魔女ヤロミーラ

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魔女ヤロミーラ

「魔女様、いつも軟膏をありがとうございます。これでうちのおっかさんも喜びます。魔女様の軟膏じゃないと効かないって言って聞きませんから」 「早く持って行ってやりなよ、あんたのおっかさんはうるさいんだろ? ほらさっさと行った」  ヤロミーラは何回やったか分からないやりとりに辟易していた。相手は生まれたころから知っている相手なのだから、飽きるのも当然なのだが。  ここはウェネウィニーという名の、国のはずれにある村だ。ここ十年以上はこの村に居を構え生活し、村人どもの悩みを聞いて生計を立てている。体の具合を確かめ、薬を調合したり、人生相談なんかもやったりする。  ヤロミーラという名は魔女としての名前であり、この村に来てから名乗ったものだ。魔女は名前に力があると信じているため、その村によって名前を変えることも珍しくない。  しかし自分ももう年だ。弟子も幾度かとり、送り出している。そろそろ自分の死に場所を見つけるのもいいかもしれない。弟子にこの村を任せようかと手紙でも書こうかと思案にふけっていると、何故か家に帰っていない村の男盛りのインジフが、こちらの様子をうかがうような目つきをしていることに気付いた。 「なんだい? 帰らないのかい?」 「いや、ちょっとお耳に入れたいことがありまして……」 「言ってみな」  このインジフは気のいい男で、いつも陽気だ。外から来たものをこの村の者が使いやすいように加工して売っている職人である。職人ではあるが陽気で商才もあり、息子に旅商人をさせて物を売らせている。 「いや、それがですね、戻ってきたせがれの話なんですが……そろそろ王都の方も完全に拙いんじゃないかと……もう新しい王様が立つんじゃないかともっぱらの噂のようでして」 「……そうかい」  この国は戦争をしている。戦争が始まってもう一年にはなるかもしれなかった。しかし国から外れているこの村は、戦火の被害を受けていないことが幸いだった。 「へい、それで次の王様ってのが、隣の国の方ですから、そのうなんて言っていいのか……そう、あれなんですよ」 「はっきりおし、全く時間ばっかり食わせるんじゃないよ」  だいたい話の筋が見えてきた話を何故もったいぶるのか。ヤロミーラには見当がつかなかった。 「はい、最悪わしらもここいらじゃ生活できなくなるんじゃっていう話なんでして、なんて言っても体を切った張ったなんてやる、医者とかいうやつのことをすっかり信じている方なんだそうで。ここいらの民の話は聞かんだろうって噂です。隣国の方でもそんな話になっているとか。魔女様にはお世話になっておりますから、なにか御要りようがあればと思いまして」 「ふん、そうだね、隣の王様は目に見えないものは信じられない性質さ、私たちも呑気にしていられないね」  魔女の情報網でもその話は入ってきていた。自分たちのような集団は、あの王の機嫌を損ねるだけならまだしも、弾圧される可能性もあるだろう。それは当事者である自分たちが一番よく分かっている話だった。  しかしこの村出身の旅商人がいるとはいえ、この村にまで今の国の敗戦が濃厚という情報が入ってくるとは……もう本当に拙いかもしれない。 「わしらもここを引き払って遠くにいこうと思ってるんで、出来れば魔女様もいかがですかい? 最近は人もよく居なくなるって話もよく耳にするんでさあ、最近はここいらもおっかなくなりましたな」 「……これが時代の流れってやつなんだろうね、私も荷物を纏めておくことにしようかね」  ここの村の物の大半の先祖は遊牧民だったせいか、とても腰が軽い。先祖のような腰の軽い行いで生き延びようとしているそのあり方が、高齢のヤロミーラには眩しく感じた。 「……早い者だとあと一月でここを出るかと」 「分かった考えてくよ」 「はい」  インジブが益々低い声でヤロミーラに告げる。ようやく本題が終わったかと思うと、勢いよく玄関の扉が開く音がした。インジブがヤロミーラを守るように前に出る。ヤロミーラはその姿にインジブの幼いころを思い出し、歳月の流れを思った。 「魔女にしてください!」  扉を破るかのように玄関先に現れたのは、十代前半くらいの少女だった。この村のものではないその娘は、目を輝かせながら不躾なことを言い放ち、仁王立ちをしていた。 「お前は一体なんなんだい? 人の家に怒鳴り込んできたと思ったら、自分の名前を名乗ることもしないのかい」  ヤロミーラは魔女に常識を問われてしまったこの娘を怪訝に見る。インジブが気遣わしげに自分を見ているのが分かった。お前もここに居ろと視線でいうと、インジブは静かに後ろに控えた。 「だって魔女様にはお名前を教えちゃいけないんでしょう? それに魔女様のお名前には力があるっていうもの、お名前も言ってはいけないって聞くけど」 「……それで物が分かったつもりかい?」  挨拶というより襲来といった方がいい娘の行動とは、打って変わったその発言にヤローミラは内心感心したが、それを彼女に悟らせることはしなかった。 「いいえ、全く。わたし魔女になりたいんです! お願いします! 雑用でも何でもしますから!」 「なんでそこまで魔女になりたいんだい?」  世間話程度は相手にしてやろうと、ヤローミラは娘の様子を注視する。 