ユン

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ユン

「貫太郎は……」 「俺のことはどうでもいいだろ。どうせ、あんたはあと二回分仕事を済ませばツレを助けられる。あんたの魂は洗浄されて現世に戻るんだ。いろいろ聞いたって新しい人生になったら、俺のことなんか覚えていない」  じゃあ、あの子は?  俺は貫太郎の肩を掴んだ。 「葵って娘は貫太郎のこと覚えていたじゃないか。あの娘は特別なのか?」  笑って貫太郎にメモを寄こしたりしてたじゃないか。 「あいつは、自殺したけど結局助かったんだ。だから覚えている。あんたは死にたいんだろ?」  助けたのか? ターゲットを貫太郎は。そう思うとなぜか、むかむかして苛々する。貫太郎にとって俺の立場って何? まるで子どもだ。分かっている。別に貫太郎は俺の肉親でもなければ友達でもない。 しかし何もかも失ったと思っていた俺には唯一縋れるものだった。他人の過去に嫉妬したって仕方ないとは思うもののわだかまりは晴れない。 もう嫌だ。  ベッドから起き上がるとドアに向かった。外からはプレートが無いと開かなかったドアも内側からは手を触れると簡単に開いた。 「おい、外に出るなって」  貫太郎の声を背中に聞きながら廊下に飛び出して走った。何度も角を曲がって聞こえていた俺を呼ぶ声も聞こえなくなってやっと足を止めた。  そして――迷った。 「君さ、マルファスが助けたターゲットだよね」 「おまえ、誰だ……っ」 「ま、いいから」  ぐいっと手を掴まれて俺はそのまま勢いよく誰かの部屋に連れ込まれてしまった。迂闊と言えば迂闊だが、こんなところでまさかナンパされるなんて誰が思う? 「触んなっ、おまえこそ誰だよ。マルファスって誰?」 「知りたい?」  俺を部屋の壁に抑え込んだまま、男は嬉しそうに笑っている。 「俺はユン、またあいつはあの時代遅れの名前を名乗ってるのか? ええと……」 「貫太郎」  そう、それと男は笑った。 「招魂士になると現世とは名前が変わる。あいつはマルファス、特級クラスの招魂士だぜ。たぶん一番の古株だ」  白っぽい金髪をポニーテールにした男が手を動かす度に手首につけた細い金属のバングルが音を立てる。垂れ目なのに可愛いと言うより意地悪な印象、ちょっと上を向いた鼻も愛敬があるというよりは気が強いと思わせる。厚めの大きな唇にはピアスが光っていた。 「俺さあ、マルファス……いや、貫太郎か。あいつのことリスペクトしてんだ。あいつとんがってて格好いいじゃん? ここ来てからずっと気になってたんだけどさ」  何を言う気なのか分からないが、顔がやけに近くてユンが喋る度に息がかかる。気持ち悪くて顔を横に逸らすが、追ってくるみたいにユンも顔を向けてくる。  死神の中で一番だなんて。貫太郎がそんな大悪人だったなんて思えない。だけど、貫太郎は自分でも人を大勢殺したと言っていた。  会ったばかりなのは貫太郎もこいつも同じなのに、俺は貫太郎を信じたい。こいつと貫太郎は違うと思いたい。 「いつだって冷静に大物を捕獲するくせに、たまにあいつときたらおまえみたいの拾ってくる」 「拾う?」 「そう」  ユンが長い舌で俺の首筋をちろりと舐める。全身に鳥肌が立った。なんか、こいつおかしいと頭に警報が鳴っている。首筋を舐められるなんてホスト時代も孝也と暮らしていたときだってざらにあった。  それなのに、ユンがすることなすこと寒気がするのはなぜなのか分からない。 「ターゲットの魂を助けることは原則禁止だ。それを覆そうとするなら百回分仕事を余計にこなさないとならない。なんでそんなことするのかな? おまえマルファスに狙われてるのかな?」 