ガンガラーの谷の怪異2:いざ、沖縄へ!

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ガンガラーの谷の怪異2:いざ、沖縄へ!

 それから数日後。依頼書にあった期日に、私は幽世の町の一角にある路地裏に来ていた。そこで、友人たちと待ち合わせをしていたからだ。今回の仕事は、ひとりでやるには少々荷が重いと思ったし、それとせっかく沖縄に行くのだから、みんなで行きたいと誘ったのだ。  そこは、ジメジメとしているだけで何の変哲もない場所だ。一番奥まった所に、ぽつんと古ぼけた扉があるだけだが、これから向かう場所を考えると、非常に都合のいい待ち合わせ場所だった。  ひらひらと寄ってくる幻光蝶と戯れながら、みんなを待っていると――そこに、一匹の黒猫が姿を現した。 「本当に呆れたわ。本を貸すために、南の島に行くだなんて」  それは、にゃあさんだ。  にゃあさんは、空色と金のオッドアイを眇めて、じとりと私を睨みつけている。更には三叉に別れたしっぽを、パタパタとせわしなく振っている。これは、かなり機嫌が悪い時の仕草だった。  にゃあさんは「火車」のあやかしで、私の幼馴染で親友だ。  小さい頃からずっと一緒にいる、家族と言っても過言ではない存在。彼女は私のことを私よりもよく知っていて、間違ったことをすると正してくれる。いつも、暴走しがちな私に付き合ってくれるのもにゃあさんだ。 「また、振り回してごめんね。にゃあさん」  私がそう言うと、にゃあさんは盛大にため息をつくと、やれやれといった風に小さく首を横に振った。 「……まったくもう。仕方ないわね」 「にゃあさん‼︎」  感激のあまり、にゃあさんを抱き上げる。勢いよくクルクル回って、真っ黒なふわふわの毛に顔を埋めた。そして、太陽みたいな匂いを胸いっぱいに吸い込むと、急ににゃあさんが暴れ出した。 「やめて! あたし、勝手に触れられるの好きじゃないって知ってるでしょ!」 「うん。ごめん」  顔に着いた毛を取りながら、満面の笑みで謝る。すると、にゃあさんは非常に複雑そうな顔をしたかと思うと、ぷいとそっぽを向いてしまった。相変わらず、猫よりも猫らしいあやかしである。  するとそこに、金目(きんめ)銀目(ぎんめ)が到着した。 「にゃあさんは、相変わらずお堅いなあ。いいじゃん~。南の島、最高だよね~」 「だよな! うわー! 楽しみだなあ……!」  渋い顔をしているにゃあさんと対照的に、金目と銀目はご機嫌だ。  彼らも、にゃあさんと同じ私の幼馴染だ。  間延びした口調で、金色の瞳、少しタレ目なのが金目。やんちゃで、銀色の瞳、少し吊り目なのが銀目で、ふたりは双子だ。そして、「烏天狗」のあやかしである。ただ、あやかしではあるけれど私よりも歳下だ。彼らは、私を姉のように慕ってくれ、私も弟分のようなものだと思っている。  ふたりは楽しいことが大好きだ。沖縄に行くと告げると、嬉々として手伝いを申し出てくれた。既にバカンス気分らしい双子は、色違いのアロハに、水着、浮き輪、シュノーケルを身につけていて、見るからに泳ぐ気満々だ。 「沖縄そばに、ジーマーミ豆腐でしょ。もずくの天ぷらに、ゴーヤチャンプルー! 銀目、楽しみだね〜」 「金目、俺は海が楽しみだなあ。青の洞窟とか行きたいよな。ダイビングしたいなあ。サンゴ礁の海って憧れだよな……!」  賑やかなふたりを眺めていると、近くでため息が聞こえた。  そちらに視線を向けると、そこには、うんざりした様子の白髪の美少年の姿があった。 「出張貸本屋は結構だが、俺を巻き込むな」  その姿を見た瞬間、私は嬉しくなって彼に駆け寄った。 「水明! 来てくれたんだ!」 「別に、来たくて来たんじゃない」  そう、彼が玉樹さんと話していた元祓い屋の少年だ。  真っ白な髪を持ち、薄茶色の瞳を持っている。肌は透けるように白く、やけに彼を形作る色素が薄い。見た目だけなら文句なしの美少年で、愛想さえよければ王子様系と言っても過言ではない。しかし、どこか無表情なところがあって、不器用なのが水明だ。まだまだ感情を表に出すのは、得意ではないらしい。  水明は、不満そうに「ナナシが行けといわなければ……」とボヤいている。  もしかしたら、彼の雇い主である「薬屋のナナシ」に、半ば無理やり送り出されたのかもしれない。私の母代わりでもあるナナシは、非常に押しが強い。あの人なら、「思い出づくりに行ってらっしゃい!」なんて、有無を言わさず送り出しそうなものだ。 「あ、無理させちゃったかな。ごめんね?」  申し訳なく思って、素直に謝る。すると、水明はなんとも複雑そうな顔になって、何か言おうと口を開きかけた。