ガンガラーの谷の怪異5:貸本屋からのプレゼント

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ガンガラーの谷の怪異5:貸本屋からのプレゼント

 月の位置が随分と低くなり、宴もたけなわの頃。アミの下に、みんなが誕生日プレゼントを持ち寄り始めた。誕生会に集まってきたキジムナーはかなりの数だ。綺麗な貝殻で作ったアクセサリーや、新しく仕立てた葉っぱのドレス、獲れたての魚や、それを干物にしたものなどが、アミの周りに山のように積まれていった。  アミは、それらを受け取るたびに、大きく頷いていた。アミは、とても優しい娘さんだった。声が出ない代わりに、プレゼントしてくれた相手の手を取り、目をじっと見つめてお祝いの言葉を聞いている。すると、誰もがぽうっと呆けてしまう。森一番の美人というのは確かなようだ。  けれども、私はその様子を何とも複雑な思いで見つめていた。  何故ならば、アミの表情の中に、どこか寂しさのような感情を見つけてしまったからだ。  長蛇の列をなしていた客が、一通りプレゼントを渡し終わった頃。  最後に、クムがアミに近寄って行った。 「アミ、おめでとう」 アミは大きく頷くと、クムににっこりと微笑んだ。  クムは、ほんの少し恥ずかしそうに笑うと、モジモジしながら言った。 「プレゼント……用意したさー。受け取ってくれるかねー?」 クムは、恐る恐るプレゼントを取り出した。綺麗なピンク色の包装紙に、金色のリボン。他の贈り物とは一味違うそれを目にした瞬間、ぱっとアミの表情が華やいだ。アミは、ソワソワしながら包装紙を解いて行く。万が一にでも、包装紙を破かないようにという配慮なのだろう。いやに丁寧なその仕草は、開ける前からその中身が宝物だと知っているようだ。 中から現れたのは、数冊の絵本だった。装丁からしてこだわり抜かれていて、物語だけではなく、挿絵を眺めているだけで楽しい、大人から子どもまでが楽しめる本ばかりだ。 「……!」 アミは、それを手にするなり、大きく目を見開いた。 そして、それを胸に強く抱いた。可愛らしい顔はゆるゆるに緩んで、蕩けてしまいそうなほどに喜色に満ち溢れている。 「貸本だから、いつか返さなくちゃならないけど。気に入ったら、また借りればいいさー」 アミは、こくこくと頷くと、一冊一冊を愛おしそうに眺めて、指先で優しく表紙を撫でた。すると、その中の一冊がおかしいことに気がついた。小さく首を傾げて、それをクムに渡す。 「ん? なんだ、これ。間違って混ざったのかねえ」    それは、表紙どころか中身まで真っ白な絵本だった。捲っても捲っても、挿絵どころか文字のひとつも書いていない。困惑したふたりは、同時に私を見た。私は、緊張のあまり汗ばんだ手を握り直すと、笑みを浮かべて言った。 「それは、貸本屋特製の魔法の絵本です。それを読むには、特殊な訓練をした者……例えば、私のような人間が必要なんです。よかったら、お読みしましょうか? お祝いに来てくれたみなさんも、一緒にどうぞ!」 すると、ふたりは顔を見合わせて――頷いてくれた。 ……さあ、ここからが本番だ。 私は気合いを入れると、顔を上げて前を見つめた。 ガジュマルの大樹の前にみんなを集めて、私の前に半円状に座ってもらう。 私は、大きく深呼吸すると、やや芝居掛かった口調で言った。 「さてさて、不思議なものですね。真っ白な絵本だなんて、本と呼べるのでしょうか」 するとそこに、バケツを咥えたクロがやってきた。  私は、彼を足もとに呼び寄せると、バケツの中に片手を突っ込む。 「でも、この絵本は魔法をかけると、劇的に変わるんです。さあて、よく見て下さいね……」 そして、私はバケツの中から、水をたっぷり含んだスポンジを取り出すと――それで本の表面を撫でた。 「本が濡れちゃう!」 誰かが悲鳴をあげる。けれども次の瞬間には、別の意味で声が上がった。  それは――感嘆の声。  何故ならば、スポンジで撫でた途端、表紙に色あざやかなイラストが浮かび上がったからだ。  