ガンガラーの谷の怪異3:古代の記憶が遺る森

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ガンガラーの谷の怪異3:古代の記憶が遺る森

――鬱蒼と茂る亜熱帯の森。聞いたことのない鳥の声が響き、見慣れない植物が勢いよく天に向かって葉を広げている。しっとりと濡れた緑は鮮やかさを一層増し、幾重にも重なった葉は、進む者の行く手を遮って道を覆い隠している。  まるでジャングルの奥地のような、雑多な生命の気配で溢れているその場所は、ガンガラーの谷と呼ばれている。ガンガラーの谷は、沖縄本島南部に位置する、数十万年前までは鍾乳洞であったという場所だ。長い年月を経て、崩壊した鍾乳洞の上に多種多様な緑が生い茂ったその谷は、旧石器時代に生きた港川原人の居住区であったと言われている。  東京ドーム一個ぶんもの面積があるその谷は、一九七二年に一度公開されたのだが、数年後に汚染問題が発覚して以来、河川環境が回復するまで封鎖されていた。二〇〇八年に改めて公開されたのだが、いまもなお、ガイドツアー専用エリアとなっており、一般人だけの立ち入りは禁じられている。そんな場所だからか、古くから住むあやかしたちの棲み家ともなっていた。 「みんな、静かにね」  荷物を、虎ぐらいの大きさに変化したにゃあさんの背に括り付け、観光客やガイドに見つからないように整備された道以外を行く。しばらく無言で進んでいると、水明に抱かれたままのクロが、いきなりわめき出した。 「何でみんなケロッとしてるんだよう……。地獄を通ってきたんだよ⁉ 死んでもないのに、変だよね⁉」 「クロ、その気持ちは痛いほどわかるが、少し静かにするんだ」 「だって、オイラ寒いの嫌だったんだもん。苦手なんだよう……」  すると、周囲を警戒していたにゃあさんが、心底嫌そうな顔をしてクロを睨みつけた。 「うるさいわよ、駄犬‼ 寒いって……あたしの炎で守ってやってたでしょ⁉ どれだけ軟弱なのよ。それに、静かにしろって言ってたでしょ。聞いてなかったわけ⁉」 「ヒィ‼ ごめん……猫怖い……猫怖いよおおおお」 「猫、ちょっと言い過ぎだ。謝れ」 「はーい。三人ともうるさいでーす」  ――にゃあさんとクロ。どうも、このふたりはウマが合わないらしい。 気がつくとすぐに喧嘩し始めるふたりを宥めつつ、緑に埋もれた谷を進んでいく。  すると、ゴツゴツとした崖に挟まれた道に出た。  そこには、見上げるほど巨大なガジュマルの木があった。 「わあ。大きいねえ~」 「おお。本当だ! でっけえ!」  金目銀目は、その木を見るなり歓声を上げた。  それは、「森の賢者」と呼ばれている大主(ウフシュ)ガジュマルだった。樹齢百五十年とも言われ、人々からはガンガラーの谷の主であると親しまれている。水明は、崖の上にそびえ立っている大主ガジュマルを見上げて言った。 「圧巻だな。それに、これはなんだ――蔓、か?」 「ううん、これは『気根』。根っこだよ」  大主ガジュマルは、とても大きな樹だ。しかし、大部分を占めるのは幹ではなく、その「気根」部分だ。ゴツゴツした崖の上に根付いた大主ガジュマルは、幹から多くの気根を伸ばしている。それが、崖の上から流れ落ちる滝のように、地面に向かって垂れているのだ。大地に到達した気根は、支柱根となって幹を支えている。  その高さ、約二十メートル――。  沖縄県内には多くのガジュマルの木があるが、ここまで高さがあるものはないそうだ。 「ガジュマルの木ってね、幸せの木とも呼ばれているんだよ。何故だかわかる?」  ふと、思い立って水明に尋ねてみる。すると、彼は首を傾げて言った。 「なんでだろうな? 幸せを運ぶって言うよりも、偏屈そうな爺さんに見える」 「あはは。気根がぶら下がってる感じ、お髭みたいに見えなくもないね。あのね、ガジュマルの木が、幸せを呼ぶと言われているのはね、この木を棲み家にしているあやかしが由来だって言われているの」  そんな話をしながら、私は、鞄から依頼書を取り出した。そして、そこに書いてある指示を見ながら、落ちていた枝で地面に円を書き、その中に持参したあるものを撒いていった。 「なになに~? 白い粉?」 「小麦粉か。それで、どうするんだ?」  興味深そうに、金目銀目が手元を覗き込んでくる。最後に、円の中心に線香を立てる。