「……わたしの村の魔女様が居なくなってしまったんです、本当ならもう帰ってきてもおかしくないはずなのに、探しに行った人たちも分からないって。魔女様しかご病気は治せない人もいるし、みんな大人になると出て行っちゃう人も多いし、残っているのはお年寄りとかが多いから……だから私が魔女になるしかないって!」 「……魔女になんてなるもんじゃないよ、お前さんみたいな小娘ならなおさらだね」  思ったよりまともで切実な事情だとは思ったが、その妙な明るさが気になりヤローミラは分かり易く顔をしかめた。 「でも!」 「でももへちまもないよ、そら! さっさとお帰り」  もしかしたらいなくなったその魔女は、いま国を滅ぼそうとしている隣国の王や、その組織に何か関わりがあるかもしれない。魔女は荷物を残して去ることはないので、それを確かめれば自発的なものか、そうでないかが分かるはずだ。ヤローミラは知り合いの魔女と連絡を取ろうと決めた。 「いや! いやです! もうみんな大人はそういうんだから!」 「しがみ付くんじゃないよ!」  冷たく言ったというのに、娘はヤローミラの足元にしがみ付いてきた。思ったよりもしつこい。いや、こちらの嫌そうな雰囲気が分からないのかもしれないが。 「わたしはいや! いやなの! 大人みたいにただ待っているのはいや! 都会じゃ王様が危ないって聞いたわ! でもみんなそれを知っても動こうとしないの! みんな諦めちゃってる。ただただ知ってるだけ。なんで何もしないのって言っても、出来ることはないっていうの!」 「そりゃそうさ、偉い人たちの考えなんて分かるもんか」  戦争とはそういうものだ。そしてそれが起こることもよくあることなのだ。人と人との諍いが大きくなっただけのものが戦争なのだから。 「べつにわたしだって、王様のやることを変えられるなんて思っているわけじゃないの、今の王様はいい人だから、わたしたちは生きていけるんだってみんな言ってた。でももう駄目かもしれない。でもこれから来る王様はみんな悪い人っていうの。きっと怖い顔で私たちをいじめるに違いないって。わたしだっていい話は聞かないもの。でもね、自分たちのことは自分でやらなきゃでしょ? だって王様が変わったって明日は来るのに、みんな諦めちゃってるの。自分の村のことすらよ? 魔女様がいなくなってしまったけれど、見つからなかった。魔女様を呼ぶことも難しいなら。誰かがなるしかないじゃない! 違う?」 「そんな場所に尽くすのかい? お前さんの話に誰も頷かなかったからここに来たんだろう?」  このご時世にそんな思いがあるとは、その年齢にしては立派だと思ったヤロミーラだが、だからこそこの娘が一念発起して魔女になる意味があるのか分からなかった。たとえ彼女が魔女になったとして、村人が魔女になった彼女を受け入れるか分からない。  たとえ彼女が優秀な魔女になったとしても、彼女を村人は受け入れるのか。ヤローミラには分からなかった。  「そうよ! さすが魔女様! でもね、わたしはまだ成人するまで結構あるし、あんな誰も話を聞いてくれないところでも、わたしの育った村には変わりないの! わたしは村の人を守らなくちゃいけないわ」  彼女の目は真っ直ぐで、揺らぐことを知らなかった。 「……そうかい、そこまで腹をくくっているんだったらいうことはないね」 「えっ、じゃあ」 「お前さんにはこれを取って来てもらおう」  ヤローミラは、彼女に試練を与えることにした。これが乗り越えれることが出来たら――生きて帰れるかもわからないが、その判断もつかないならどうせ成人するまもなく死んでしまうだろう――この娘を魔女にしてやってもいいかもしれない。  それにこの娘には、ここで分かり易い引導を渡してやったほうがいいだろう。さもなければ、毎日のようにこの娘が来るのは火を見るより明らかだった。 「魔女様、これなに?」  娘は目を見開いて、ヤローミラが開いた図版を覗き見た。その表情はさらに娘を幼く見せている。 「月香樹蘭さ」 「月香樹蘭?」 「そう、西のうなり山にある、満月にしか咲かない花のなる木でね、珍しいが色々な薬に使えるものさ」  ヤローミラは娘の反応を注意深く、且つ相手に悟られないように確認した。 「それをとって来ればいいのね」 「お前さんはあの西のうなり山は知っているだろう?」 「勿論! わたしの父さんは猟師なの。魔物の避け方だって知ってるわ」  ニコニコとそう言い放つ娘はやはり見た目や言動に反して、思いのほか物をよく知っているようだ。  西の唸り山は魔物がうじゃうじゃと蠢く場所で、普通の娘なら入ることすらない、そんな山だ。危ない村ということを知っていても、興味が出るといけないからと、詳細を知るものは成人になったものだけである。  そのため西のうなり山に関しては、若い者に詳しいことを言わない。それがこの地域の古くからの風習だった。  きっと教えた者は、この娘が思いのほかしっかりしていると思っていたのであろう。 「そうかい、じゃ。いってくればいい」  ヤローミラは吐き捨てるようにそう言うと玄関に娘を追いやり、そのまま追い出した。 「……魔女様、厄介な娘が来ましたね」 「ふん、どうなるか見ものだね」ヤローミラは薬草をするための、すり鉢を手に取った。
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