。 「な、なんだよ、あれ」  屋上からプールまで随分と距離があるのに会話まで聞こえるし、少女の表情も見えるのに俺は驚く。 そして……腰まで黒々としたものにぐるぐる巻きになった少女が叫びながら動いていた。  プールへゆっくり、ゆっくり。 「止めて、止めてっ、誰か助けてっ、嫌だ、嫌っ、嫌っ」  ずりずりと引きずられる少女がプール際まで来た時、プールの水が波立った。恐怖で目を閉じられない少女はやっと自分を捕まえている正体を見た。
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