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死体なら数多く見てきた。もし私が葬儀屋だったら、見る死体はそれなりに綺麗なものだったろうが、生憎私の職業は法医学者であり、扱う死体のほとんどは、警察から依頼を受け司法解剖を要した死体だった。
刺殺死体、絞殺死体、毒殺死体――これくらいはまだいい方で、水死体、腐乱死体、バラバラ死体等々、無残な死体を数多く目にしてきた。
犯罪が絡む場合がほとんどであるから、当然その中には奇怪な死体もあった。そのあまりに強烈なビジュアルが、いまだに脳裏から離れない死体もある。
その中で、私が最も印象に残り、かつ異様に思った死体がある。その姿を目にした途端、解剖台から一歩後ずさったのはこの時だけだ。
五年前の話になる。
十二月三十日の午前二時ごろ、私は自分の研究室で論文のチェックをしていた。
傍らの警察電話が鳴った。私は論文を途中で切り上げ、足早に司法解剖の準備に取り掛かった。
一時間ほどして、準備は完了した。
死体解剖室に入り死体を目にした私は、その激しい損傷具合から瞬時に、死因を轢断による腹部断裂によるショック死あるいは失血死だと予見した。立ち合いの刑事に確認したところ、彼はその通りです、と返した。
死体は電車によって轢断されたものだった。
本来ならば異議を唱えた。私が依頼されたのは司法解剖であって、行政解剖ではなかったからだ。行政解剖とは、犯罪に関連しているとは思えない異状死体を解剖することである。今回の場合は明らかに後者だった。
しかし私は異議を唱えなかった。過去に何度かあったからだ。目の前の死体に事件性があるのかないのか警察が判断に困り、万が一の可能性の為に、司法解剖扱いにした、ということが。
さて、問題の死体だが、縦に轢断された死体を過去に見たことがあったからか、動揺は特になかった。
その顔をはっきりと見るまでは。
死体の顔が笑っていたのだ。
私は後ずさった。
唇の両端が吊り上がり、三日月のような形を成していた。目は閉ざされていた。そのことにほっとした。もしこれで両目が見開かれていたなら、その表情のおぞましさは、計り知れないものになっていただろう。
同室内にいた刑事や検死係、刑事調査官たちの顔は全員青白かった。
しかし、いかに異様で恐ろしくとも、出来ませんと逃げ出すわけにはいかない。もたもたしていると死体の腐敗はあっという間に進み、正確な司法解剖はどんどん困難になってしまう。私は腹に力をこめ、目いっぱいの勇気を振り絞り、死体の傍らに立ち、捜査員が構えるマイクに向かって言った。
「それでは解剖をはじめます。開始時間、午前三時二十三分。よろしくお願いします」
死体に一礼。
そして、解剖は始まった。
解剖を終えた私は、解剖着と手術着を脱ぎ捨て、消毒など一連の動作を行った後、トイレに駆け込み、洋式便器の傍らでへたり込んだ。凄まじい吐き気だった。全身は脂汗にまみれ、両脚は震え、こめかみが激しく痛み、視界が歪んだ。心臓がとてつもないスピードで脈打ち、口内は乾き、大音量の耳鳴りが両耳を襲っていた。
最初に言ったが、死体は数多く見てきた。しかし、どのような死体だろうとも、敬意を払い、しっかりと見据え、その死の真相を究明してきた。
だが、あの死体に関してだけは別だ。解剖途中、解剖台の上から突き落としたい衝動に駆られたのは、あの死体だけだ。嫌悪感からではない。その死体がどのようにして死んだのか、その時の状況生々しく想像してしまったからだ。
肝心の死因だが、初見での私の予見は見事に外れていた。判明した死因は、凍死だった。
私は解剖の二日後――元日の早朝、郊外のとある踏切の前に立っていた。
雪は降っていなかった。その代わり強めの風が、容赦なく私の下へ寒さを運んでいた。新年特有の独特の静けさに包まれた踏切は、上がったポールが永遠に降りることがないような、まるでそのまま凍死してしまったかのようであった。
その傍らに、ぽつんと花束と缶ジュースが置いてあった。この踏切で命を落とした、あの死体の人間――Fとしておこう――に供えられたものだろうか。
