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【3】深香ちゃん
僕と同い年の知人で、大学のオカルト研究会に所属する大貫という男の話によれば、場所は山中にある廃業した医療施設だそうだ。山中といっても山岳地帯にある山とは違い、郊外の住宅地と隣町との境目にある小高い丘陵地といった風情の場所である。都会の里山といったところだろう。
しかし近隣住民の生活に根深く関わっているかといえばそうでもなく、閉院するまでそこで開業されていたのは結核病院、及び養護施設であった。その為当時から地域住民が用もなく立ち入る山ではなく、廃業されて年月の立った今もそれは同じだそうだ。
僕はその夜、携帯電話と懐中電灯だけを頼りに山へ入った。人の往来がないとはいえ、もともとは車が通れた道である。獣道を分け入る事も覚悟していた為か、雑草だらけの舗装された道を歩く分には大して苦労を感じなかった。が、ここが東京とは思えない程、やはり恐ろしく暗い。
事前に聞いた情報によると、森井仏具店と羽田石材店、というなんとも興味をそそる組み合わせの両店舗の間に舗装された道路があって、その道が山へ登って行くための唯一の玄関口という話だった。
僕が訪れた時間は両店舗ともにシャッターを下ろしていたが、石材店の方は店先にいくつも墓石を並べていた為看板を確認するまでもなく辿り着けた。
「こんな場所を通って、そもそも若い女の子達が結核病院のあった場所なんかに集まるものなんだろうか」
大貫の言葉を疑うわけではないが、心霊スポットや肝試しスポットと言われた方がしっくりくる程の閑散とした道である。集まる女の子たちの規模までは聞いていないが、多くて五人とかそのくらいだろう。とてもじゃないが、十人、二十人が集うパーティーが開催されるような雰囲気ではない。
大貫の妹は名前を深香ちゃんといって、今年で中学三年生だそうだ。いじめられているとは言わないが、なんとなくクラスに居心地の悪さを感じて不登校気味になり、受験を控えた夏の大事な時期におかしな宗教に目覚めた彼女を、兄はとにかく心配していた。多感な年頃で、追い詰められる季節でもある。悪魔めいた教主とやらが説く教義がなんであれ(そんなものがあるのかどうかも知らないが)、深香ちゃんがそこに救いを求めてしまったとしても無理はないのかもしれない。
「いかがわしいって、具体的にはなんなの?」
聞いた瞬間、僕はしまったと後悔したが、大貫は首を傾げて溜息をつき、明言を避けた。
「妹は、参加してないって言うんだけどな。ただ、自分の魂が解放されるような、そういう気持ちにはなるんだそうだ。俺も怖くて、実は突っ込んだ話は聞けてない」
「解放」
「いや、まあ、例え何をしてなくたって、夜中に若い子ばかりが集まってるってだけでも俺は感心しないぜ。百歩譲って羽目を外して遊んでるだけならまだいいさ。例えば、今の時期なら肝試しとか。だけどな新開」
「宗教は駄目だと?」
「偏見だと思うか?」
「それがまともな宗教なら、偏見だろうね。だけど君は、そう思ってないんだろ?」
「思えって方が無理だろ」
ドリス、という名の外国人であること以外、教主とされる人物の情報は何もないそうだ。深香ちゃんの証言が全てであり、もし彼女が見た目だけで判断して兄に報告したのなら、あるいは日本人かもしれないのだ。ドリスという名前にしたって、本名かどうかも疑わしい。
上着のポケットで携帯電話が振動する。着信音はあらかじめ切っておいた。現場である建物に近づけば電源そのものを落とすつもりでいた為、今このタイミングでの着信はかえって有難かった。
「もしもし」
携帯電話を耳に当てると、
「なんでそんな所に?」
という声が返って来た。
僕は思わず立ち止まり、電話の向こうに意識を注いだ。「僕がどこにいるか、分かるのかい?」
声の主は僕の質問に答えず、
「お久しぶりです、新開さん」
と言った。
「ああ、確かに久し振りだね。元気だったかい、幻子」
「なんでそんな所にいるんですか?」
相変わらず噛み合わない会話に、僕は吹き出して笑った。
なにか可笑しかったですか、と尋ねる彼女の声はとても真面目で、まるでふざけてなどいないことが伝わってくる。僕は咳払いをして、登山道から山の頂上付近を見上げた。