「狙うってなんだよ」 「知ってるか? 魂って旨いんだぜ。おまえもすげえ旨そうだ。その上見た目も好みだし。色素の薄い瞳や、栗色の髪、ぱっちりとした二重。お人形さんて言われたことない? ああ、たまんねえ」  ユンが興奮しているのが分る。吐く息の熱さと欲の色が現れたぎらぎらした瞳に吐き気がする。言われた特徴そのものが俺を孤独にさせた原因だ。  フランス人とのハーフ、それが俺の母親だ。おまけに未婚で風俗嬢という職業のせいか、はたまた俺の見た目のせいか、とにかく俺は虐められた。家から遠い高校を選び、再起をかけたのにまさかのゲイばれで俺の毎日は地獄になった。それでも大学に行けば変わるのではと逃げるように地元を離れた。  そう思ったのに、やっぱり上手くいかなかった。 「貫太郎はそんなことしてないし、俺だっておまえに喰われるのなんか冗談じゃないっ」  拘束されてなかった足でユンを蹴り上げようとしたが、反対に足の間に体を割り入れられる。優男風なのに、易々と人を押さえこんでいく。  こいつは人を支配するのに慣れている? 急に恐ろしくなってこわごわとユンを見上げた。そうだ、冥府の職員は――。 「おまえも……人を殺したのか?」 「……まあね。強姦殺人ってことかな。監禁して好きなだけ飼って、飽きたら殺す。楽しかったなあ。十五人目の女の子の目玉をくり抜こうとしてたところに警察が踏み込んできてさ、抵抗したら撃たれちゃったんだよ、あともうちょっとだったのに。ほんと残念」  自分の唇をべろりと舐め上げてユンは目を細めた。そこには悔悛の響きも更生の色も無い。悪戯がばれた小さい子のような仕草に胃が冷たくなる。  固まった俺の表情などどこ吹く風にユンは俺の鼻先を軽く噛んだ。 「おまえ、男と寝たことある? 無くても大丈夫、俺上手だから……その怯えた顔、すっごくそそる」  手の拘束が解かれたと思ったら瞬時に両手が首に回り、一気に気道を塞がれて気が遠くなった。  ――止めろって、孝也。  ああ、孝也ったら帰って来たんだな。仕事で深夜になるときなど、先に寝入っていた俺によく孝也は悪戯を仕掛けてくる。今日もそうだったっけ?  ひっついて抱きとめて、キスしなきゃ……「おかえり」って。  だけど、喉が痛くて声が出ない。触れられてる場所も感じるところから微妙に外れていてやけにしつこい。いつもなら外から帰ってきた孝也の手は、初めは冷たくても徐々に熱を持っていくはずなのに。  体を這い回る冷たい手にふと違和感を抱く。金属が体を擦る感覚に急激に意識が覚醒した。  孝也は指輪なんかしていなかった。そう思った途端に意識が戻り、俺は膝をついてげほげほと空咳を繰り返す。 「あれ、やっと起きたんだ? 強く締めすぎたかと少し心配したよ」 「おまえ……ユン?」 「そう、ユンだよ。これからこのまま犯ってやろうか? 先に挿れるぜ、血ですべりが良くなるし。それでまた首を締めたいな。あそこがきゅっと締まってたまらなくなるんだ」  ユンはそう言うと俺のズボンに手をかけてくる。 「何が上手いだっ、血ですべりをよくするだと? 冗談じゃないっ、いいのは自分だけのセックスなんか俺はごめんだ」  めちゃくちゃに手を振り回していたら、うまい具合に相手の顎に俺の拳がヒットし、ユンが顎を押さえた隙にドアに走った。  あともう一歩だった。もう少しだったのに。片方の足首を掴まれて床にぶっ倒れた。 「逃げられると思ってんだ。おっかしーっ」  立ち上がろうとした俺は激しい痛みと衝撃にそのまま床に沈んだ。ユンに無言で先の尖ったブーツで何回も蹴られて抵抗できなくなった。
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