猟師の娘

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猟師の娘

「山の神様、お願いです。神さまのお家に入らせてください。失礼いたします」  夕方、娘は山の入り口でそう頭を下げると、荷物から魔物除けのお香に火をつけ腰に括り付け、同じく魔物除けの鈴と夜光虫のランプも吊るす。そして松明に火をつけた。  この松明は明かりというよりも武器変わりだ。火はどんな動物も恐れる。それを父について猟をしている娘はよく知っていた。他にも投擲武器をいつでも投げられるように準備しておく。  本来なら剣を習いたいのだが、父がまだお前には早いと言ってやらせてくれないのだ。娘は毎日のように包丁を使って炊事をしているし、剣と言っても包丁と同じ刃物なのだから、早ければ早いほど扱い方の習得にいいと思っている。そのため早く習いたいと思っている。娘には父の過保護な考えが理解できなかった。娘は他にも地図などがしっかり入っていることを確認する。  そして最後の仕上げとして、村の名産の酒を山の入り口に注ぎ山へお供えをすると、意を決し山の中へと入っていった。  夜に山に入るのは自分でも無謀かもしれない。そう思いつつ娘は慎重に山の中に分け入る。山の中には夜行性の魔物も勿論いる。今日はそんな魔物が苦手なお香を持ってきたので大丈夫だとは思うが、あまり刺激はしなくない。  祈るような気持ちで慎重に歩いていると、何か音が聞こえた。娘は足を止め、音が聞こえた方向を見る。娘は迷いなく松明を左手に持ち替え、すかさずチャクラムを投げた。  チャクラムは娘の手の中に戻ってくる。チャクラムの刃には、べっとりと赤黒い新鮮な血がついていた。娘はその方向が妙に静まっているのを確認し、松明で足元を照らすのを意識しながらその場に近づく。  自分の影ですら妙に大きく不気味に感じながら、息をひそめその場に赴く。そこには魔物が一匹倒れているのが見えた。娘も時折見かける魔物だった。  きっと魔物除けの香がまだ完全に効いていないのだろう。娘はその場でスコップを取りだし、彼を埋めてその場を去った。  完全に魔物の気配や、勿論動物の気配もしなくなった。娘はその事実に安堵する。よく猟師の娘だから殺生はお手の物だろうとか、命に関する感謝がないのだろうという、誤解を受ける。  しかしそんなことはない。本当なら魔物ですら殺したくはなかった。命を持っているのは同じだ。それに魔物もこちらからちょっかいをかけない限りは、襲ってくることはないのだ。  それに山は元々動物たちの領域だ。人間の場所ではない。今日もお邪魔させていただいているということを忘れてはならない。今でも鳥を絞めることですらドキドキするというのに、なんでこんな誤解を受けるのか。娘は面前を睨んで、一歩を踏み出した。  ふいに魔物や動物ではない気配を感じた。娘は立ち止まって様子をうかがうと、音のようなけれども、動物の鳴き声ではない声が聞こえた。娘は何処から聞こえたのか耳を澄ませる。  こんな夜中に山の中にいるだなんて普通じゃない。自分のことは棚に上げて娘は思った。 「全く、本当にここにその珍しい花っていうのがあるんですかねー」 「いいからさっさと探しやがれ! こんなことも王が変わったら出来なくなっちまうかもしれねーかんな。お得意様にも言われてんだよ、金は弾んでやるからちゃんととって来いってな。今日が最後のチャンスだ」  声音が違う、二人の男性の声が聞こえてきた。 「いやいやいや、まさかこんなところまで王様は来ないでしょー」 「この山は隣国とも近いだろうが。中継地点になる可能性もあるってこった、王なんて俺たちよりもあくどくて汚いに決まってる、自分のためなら何でもやるもんさ、俺たち盗人なんざ可愛いもんさ」  確かに王が、この辺りを自分のために利用する可能性はある。ここから十里ほどで隣国なのだ。この辺りを中継地点にして、物のやり取りをする場所にする可能性は十分にあった。娘はそうなった時のことを想像した。村が発展していく様を。    でもそれが良いことばかりじゃないことも、娘は勘付いていた。  いまでも自分が魔女になることですら、考えの範疇にない老人や、頭の固い人たちばかりの村だ。きっとそんな人たちは置き去りにされてしまうのだ。 「そうっすかねーここいらの村じゃ何も取れないでっせ」 「だからこそ、ここを利用するかも知れねェだろうが、何もないからこそ金を落として、取り入ろうって思うかもしんねぇな。