「何故、今電話を?」
「先生からの伝言です」
「三神さんから?」
「『もしも、ワシの案ずる男が関係しているならば、その奥を見よ』だそうです」
「え、ええ?」
僕は電話をぎゅっと握り締め、言葉の意味を必死で考えた。が、全く理解出来なかった。「三神さんはなんだってまたそんな厄介な言い回しを……」
「じゃあ、お伝えしましたので」
切ろうとする彼女を無理やり呼び止め、僕はいくつかの質問をぶつけてみた。すると彼女は露骨に嫌そうな溜息をつきながらも、それらの問いに対して真摯に答えてくれた。
彼女は名を、三神幻子、という。
今年十八歳になる高校三年生で、たった今話に出た『先生』こと三神三歳の娘であり、愛弟子でもある。娘といえど血縁関係はなく、弟子というのも彼女らが生業とする『拝み屋』という職務間での関係だ。つまりは、幻子自身も呪術やまじないを扱う祈祷師である。
千里眼を持ち、予知夢を見ると言う彼女の力は筋金入りだ。神社の神主や寺の僧侶とは違い、説法、読経、法具、仏具、その他一切を用いることなく易々と奇跡を起こしてみせる。周囲から『神の子』と称されるに相応しい、正真正銘の霊能力者である。
「先生の言葉を上書きするような話は、したくないんですけどね」
彼女の師である三神さんは、『天正堂』という名の看板を掲げるプロの拝み屋だ。つまりは幾ばくかの報酬を得て、個人または企業団体に対して吉凶を占い、実りある道へと運命を導くことを職務としている。三神さんと幻子はその天正堂から暖簾分けのような形で看板だけを譲り受け、フリーランスとして仕事を請け負っている。
以前何かの機会にフランチャイズなのかと尋ねた所、「別に、マージンは払っとらんよ」との答えが返ってきた。本部団体にそれで通用するのかとさらに聞けば、三神さんに代わって幻子がこう答えた。
「先生より上の人間が、今は、天正堂にはいませんから」
上、というのが立場なのか実力なのか分からないが、そういう問題だろうかと首を傾げる思いがしたのを覚えている。
「私が引っ掛かるのは、新開さんの意識がその山へ向かっていないにもかかわらず、あなたがそこにいることです」
と、幻子は言った。彼女には、僕がどこにいるのか『視えている』らしい。だが正直、彼女の言葉の意味は全く分からなかった。
「僕の意識って、何さ。僕は大学の知人に頼まれて、調査の為にこの山を訪れたんだ。三神さんにもそうやって相談したはずだけど?」
三神さんから言付かったという先程の言葉も、僕の相談に対する彼なりの回答なのだ。
「知ってます」
と幻子は言う。「ですがそれは、新開さんの意志ではありませんよね。ご友人から相談を受けなければ、あなはその山に行くことはなかった、違いますか」
「友人じゃないけどね。まあ、そう言われてみればそうかな。話を聞くまではこの山の事なんて知りもしなかったしね」
「運命のようなものを、感じざるを得ません」
「この山になにかあるの?」
僕は先程から山の頂上付近を見上げたまま、一歩も前へ進めないでいた。
「山ではありません。その先にあるものです」
「先?」
この山の頂上にあるとされるのが、大貫から聞いたかつての結核病院と、隣接して設けられた養護施設だ。どちらも長い間壊されもせず、放置されたままだという。
「嫌な言い方するね。ねえ君、今から来れないかい?」
と、僕がある人を真似てそう聞くと、
「無理です」
幻子は即答した。揺るぎない彼女の声に、僕は残念に思う反面ほっとする気持ちもあった。辺見先輩ですら連れて来なかったのだ。さらに若い高校生をこんな山の中へ呼ぶなんて、噓でも言うべきではなかった。
「三神さんの言った、その奥、って何かな?」
電話を切る直前、僕は幻子にそう尋ねた。今彼女の側に、三神さんはいないようだった。直接電話して聞けば良いのだが、伝言を預かっている以上、僕は三神さんではなく幻子と話すべきなのだ。
「先生の言葉の意味は分かりません」
と幻子は言う。「ですが、その山に、もの凄い人数の人影を見ました」
心臓が跳ねる。耳が痛い程の静寂に包まれた夜の山だ。僕が呑み込んだ生唾の音だって、幻子には聞こえたかもしれない。
「こんな場所に、もの凄い人数の人影だって?」
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