踏切内の線路に目を移した。すっかり清掃されてしまっていたが、わずかながら血痕が残っていた。人体の轢断時によく見られる典型的な飛び散り方をしたものと、踏切の出口に向かって、太い筆で線を引いたようなものが。
Fの死因が凍死だと判明したのは、胸部にメスを入れ、心臓の血液の状態を調べた時だった。
最初は予見を基に、ショック死や失血死の証拠を見つけようとしたのだが、一向に見つからない。不審に思ったその時、とある直感に従い心臓を切開した。
Fの心臓は、右心房が暗い赤、左心房が明るい赤になっていた。これは、凍死に見られる典型的な所見である。
轢断された死体の死因が凍死、現場に残されていた太い線状の血痕。これらの証拠から、Fの当時の状況は次のように想定できた。
Fは電車に轢断されたが即死せず、何分間か地面を上半身だけで這いつくばって進み、そして死亡した、と。
十二月三十日の晩は、特に冷え込みが激しかった。Fの身体の血管は収縮し、そのため失血死せず――いや、この場合は“できず”だろう――凍える寒さの下、ちぎれた上半身だけで生きたまま、踏切の出口に向かって、這いずっていったのだ。死ぬその直前まで。
私はFが命を失ったであろう場所をしばらく見つめ続けた後、帰路につこうとした。
その時だった。懐のスマートフォンから着信音が鳴った。画面を見ると今回の事件を担当した刑事の一人からの着信だった。
電話に出た。刑事は堰を切ったように話を始めた。
犠牲者Fの身辺調査の結果、次のことが判明した。Fには親しい友人はおろか知り合いも全くおらず、家族ともとうの昔に疎遠になっていた。ここ数年は職にも就かず、ほぼ引きこもり状態だったようだ。
しかし、Fの口座にはかなりの額の金が毎月振り込まれていた。振込先は某有名通信企業で、主にブログ等のウェブサービスを展開している。Fは『たけたーけ』というハンドルネームでアフィリエイトブログを運営していた。記事はかなり過激なものばかりで、それが閲覧者にウケていたのだろう。それだけでなく動画配信も定期的に行い小金を稼いでいたようだ。近年、このような者たちが増えていると聞く。Fは現実では孤独だったが、ネット上ではかなりの人気者だった。孤独ゆえにネットにのめり込んだのか、それともネットで人気になったゆえに現実で孤独になったのか。
私のような頭の固い前時代の人間には理解が及ばない世界だ。だが、その後刑事が話した内容は、理解できる人間が存在するのかどうかすら疑わしいものだった。
Fのブログは新年早々削除されていた。重大な規約違反を行ったからである。
私は刑事との電話を終えた後、震える指先でネットの掲示板を覗いてみたが、案の定Fのブログの話題で持ちきりだった。今風の言い方で言えば、大炎上だ。
Fは列車に轢断された後、しばらくの間死ななかった。時間にしておよそ数分間だったろう。残り少ない時間を、Fはどのようにして過ごしたのか。その答えは、とある掲示板に張り付けられていた、ブログからコピーされた画像にあった。
その画像は、他ならぬFのスマートフォンから撮影されたものだった。
検死の際、私はFの左手に妙な違和感を感じた。死後硬直なのは間違いないが、妙に指の曲がり具合が右手より大きかったのだ。
真っ暗な空。点灯する踏切の赤いライト。停車している電車。画像は、それらを非常に低いアングルから捉えていた。轢断されたFの下半身も一緒に。
その画像は、一月一日午前〇時ちょうどに投稿されるよう、あらかじめ予約設定されていた。「りあるてけてけwww」というタイトルで。
Fは電車に轢かれた後、上半身だけの体でスマートフォンの所まで這ってゆき、その画像を撮影し、わざわざ年明けと同時にブログに記事が投稿されるよう設定して死んだのだ。ブログを目にした者たちの驚きとその後の大反響大騒動を想像し、独り笑いながら。
私は身を震わせた。相変わらず風は強かったが、私が感じた寒さは、決して冬のものではなかった。
了
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