私は、にっこり笑うと種明かしをした。これは、仕掛け絵本で、水で濡らすと、中からイラストが現れる不思議な絵本なのだ。  そして、本に閉じ込められた『想い』を語っていった。 「むかしむかし、あるところに――キジムナーのとても仲のいい親子がおりました」 すると、アヤとクムは顔を見合わせて笑みを浮かべた。そして、視線を本に戻すと、食い入るように見つめ始めた。私は、導入が上手くいったことに内心ホッとしながら話を続ける。 「若くして妻を亡くした父は、娘のために。娘は、片親で自分を必死に育ててくれた父のために、何かしてやれないかと、ずっとずっと思っていました。しかし、中々いいアイディアが浮かびません。普段は森に棲んでいるものですから、滅多に特別なものも手に入りません。すると、ある日のことです。森にひとりの人間がやってきました」 すう、とページをスポンジで撫でる。すると、そこにやけに派手な人間の姿が浮かび上がった。怪しい風体をした、サングラスの男だ。 「玉樹さん……?」 その姿に見覚えがあったのか、周囲からヒソヒソ声が聞こえた。 流石、玉樹さん。あの独特な恰好は、絵本になってもすぐにわかるらしい。 私は、小さく苦笑すると話の続きを語り始めた。 「キジムナーの親子は、思いました。沖縄の外から来たこの人なら、ステキなプレゼントを思いつくかもしれない。そう思って、男のところに行きました。まずやってきたのは、キジムナーの父です」 父親は、娘が本を大好きなことを語った。するとその男は、本を用意してやろうと言った。だが、その代わりに金目のものを寄越せと、父親に要求をしたのだ。父親は、コツコツと集め続けていた真珠を男に渡した。男は、真珠を受け取るなり父親を追い払った。  次の日、娘が男のところに行った。娘は「父親の夢を叶えたいのだ」と男に語った。 「夢……? 俺の?」 クムが、不思議そうに首を捻っている。アミは、元々赤い顔をもっと真っ赤に染めて、俯いてしまっている。私は、物語を続けた。 「父の夢の内容を知ると、男は、自分なら叶えることができると豪語しました。そして男は、娘にも金目のものを強請りました。しかし、娘には何もありませんでした。仕方がないので、男は言いました。その声が枯れるまで、話を聴かせろと」 娘は、男の言う通りに話をし続けた。沖縄のあやかしの話、各地に伝わる不思議な伝承、キジムナーに代々伝わってきた話……。それは三日三晩続いた。  そして、とうとう娘の声が枯れてしまった頃、男は満足して帰っていった。 そこまで読み終わった時、突然、クムが怒り出した。  アミの腕を掴み、怒り心頭の様子で怒鳴っている。 「その声、風邪を引いたんじゃなかったのか⁉︎ ああ、なんでそんなこと……あんなに綺麗な声だったのに‼︎」 すると、アミは腕からクムの手を離して、穏やかな表情のまま首を横に振った。そして、私に視線を向けて――大きく頷いてくれた。 クムのあまりの怒りように戸惑っていた私は、ホッと胸を撫で下ろして、絵本を読むのを再開する。サッと濡れたスポンジでページを撫でる。するとそこに現れたのは、祈りを捧げているキジムナーの娘の姿だった。 「声が枯れてしまった娘は、どうか願いが叶いますようにと毎日祈っていました。ですが、何日経ってもあの男は帰ってきません。もしかして、騙されたのかもしれない。そう思い始めていたその時です。娘の誕生日に、ある人間たちがやってきました。――貸本屋です」 するとその時、私の後ろに金目銀目がやってきた。 ふたりは、幽世から持ち込んだ、大きなクーラーボックスを肩から下げている。 「貸本屋は父親に、絵本を届けました。これで、誕生祝いに本をプレゼントできます。父親の願いは叶ったのです。そして――娘の願いもまた、叶うことでしょう」 私がそう言うと、アミはクムの手を取った。瞳を涙で濡らし、じっと父親を見つめている。私は、困惑しているクムに、アミの代わりに言った。 「クムさん。ずっと夢があったそうですね。ここで、教えてくれませんか」 クムは、動揺のあまり言葉を紡げないでいるようだった。