その月だか何だかわかんねぇが、珍しい木ごと斬ってさっさとずらかるぞ!」 「へい」  娘はドキドキする胸元を抑えて、その場にしゃがんだ。  この辺りにはこの山特有の珍しいものはあるが、他には別に特段珍しい物はない。それにその珍しいものはそこまで有名じゃない。猟師や魔女の間で噂になる程度のものだ。  きっとこれは密猟者の会話だろう。密猟者は猟師の天敵だ。近づいてきた男たちの身なりは、猟師というよりどこにでもいそうな村人の恰好だった。そう――どこに出ても目立たない、そんな恰好だった。その恰好はどう考えても、埋没して密猟者だと気づかれないためのものにしか見えなかった。  しかも月香樹蘭を――珍しいものではなくとも木を伐ろうとすることは、災害のことを考えるとむやみになるものではないというのに――木ごと伐ろうととしている。  この山は確かに危ないものかもしれない。今も現にそうだ。でもだからと言って、何をしていいわけじゃないのだ。山の恵みを人が独り占めしてはならない。  娘は動揺から葉の音を踏みしめる。それは明らかに誤魔化せる音ではなかった。娘は息を飲み、あちらから仕掛けられるよりはと、意を決してこう叫ぶ。 「この山の中で悪いことはさせないんだから!」 「こんな夜に人がいるだと!?」  思いのほか常識的なこと言うんだと、娘は意外に思いながらも、推定密猟者の男たちに、松明を投げた。その松明はそのならず者二人の偉そうな方に当たるが、すぐに地面に落ち火は消える。  けれどもこれで十分だった。娘は森の奥の方に動くとこういった。 「出て行って! ここは貴方たちのような人が来るところじゃない!」  娘は赤黒い鮮血が滴るチャクラムをわざとらしく指でまわして見せ、そのまま彼らの足元に投げた。足元をランプで照らしている彼らには、その鮮血でぬれたチャクラムは、とてもよく見えるはずだ。  娘はそのチャクラムに視線がいっている間に、その場から逃げ出すようにさらに山の奥に分け入った。 「あの小娘! どこ行きやがった!」 「こんな子ども遊びに着くあっている暇はない、さっさと目的を果たすぞ」  娘の耳にはその声がよく聞こえた。奥に入ったと見せかけて、近くの落ち葉の陰に隠れていたのだ。出来れば帰ってほしかったが、やはりそうはいかなさそうだ。  娘はあの密猟者をとめるべく、自分の荷物を探り始めた。 「あっ、これがあの言われていた木ですか、お得意さんいくらで買ってくれますかねー」 「間違いはねェか、ちゃんと確認しろよ」 「へいへい」  娘は何とか忍び足で、あの二人のあとをついていった。人の足跡はあの二人のものしかなく、追いかけること自体は簡単だった。  けれどもあちらは大人。自分は子供だ。ちゃんと自分が立てた作戦を行える自信はない。けれどこんな物を見てしまって、黙ってはいられなかった。  自分は村の人のことは嫌いじゃない。でも村の人のように黙ってやり過ごすことは出来ない。娘は息をひそめ機をうかがう。    密猟者が月香樹蘭に手を伸ばしたその時、娘は夜光虫で灯されているランプの一部分を、思いっきり投げた。  夜光虫が入ったランプの本体部分は、そのまま密猟者の近くで割れ、眩しい閃光を放った。夜光虫は衝撃で明るくなる性質を持つ。その性質を思い出した娘は、目くらましにならないかと考えたのだ。  娘はすかさず目を頭ごと隠し、収まった様子を肌で感じるとすぐに、先ほど拾っておいた石を麻袋に積め、慎重に近づいた。  一歩一歩、自分の足音の静かさよりも、心臓の鼓動の方の音が漏れないかを気にしながら、近づいていく。  月明かりがふと目に入り、娘の心臓の鼓動が穏やかになる。何となく勇気づけられているように感じ、思い切りその麻袋を密猟者の男に振りかぶった。そしてすぐにその場から離れる。どうやら後ろの方――先ほどいた場所から、ドサッという音が聞こえた。成功したようだ。 「おい、何倒れてやがる! 目が潰れそうだからって、寝てんじゃねーよ!」    男――偉そうな方が、倒れたほうにそう声を掛ける。娘は唐辛子の粉――普段は解体した肉を保存するために使う――を手に持ち、先ほどと同じように近づいていく。  あともう少しというその時、ふいに偉そうな男が振り向いた。娘は隠れる間もなかった。けれども覚悟していた娘は早かった。「小娘の仕業かぁ!」