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⒎
「薔薇の花を四本切ってくれないか?」
庭先で声をかけた雇い主に対し早急に荷物をまとめたオスカーは深く頭を下げた。
使用人の思わぬ行動にアルフレッド氏は硝子玉のような碧眼を丸くして驚いた様子を見せた。次に血色のいい唇をへの字に曲げる。
「自分の人生が欲しくなったか?」
この人はどういった意図で問うているのだろう? オスカーは見当もつかなかったが、「いいえ」と答える。
彼の返答に氏の表情が厳しく曇る。その迫力はビッグ・キャットを彷彿とさせる。オスカーの肝が冷えた。「違うのか?」固唾を呑む。庭園には爽やかな風が吹いているにも関わらず、首筋に玉のような汗が浮かんだ。
「申しわけございません、旦那様。わたくしには少しばかり……その意味がわかりかねるのです……」
口の中が、いやに乾いた。
「そうか」
低音の甘みある声に妙な重みが加わる。この相槌は何を意味するのだろう。「旦那様」オスカーは一体何をどこから伝えればいいのか、すっかり分からなくなってきた。狼狽える余裕もない。
困り果てた様子の使用人を前に、雇い主はなぜだかわずかに愛好を崩してみせた。
「俺たちは君に白状しなければならないことと謝罪しなければならないことが一つある。いいかい?」
たくましい腕を組み、片眉を上げてオスカーを見る。笑ってみせているのはどういうわけだ?
「まず、うちの愚息たちがひどくせっついたらしいな。すまなかった。それから……」
少し間を置いて雇い主が首の後ろを掻く。それが彼の照れ隠しだということはよく知っていた。赤い癖毛が揺れている。
「昔あの娘の両親は、ある手紙の謎を解いたんだ。そして今は彼女自身もね」
緊張と焦燥感から黙り込んでいたオスカーの熱が、ぶわりと上がった。口だけが「え」だか「あっ」だか動いて言葉はまともに出ない。
後退りをした拍子に荷物を詰め込んだトロゥリィ・ケースが大層な音をたてて倒れる。石畳に傷がついていなければいいが……
「長男や次男が二本・一本と頼みに来るだろうが、君が花束を一つ作るくらい誰も咎めやしないさ。後は結果次第で改めて頭を下げにきてくれたら、それでいい」
「アルフィー様、ですが……!」
「その荷物をどうするかは、もう少し待っていてくれないか? 大事な娘が泣くところは見たくないんだよ」
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