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「ね、君かわいーね、一人?」
駅前の植え込みの縁にぼんやりと座っていた私に、どこかで誰もが一度は聞いたことがありそうな、ありきたりな軟派文句が降ってきた。
緩慢な動きで声の主を確認する。
暑い陽の光を遮って私の上に大き目の影を落としていたのは、仔犬のような割と整った顔をした男だった。
身長は割と大きいのだが、顔が小さいせいなのか、その顔の造形のせいなのか、仔犬に見える。
その顔の造形はまぁ好みだが、大抵の女がそうであるように、軽そうな男が好みな筈はない。
無言で視線だけを返した私に、仔犬は構わず続ける。
「さっきからずっとここに居るよね。
暑いから、一緒にカラオケでもいかがです?」
カラオケなら、いいかもしれない。
歌うのは好きだ。
一度そう思ったら、待ち合わせていた筈の彼氏……もとい元彼氏に、今さっき捨てられたばっかりなせいだろう、もーなんだか失恋曲だけをしこたま歌ってやりたい気分になった。
軟派な男に、このサメザメとした失恋の悲しみをたっぷりと込めた失恋歌でも聞かせてやろう。
さぞ萎えるだろうよ。
と思っていたのだけれど。
「おねーさん……!うまい。マジでうまい。めっちゃいい声。やーばい!」
歌いだした途端、なんだか男のテンションがあがってしまった。すごいな、尻尾が見える。パタパタ振ってるだろ、今。
しかし私が歌っているのはテンション下げそうなしんみり歌なんだけど。
でもなんか……これはどうやら本気で褒めてくれているようだ。
歌うのは好きなので、正直、悪い思いはしない。
一曲歌い上げると、パチパチパチパチ、と二人しかいない狭くて薄暗い部屋に仔犬の拍手が響いた。
「あなたは、何も曲入れてないの?」と声を掛ける。
仔犬はなんだか放心したような顔で、まだ小さく手をたたいている。なにをやっているんだか。
「いや、本当、吃驚した。自分の選んでる暇とかないない。めっちゃうまいね。そんで、声もめっちゃ綺麗。本当凄い。おねーさん何者?」
褒められ過ぎて、こっちが引いてしまう。
「…ナンパ男に声を掛けられて、ホイホイついて来ちゃうよーなチョロい女ですが、なにか?」
私は適当な答えを返した。
「あ、へーえ?なるほど」
仔犬は興味深そうに、ずずいと距離を詰めてきた。
元々狭い部屋なのに、仔犬…男が寄ってきたせいで、余計に狭く感じる。
「じゃ、こーゆうことされるって」
男がぺろりと私の指先を舐めた。
「わかってて、ホイホイついてきたってこと?」
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