……が、言葉を発することは叶わなかった。何故ならば、やけにはしゃいだ声に遮られたからだ。 「うわあ! うわあ! オイラ、沖縄なんて初めてだよう! 沖縄ってちっちゃい島だってほんとー⁉︎」 「……クロ、ちょっと落ちつ……」 「ねえねえねえ! 水明は行ったことある? あ、ないかー! フフフ、楽しみだねえ。初めての沖縄だね。初めては楽しいねえ」  その声の持ち主は、水明の相棒。犬神のクロだ。  犬神は、一見普通の犬のようだが、特徴的な部分がある。黒くて赤い斑があり、犬にしては胴がひょろ長い。イタチにしては頭が大きくて、耳が尖っている。そして、なによりもおしゃべりで無邪気だ。  そんなクロは、真紅の瞳をキラキラ輝かせ、赤い舌を口からはみ出させながら、大興奮で水明の足もとにじゃれついている。 「ねっ。水明も、楽しみでしょ?」  嬉しさのあまり、腰ごと尻尾を振っているクロに見つめられると、水明は一瞬固まってしまった。そして、一筋の汗を流した後――おもむろにクロを抱き上げて言った。 「ああ。俺も楽しみだ」 「だよねー‼︎」  ――白井水明。  この少年、一見クールに見えるが、実のところ犬馬鹿である。 「なんだか、ものすごく失礼なこと考えてないか。お前」  すると、私の考えが透けて見えたのか、水明に睨まれてしまった。 「そんなことない」と慌てて否定して、その場を離れる。にゃあさんを抱き上げて、ちらりと水明の様子を窺う。水明は、ワクワクが止まらないらしいクロの話を、一生懸命に聞いてやっている。  ――彼が浮かべているのは、とても穏やかな笑顔だ。  そこに、「感情を殺さなくてはならない」と言っていた、かつての暗さはどこにもない。  ……よかった。本当に、よかった。  ひとり、ホッと胸を撫で下ろしていると、ぽつりとにゃあさんが呟いた。 「好きねえ……」 「え?」 「自覚がないのが、夏織らしくて面白いわよね……」 「にゃあさん?」  意味がわからずに、首をかしげる。にゃあさんは、「まあいいわ」と、私の腕の中から抜け出した。そして、近くにあった古びた扉の前まで歩いて行くと、若干、気だるげな様子で言った。 「さっさと行きましょ。沖縄よ? 流石に遠いもの」 「そうだね」  すると、水明に抱かれていたクロが、不思議そうに言った。 「あのさ、沖縄には何で行くの? 島なんだよね? それじゃ、飛行機かな。それともお船? これから、飛行場とか港に行くの?」  ――ああ、デジャヴ。  私は、にゃあさんと顔を見合わせると、くすりと笑った。  水明を見てみると、彼は何とも言えない顔で、腕の中の相棒を見下ろしている。それを少し面白く思いながら、私は得意になって言った。 「現世の交通手段は使わないよ。そんなの使ったら、いつ到着するかわからないし、今からじゃ無理。そもそも、そんなものに乗るお金がない!」  すると、クロは心底不思議そうに首を傾げた。 「じゃあ、何で行くのさ」 「そんなの、決まってるでしょ?」  私は笑うと、にゃあさんの前にある古びた扉に手をかけ、勢いよく開けた。  すると、戸の奥からチラチラと白くて冷たい欠片がこちらに舞い込んできた。同時に、鳥肌が立つくらいの寒風が肌を撫でていき、思わず身を竦める。  扉の向こうに広がっていたのは、地獄だ。  死者の体だけでなく、悲鳴も魂をも凍りつかせる、氷と雪で覆われた紅蓮地獄――。  八寒地獄の第七。ここに落ちた死者は、あまりの寒さに皮膚が裂け、流れた血でまるで紅い蓮の花のようになるのだという。紅蓮地獄の中は猛吹雪で、幸いなことに罪人から咲く花は見えない。  クロは、信じらないという顔で、恐る恐る扉の中を覗き込むと、私の顔をまじまじと見て言った。 「冗談だよね?」 「まさか」  クロを抱いている水明の腕を、がっしりと捕まえる。 「そっか。君が前に地獄を通った時は、気絶してたもんね」  私はにんまりと笑うと、水明ごとクロを地獄へ引きずり込みながら言った。 「覚えておいて。幽世と地獄と現世は繋がってるんだよ。地獄はね、時空が歪んでたり、物理法則があべこべになってたりするわけ。だから、地獄を通ると遠い場所にもすぐに行ける。たとえ沖縄だってね」 「ちょ、まっ……! 嘘でしょ⁉ 嘘だよね、水明!」  クロが、水明に助けを求める。  しかし、頼りの水明は諦め気味に首を振ると――。 「ここは、こういう世界なんだ。慣れるしかない」 「何、その達観した顔⁉ う、うわああああああああっ‼︎」  クロの悲鳴が響いている。  その次の瞬間には、私たちの全身は、肌を刺すような冷たい空気に包まれたのだった。
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