プロローグ:養父と義理の娘の約束

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プロローグ:養父と義理の娘の約束

 ――幼い頃から、眠れない夜があると、東雲さんと星を観に出かけた。  幽世の町から少し行った場所に、小高い丘がある。  そこは、あやかしの棲み家も近くになく、周囲に明かりひとつないせいか、とても静かで、星を観察するのに適した場所だ。  星を眺めながらするのは、貸本屋の主人と娘らしく、本の話だ。実際に、星をモチーフにした本や、宇宙について書かれた図鑑を持って行き、物語の内容やそれに関連する様々なことについて、延々と語り合う。  星がよく見えるようにと、光る蝶……幻光蝶が近寄ってこないように、香を焚きながら。  ランプの明かりだけを頼りに、ふたりきりで夜を過ごすのだ。  そうしていると、だんだんと眠くなってくる。いつも気がつくと、帰路につく東雲さんの背中の上で揺られている――そんな親子のひとときが、私は大好きだった。  あの丘での思い出は色々あるが、その中で一際、印象深いエピソードがある。  それはたしか、私が五歳くらいの頃――。夏の終りに差しかかった日。  その日も、私は東雲さんと一緒に、丘にやってきていた。 「夏は、ぱちぱち弾けるメロンソーダの色。秋は、甘酸っぱい葡萄の色!」 「なんだそりゃ?」  東雲さんが、不思議そうな顔をして私を見つめている。  私は、自分を抱っこしている東雲さんに、得意げな顔で言った。 「幽世の空の色だよ。とっても綺麗で、美味しそうでしょ!」  まだ成長しきってない小さな手を、空に伸ばして笑う。季節ごとに違う色を見せる幽世の空は、いつも新しい驚きを私に与えてくれる。  幽世はあやかしたちの世界。そして、常夜の世界だ。澄み渡るような青空を見ることは叶わないけれど、時間経過によって色を変え、数多の星々に彩られる幽世の空は、現世の空に負けないくらいに美しいと思う。  その日は、星の色に関する本を持ち込んでいた。空に煌めく星の色の秘密を知って、少し興奮していたのかもしれない。思わず、そんな表現をしたのだ。  すると、東雲さんは顔をくしゃくしゃにして笑った。 「そうか。夏織は面白れぇこと考えるよな。将来は作家か?」 「えー。どうしよっかな」  本は読むばかりだけだったけれど、私自身が物語を創るのも楽しいかもしれない。私は、「作家もいいね」なんて言いながら、ニコニコしている東雲さんに尋ねた。 「じゃあさ、東雲さんは? 東雲さんはどうするの?」 「何がだ?」 「将来! 何になるの?」  すると、途端に東雲さんは弱りきった顔になると、星空に視線を戻した。 「さあな。俺はもう大人だからな……」  私はパチパチと目を瞬くと、東雲さんの顔をキョトンと見つめた。 「大人になっちゃったら、何にもなれないの?」  なら、大人になるのも考えものだ。「何者か」になれなかった大人は、一体どうするんだろう。何もせずに、日々を淡々と過ごすのだろうか。 「それってつまんないね。息苦しそう」  正直に思ったことを口にする。  すると、東雲さんは驚いたような顔をして、それから苦く笑った。 「何かになれねぇことはないけどな。大人になると、一歩踏み出すのに勇気がいるんだ」 「大人って大変だね?」 「大変というより、面倒なんだ。大人ってもんは」 「ふうん」なんて言いながら、もう一度空を見上げる。雲ひとつない今日の空は、メロンソーダの色。けれど、遠くから葡萄色が侵食し始めている。それは、夏が終わり、秋の始まりが近づいている証だ。夏が終わるのは寂しいけれど、美味しいものだらけの秋がくるのも待ち遠しい。  ふと思い返すと、ついこの間まで夏真っ盛りだった気がする。このままじゃ、あっという間に季節が通り過ぎていって、すぐにでも大人になってしまいそうだ。  ――私は、きちんと「何者か」になれるのだろうか。  