これで準備完了だ。私は、にゃあさんに大きくなって貰って、その背に跨った。 「これは、沖縄に伝わるあやかしの足跡が見られるおまじない。本当は暗い場所でするものなんだけど……。この谷の主なら、私たちを誘ってくれると思うんだ。だって、私が会いに来たのは、ガジュマルの木に住むあやかしだもの」  そして、全員で少し離れた場所まで移動する。私は、円に向かって叫んだ。 「キジムナー(、、、、、)! サーターカマヒー|(砂糖やるよー)!」  するとその瞬間、円の周りに劇的な変化が現れた。どこからともなく、まるで鬼火のような光がいくつも現れ、ふわふわと周囲を漂い始める。それは、しばらく辺りを彷徨っていたかと思うと、すい、と円の中心を通っていった。するとどうだろう。円の中に撒いた白い粉に、子どもサイズの足跡が着いたではないか。  その足跡は、しばらく円の中をウロウロしていたか思うと、突然どこかに向かって走り始めた。 「さあ、みんな。追いかけるよ!」 「置いていかれないようにね、駄犬」 「駄犬って言うなー!」 「おい、夏織! 待て‼」 「水明、急げ急げ~」 「おお。なんか楽しいな。テンション上がってきた!」  点々と地面に残る白い足跡を追って、亜熱帯の森を駆けていく。すると、足跡は森の奥へ奥へと進んでいるのに気がついた。徐々に、周囲にガジュマルの木が増えていく。うねり、曲がりくねった気根を越えて、潜り、横を通り抜けて――二十分ほど走った頃だろうか、少し開けた場所に到着した。  そこはガジュマルの森だった。  大小様々なガジュマルの木が、一面に生えている。中央にそびえ立っているのは、ガジュマルの大樹だ。元々は小さな木だったのかもしれないが、長い年月をかけて気根を好き勝手に伸ばしたガジュマルたちは、お互いに複雑に絡み合い、重なり合って一本の大樹を作り上げていた。あちこち小さな虚が空いていて、まるでお伽噺の中の木の家のように見える。ガジュマルの丸みの帯びた葉の隙間から、透き通った薄日が差し込むその場所は、どこか清涼な空気に包まれていた。 「ここが……?」  にゃあさんの背から降りて、辺りを見回す。あちらこちらから、誰かの視線を感じるが、何も姿が見えない。思わずにゃあさんの近くに寄って、何が来てもいいように身構える。 やがて、他のみんなも到着した。みんなも、この場に流れている異様な雰囲気に気がついたのか、全員黙ったままだ。    すると、大樹の方から誰かがやってきた。  それは一見すると、子どものように見えた。目にも色鮮やかな赤色の髪に、肌はまるで琉球赤瓦のような赤銅色をしている。腰には葉っぱで作った蓑をつけていて、体のバランスを考えるとやや腕が長いように思える。  私はその姿を認めると、小さく頭を下げた。  そのあやかしは、「キジムナー」という。  私は、キジムナーの依頼を受けて、はるばる沖縄までやってきたのだ。   「めんそーれ|(ようこそいらっしゃいました)。貸本屋の皆さん、はじみてぃやーさい|(はじめまして)」  キジムナーは、ペコリと頭を下げると、白い歯を見せて人懐っこそうに笑った。するとその瞬間、ガジュマルの大樹の虚のあちこちから、同じような姿をした者たちが顔を出した。 「「「「めんそーれー‼」」」」  突然、大勢現れたキジムナーたちは、ワラワラと大樹から降りてくると、私たちの周りに群がってきた。 「わ、わわわ⁉ こ、こんにちは……」 「ねーねー、よく来たね-!」 「ハイサイ!」 「ハイタイ!」  口々に沖縄語で話しかけてくるキジムナーたちに囲まれ、困惑する。私たちが珍しいのか、服やら荷物やらを引っ張ってきて、どうすればいいかわからない。クロなんかは、キジムナーに揉みくちゃにされて、半泣きになっている。金目銀目、にゃあさんなんかは、いつの間にやら上空に逃げてしまった。水明も、動きが取れなくなってしまって困惑している。  ――ああ、なんだこれ。  どうすればいいかわからずに途方に暮れていると、すると、最初に話しかけてきたキジムナーが私に向かあって言った。 「貸本屋さん、今日はよろしく頼むさー!」 「それよりも、この人たちをなんとかしてください……!」  私は、半泣きになってそのキジムナーに助けを求めたのだった。
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