私たちは、辛抱強くクムの言葉を待った。そして、しばらくして――ようやく、クムは口を開いた。 「俺。俺……小さい頃からずっと、雪を見てみたかったんさ……!!」  私は、にっこりと笑って絵本の次のページをスポンジで濡らした。  そこにあったのは――真っ白な雪に埋もれた、ガジュマルの樹だ。 「では、幽世の貸本屋が夢を叶えて差し上げましょう!」  すると、金目銀目は、クーラーボックスを一斉に開け放った。するとそこから、ひゅう、と冷たい風が吹き出し、辺りに広がっていった。 ガジュマルの森に、ふわふわと白い綿雪が待っている。緑の森が、徐々に白く染められている。息が白くなるほどに冷え込み、絶え間なく雪が舞う中、空を飛んでいるのは白装束を着た白髪の女性たち――雪女だ。 「わあああ! 雪だ! 雪だ‼︎」 空を舞う雪に、キジムナーたちは大喜びだ。雪を手で捕まえようとしたり、うっすら積もった雪で雪だるまを作ろうとしたりと、大はしゃぎしている。クロやにゃあさん、金目銀目も、キジムナーと一緒に雪まみれになって遊んでいる。大人も子どもも――誰も彼もが、まるで夢みたいに真っ白な世界に酔いしれていた。 「実は数年前に、沖縄にも雪が降ったんさ」 クムは、キラキラした瞳で雪を見つめながら、少し恥ずかしそうに言った。 「その時、俺は寝込んでいて雪が見られなかったんさー。なのに、みんなすごい自慢してきて……。雪を見るのが俺の夢だったのに、俺だけが見られなかったのが悔しくて悔しくて。アミはそれを覚えてくれていたんだなあ……」 すると、クムはアミの両頬を手で挟んで、ぽろりと涙を零した。 「夢を叶えてくれてありがとう。でも、声と引き換えにすることなんてなかったさー。あんなに綺麗な声と、俺の夢じゃちっとも釣り合わないさ……」 クムは、そう言って涙を零しながら、アミを抱きしめた。アミ自身は、ぱちくりと目を瞬いて、何がなんやら理解していなかったようだけれど。 「――プッ」 暫く我慢していたけれど、どうにも我慢しきれなくなって噴き出す。すると、私たちの傍で話を聞いていた水明が、眦を釣り上げた。 「……お前! 笑い事じゃないだろう。声が出なくなったんだぞ」 「っふ、ふふふふ……だ、だって」 「だっても何も……」 私は、なおも怒ろうとする水明を制止すると、目端に滲んだ涙を拭って言った。 「落ち着いて聞いて? 玉樹さんに、誰かの声を奪う力なんてないよ」 「……は?」 「これは、本当に喉の調子が悪くて声が枯れてるだけ」 するとそこに、ひとりの雪女がやってきた。雪女は、アミの前に降り立つと、懐からあるものを取り出して言った。 「ふふ、知っている? 真珠ってね、人魚の涙って呼ばれているのよ。人魚って、とっても歌が上手よね?」 それは、大粒の真珠だった。それを見た瞬間、あーっ! 俺の! と、クムは素っ頓狂な声を上げている。雪女は、もう一つ懐から何かを取り出した。それは、粉薬が入った包みだ。雪女は純白の粉が入った包みを開け、指先で真珠を砕いて混ぜた。そしてそれを、アミに手渡して言った。 「幽世の薬屋特製薬の完成よ。飲んでみて? ハーピーも人魚も、歌を歌うあやかしみんな、この薬にお世話になってるんだから」 アミはこくりと頷くと、恐る恐る粉薬を飲んだ。そして、声を出そうとしているのか、何度かひゅうひゅうと喉を鳴らす。しかし、なかなか声が出ない。やっぱり駄目か、とクムが肩を落としたその時だ。 「……んんっ。んーっ!」 「アミ……⁉︎」 「ああ、声が出る。声が出るわ!」  突然、声が出始めたアミは、鈴が転がるような声でそう言うと、嬉しそうにクムに抱きついた。すると、クムはくしゃくしゃに顔を歪めて――。 「ああ、最高さ。アミの誕生日なのになあ。まるで、俺の誕生日もいっぺんに来たみたいさ」  そう言って、ボロボロと大粒の涙を溢しながら、優しくアミを抱きしめ返したのだった。
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