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てな感じのお仕事です
「り、理沙」
その声が合い図になったかのように一気に少女はプールの中に引っ張られる。ばしゃばしゃと激しくもがく音がだんだん弱くなる。そして……最後にぶくぶくと泡が水面に上がってきた。
――死んだのか、あの子?
目の前で起こったことが信じられない。人が死に行くさまを何で見ていなければならないのか。
がっくりと膝をついた俺の前で静かになっていたはずのプールに一羽の鴉が飛び込むのが見えた。
「貫太郎?」
と、いきなり大きく水面が大きく盛り上がり、波立って何かが水面から手が伸びた。それは陸地に這い上がるように水面に手をついて体を引き上げる。
「じゃまするなっ、こいつはあたしのもんだっ」
ざばりと水音を立てながら振り回す手には少し大きめの青いビー玉のようなものが握られていた。そこに水中から鴉が飛び出して、その腕みたいなものに嘴を突き刺す。
「うががああああっ」
ぽろりと零れ落ちた玉を鴉が素早く咥えて真上に急上昇した。
少女に見えていたもの、それが大きな咆哮を上げた。どんどんと姿が変わっていく。人間の名残がすべて消え、大きな黒い塊になっていく。そこから触手のように黒い髪の集合体が伸びて鴉を追う。
「返せ、返せっ、それはワレのもんだっ」
鴉の足に髪が絡んだ瞬間、鴉は人間の姿に戻り、空中に止まってビー玉を見せびらかすように振ってニヤリと笑った。
「違うな、これは冥府のもんだ」
貫太郎はそのビー玉を鞄から出したフィルムケースのような容器に入れてパチンと蓋をしめ、鞄に放り込むと腰から拳銃を抜いた。
「貫太郎っ。女の子は?」
「うるさ……」
俺の声に一瞬気を取られた刹那、手に持った拳銃が弾き飛ばされ、あっと言う間に貫太郎は黒い髪に包まれて水に引き込まれた。
貫太郎っ、俺、ど、どうしたらいい? 目の前で起こった事に何もできない。貫太郎しか頼る人はいないのに。
俺を残していくなんてっ。
プールの水面は曇りの空を映すように濁っていて、そして本来の静けさに戻った。
んなわけあるかっ。これで終わりってそんな……。
「バカ、アホ、くそ死神っ。俺を引っ張ってきたくせに勝手にいなくなるなよっ、バカ野郎」
大声で叫んだ俺の元にびゅううんと鞄が飛んで来て、顔にぶち当たり落ちた。
「痛ぇっ」
「痛いじゃないだろっ、あんたのせいで仕事失敗するかと思ったぜ」
ざぶんと水の中から飛び出した貫太郎が苦々しく言った。彼の手にはサバイバルナイフのような厚い片刃の短剣が握られていた。
「水の中で隠れてないでとっとと出て来やがれ。そうじゃないと俺が賽の目に切り刻んでやるぞ」
貫太郎が挑発した途端、黒い髪の塊が飛び出す。それはプール中にいくつも突き出し、その中心に目のようなものが光る。
貫太郎が指笛を吹くとどこからか、鴉が飛んでくる。その嘴には飛ばされたはずの拳銃が咥えられていた。
『ちょっと白』、名前を呼ばれた鴉が貫太郎の頭上に拳銃を落とす。素早く掴むと貫太郎は剣を口に咥えて目玉に照準を合わせ、そのまま引き金を引いた。
ガス爆発かと思うような音と目を開けていられないほどの光に、俺は目を閉じて手すりに捕まっていた。
びりびりとするほどの音に鼓膜が破れて無音の世界に投げ込まれた――そんな気がするほどの静寂が訪れる。このまま無音の空間に置いておかれたらどうすればいいのかと心細くなったその時。
まさにその時、どしゃどしゃと水を含んだ靴音が聞こえてきた。
次いで「おいっ」と、肩をどつかれる。
「なんだよっ」
「鞄貸せ」
ああ、鞄ねとさっき俺にぶち当てられた鞄を貫太郎に差し出した。貫太郎はそれを受け取るといつものように斜めに掛けて俺を見た。
「てな感じのお仕事です」
何がてな感じなんだよっ。
「あんなこと俺にできるわけないだろっ。ばけもんと戦うなんて」
俺の言葉に貫太郎は目をぱちくりとさせる。
「あんたにやってもらうのは、渡されたターゲットが死んでから魂を受け取ってこのケースに入れて持ってくることだけ。ちゃんと見てたのかよ」
おいおい、どこを見てたらそんなお手軽作業に見えるんだ?
「この嘘つきがっ。簡単な軽作業、誰でもできマスみたいなノリは止めろ」
冗談じゃないと貫太郎の側から離れた。どこに行くあてもないが、とにかくあんな事はやりたくない。
「人の死ぬのを待ってるなんて仕事、やりたくないっ」
言った途端、頬に痛みが走った。叩かれたのだと気付いて貫太郎を睨むと、胸ぐらを掴まれた。
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