という、密猟者の偉そうな男の声と同じくして、唐辛子の粉を顔に投げつけた。  けれども相手は、ごほっごほっと咳き込むだけだ。もしかしたら辛いのは得意なのかもしれない。  娘はそのまま石を詰めた麻袋を振り回したまま振りかぶろうとするが、意外に避けるのが上手く、なかなか当たらない。  そろそろもう一人の方も、起きてしまうかもしれないし、月香樹蘭もまもなく閉じてしまう。娘が焦っていると密猟者は短刀を取りだし、長く太い手で娘に振りかざした。  その手は魔物よりもとても不気味で、危なく見えた。その人間の恐ろしさに娘は息を飲んだその時、密猟者はその隙を逃すことなく、娘を捕獲した。  娘は首を腕で締め付けられる。もがくがますます首が閉まるばかりだ。腕に手をかけても、振り解かれることがあるわけがない。娘は必死にもがき続けるが、息をするので精いっぱいになってきた。意識が飛びそうだと思った瞬間、娘の体は勢いよく飛び上がる。そして大樹の幹に背中を大きく打った。その時初めて、密猟者に吹き飛ばされたのだと気づいた。 「小娘ー良くもやってくれたなー ここまでされて黙ってはいれねぇな、お前も打ち払ってやろうか!」  そう言って短刀を構えたまま、近づいてくる。その月明かりに照らされた男の巨体が、熊のように見える。影も男の実際の体の何倍にもなって、ますます威圧感を増大させている。その隅で先ほどまで気絶していた密猟者も起き上がったのが見えた。  娘は頭も守るように腕で守り、身を小さくさせることしか出来なかった。先程男たちに襲いかかったときよりも早い鼓動を、死の足音のように感じながら、娘は殺される覚悟を決めた。  みんなこういうことを言っていたのかもしれない。娘は自分が何もない子供だということに気付いた。  その時淡く白い光がその場を包み込んだ。まるで月明かりを濃縮したような色だ。娘は自分が頭を腕で守っているのにも関わらず、まぶたがの裏が白く染まっていくのを感じ、恐る恐る頭を上げる。  娘はその時になりようやく、不思議な白い繭のようでいて、蜘蛛の糸のようなもので密猟者たちが縛られていることに気付いた。  密猟者たちは縛られているだけではなく、口にも白い布のようなものを被せられていて、声も上げられないようだった。 「何これ?」  呆然と娘が呟く。娘は目をまん丸くしてその光景を見て首をかしげる。その様子に密猟者の二人は、お前の仕業だろうとでもいうように、もごもごと何かを言うが、具体的に何を言っているかはわからなかった。  その時何か白い光が忽然と現れた。その光は徐々に大きくなりこういった。 「私はこの月香樹蘭の意識。貴女は切られそうになっていた私を助けてくれました。ありがとう。お礼にこれをあげます」  そう月香樹蘭の意識が言うと、娘の手にはいつの間にか月香樹蘭の花が握られていた。 「その花はお礼にしか上げない特別な花なの。ヤロミーラに持っていけばわかるわ」 「あの魔女さんのこと?」 「そうよ、また会いましょうね」  月香樹蘭の意識がそういうと、いつの間にか山の入り口に娘はいた。月香樹蘭の意識を慌てて探すが、どこにも居ない。するとこんな声がどこからか聞こえたきた。 ≪貴女の持ち物はすべて戻しておきました。貴女がこの山に入る前と同じように≫ 「あの、訊いてもいいですか?」 ≪何でしょう?≫  娘は密猟者に関する質問をしかけ、口ごもる。なんて言っていいのか分からなかったのだ。けれども自分にも多少関わることだと思い直し、こう尋ねる。 「……あの人たちは?」 ≪然るべき罰が下されるでしょう≫ 「そうですか」  ふっと胸の内が軽くなった。きっと彼らの罪に見合った罰が下されるのだろう。そう思える言葉だった。 「今日は送っていただいてありがとうございました!」  娘は頭を下げて、山を後にした。  娘が月明かりに守られるようにして、明るい道を歩き魔女の元へ行くと、魔女は玄関の前で娘を待ち構えていた。  娘は月明かりにも負けない笑顔で、月香樹蘭を差し出した。 「……お前の名前はなんだい?」  名前を聞かれるということは、弟子にしてもらえる。魔女になってみんなを助けられるということだ。魔女は絶対に自分が助けられると思う人にしか名前を聞かない。 「わたしはミレナ!ミレナです!師匠!」    魔女へなるための修行が始まった。
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