急に、そこはかとない不安を覚えて、東雲さんにくっついた。 「どうした?」 「別に」  東雲さんにくっつくと安心する。赤ちゃんみたいで恥ずかしいから、本人には秘密だけれど。その時、あることを思いついた。なるほど名案だ、そう思って口にする。 「じゃあさ、もし東雲さんがなりたいものを見つけたら、私が手伝ってあげるね」 「……あん?」 「東雲さんがなりたいものが何かはわからないけど、それになれるように協力する!」  口にしてみると、なにやら途轍もなくいいアイディアのような気がする。私は、決意を込めて力強く言った。 「あ、でも簡単にはいかないんだろうな。きっと、なりたいものになるためには、いろんなものを捜したり、手に入れたりしなきゃいけない。大切なものとか、宝物とか‼ そういえば、本に書いてあった。『大切なものは、目に見えない』……見つけるの、きっと大変だよね。でも、大丈夫。ひとりよりは、ふたりだよね。頑張ろ!」  その時、あることを閃いて嬉しくなった。そうだ、私が将来なりたいものは「コレ」で決まりだ。私は、東雲さんと視線を合わせると、やや興奮気味に言った。 「私、将来は東雲さんの『本当の娘』になる。そしたらきっと、東雲さんのお手伝いもしやすいと思うから」  ――私は、幼い頃に幽世に迷い込んだ人間だ。  そんな私を、幽世の住人で、あやかしである東雲さんが拾って育ててくれた。  だから、私は東雲さんの本当の娘じゃない。父のようには思っているけれど、血の繋がりはないのだから、きっと本当の娘よりかはどこか劣っている。  だから――「本当の娘」になる。そう決めた。  そうすればきっと、東雲さんを助けて行ける。  なにより、ずっとずっと「一緒にいても許される」はずだ――。  その瞬間、東雲さんがいきなり強く抱きしめてきた。 「夏織、お前って奴は……!」 「うう、チクチクするぅ」  東雲さんの髭が頬に当たって痛い。ポカスカ叩いて抗議する。 「あ、悪い」  私を解放してくれた東雲さんは、申し訳なさそうに眉を下げている。私は、ぷくりと頬を膨らませて、東雲さんを睨みつけた。 「お髭‼ 剃ってって、いつも言ってるでしょ!」  なんだか、髭の当たった部分がヒリヒリする。怪我をしたらどうしてくれるのかと文句を言おうとして、その時、何故か養父が瞳を潤ませているのに気がついた。途端に怒りが引っ込んで、代わりに心配な気持ちがムクムクと湧き上がってくる。 「どうしたの?」  思わず尋ねると、東雲さんは、どこか切なそうに言った。 「お前は俺の娘だよ。血は繋がっちゃいないが、紛れもなくお前は俺の娘だ」  東雲さんはそう言うと、私を肩車した。途端に視界が高くなって空が近くなる。おお、と歓声を上げて星空に見とれる。すると、東雲さんがぽつりと言った。 「捜さなくても大丈夫だ。俺の大切なものはここにある」 「ん? なーにー?」 「なんでもねえ!!」  東雲さんは、からからと笑うと、肩の上の私に言った。 「もしも、俺に何かなりたいもんが見つかったら、そん時はよろしくな」 「うん。任せといて。私、頑張るよー!」 「頼もしいな!」  すると突然、東雲さんが丘の上を走り始めた。揺れる視界、不安定になる感じが無性に面白く感じて、もっと! とせがむ。調子に乗った東雲さんは、益々スピードを上げていく。蝶避けの香から離れたせいで、たちまちどこからか蝶が寄ってきた。けれど、東雲さんは猛スピードで走り回っている。それを蝶が追ってくるものだから、まるで自分たちが流れ星になったみたいだ。 「あははは! 東雲さん、行けー!」 「おっしゃ、任せろ!」  それは、夏の終わりの出来事だ。  星の降るような幽世の丘の上で、養父と過ごしたその時間は、私にとって宝物だ。  ――東雲さんの「本当の娘」になりたい。  その想いは、今もまだ続いている。
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