月光の聖者達

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■  薫子は、まだ誰かと電話を続けている。 「それで、僕と連絡先を交換したんです。それから時々、今日みたいに家に上げてお茶を飲ませてくれたりとか。仇は、ひとまず取らないでもらっていますけど」 「ほええ……そんなことが。お姉ちゃんがねえ。そういえば、なんか足ケガしたって言ってたのその頃だっけ。関係ある?」 「あ、はい多分。薫子さん、ローファー履いてたんですけど、駆け寄ってきた時は脱いで素足だったので……。爪先とカカト痛めて、あとストッキングだめにしちゃいました……」 「まあそんなことより、危ないことしちゃだめだよ。……どっちかっていうとお姉ちゃんの方に問題ある気はするけど」  実奈実は苦笑しながら、薄くなりかけたドリンクバーのアイスコーヒーをストローですすった。 「それでも、家に上げちゃうってのはどうかと思うなあ。明日磨くんはピンと来ないかもだけど、そういうのって世間的にはちょっとまずくてさ」  肩をすくめる実奈実の顔を、明日磨が緩やかに見上げながら告げた。 「実奈実さんは、『――』って知ってますか?」 「え、聞こえない。なんで急に小声?」 「『――』です」  すっ、と実奈実の背筋が冷えた。それは、ある地域の名称だった。幼い頃に聞かされた覚えがある。ただし、その後は意図的に人々が口にするのをやめたため、耳にするのは久し振りだ。 「この近くの、いわゆる、被差別地域です。それも、十年くらい前に凶悪犯罪が起きた。全国ニュースでもやりましたよね、ずっと何日も」  実奈実や薫子の世代になると、地域が差別対象という感覚がうまくつかめない。少なくとも、実奈実は人間関係をそんなもので判断したことはない。  だが、そこで何か問題が起きれば、長く生きている世代の口から、いかにも禁忌といった声音で警鐘が発せられる。決して愉快なものではない。 「なんで……そんな話するの」 「僕は、そこで生まれ育ちました。というか、今も住んでます」  少年は平然と言い放つ。いや、平然と口にして、本来何を憚ることでもないはずなのだ。だが。  実奈実は、急速に色々な疑問が腑に落ちていくのを感じた。  なぜ姉が、柄にもなく激昂したのか。なぜこの少年を、家に上げるほど気にかけているのか。なぜこんな子供が追い詰められ、教師はそれでもおいそれと助け船を出せないのか。  時の流れの中に消えていこうとしている、忌わしい習わし。面と向き合うより、流れのままに薄れさせていくという選択の方が、当たり前なのかもしれない。ただ、今その冷たい傍流にさらされているのが、目の前にいる中学生なのだ。 「それで、明日磨くんは、……学校で、嫌な思いをして来たんだ」  明日磨がうなずく。 「どこからともなく、そういう情報を仕入れてくる奴っているみたいで。……実奈実さんは、僕の出身地を聞いて、どう思いますか」
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